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宰相さまと秘書官ちゃん  作者: 依馬 亜連


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5/8

5:宰相さまと青い春

「あの野郎……ぶっ殺してやる!」

 顔を洗ってくしゃみ地獄から脱出できたクオンが、手洗い場から飛び出して叫んだ。ちなみに“あの野郎”とは、もちろんこの国の象徴のことである。しかし今、手洗い場にいる人間のほぼ全員が、煙幕の被害に遭った面々なので。

 この不敬罪および国家反逆罪上等な宣言を、誰も(とが)めなかった。むしろ誰かがタオルをぶん回しながら、「よう言った!」とけしかけてくる始末だ。


 普段ならばリエルが言葉と暴力を総動員して彼を止めるものの、彼女は赤く染まった鼻をぐすんと鳴らすだけだった。ただ代わりに、クオンのジャケットの端を控えめに引っ張る。

 そしてうわずった声で、クオンを呼んだ。

「宰相さま……ジャケット、脱いでください」

「え? どうして?」

「だって、わたくしの鼻の……」

「うん、鼻? ――ああ、そうね」

 クオンは一瞬キョトンとした後、ジャケットの胸元に視線を落とした。先程リエルのグズグズ崩壊顔面を庇った時に付いた、涙と鼻水痕がべっとり残っている。


 彼は数秒ほどそれを眺めてから、リエルへ笑いかける。

「うん、これぐらいなら後で洗えば大丈夫でしょう」

「そういう問題じゃないですっ! わたくし、恥ずかしくて爆発しそうなんですからぁっ!」

「ええっ、爆発は困るよ」

「だからさっさと脱いでっ! 貸してっ!」

 結局ジャケットは、怒れるポメラニアンにはぎ取られた。彼女は鼻水痕を隠すように、深緑色のジャケットを丸めて両手で抱え持った。ついでにスンスン、と匂いも嗅いでいる。


(鼻水は嫌なのに、服の匂いはいいんだ……)

 クオンはなんだかなぁ、と薄手のシャツ一枚になって口を引き結ぶ。次いでぐるりと、洗い場のある中庭一帯を見渡した。

「普段はダラダラとすり足で歩くくせに、こういう時の逃げ足は速いんだよなぁ……」

 舌打ちと一緒にこぼされた愚痴は、もちろんバルロスに向けてのものだ。恥の証を回収し終えて心に余裕が出来たリエルが、澄まし顔になってツンと応じる。


「それはそうですよ。だって宰相さまに叱られるの、分かり切っていますし」

「そりゃ怒るとも、ああ怒るさ。だってこっちが怒るしかないことを、あのオッサンはやったんだからねっ」

 クオンの声が、段々とまた荒れ始める。

「あいつの肖像画で焚火して、その火でマシュマロでも焼きたいぐらいだよ!」

「美味しいですよねー、スモア。でも、せめて売りましょうよ。陛下って、国民からは割と人気者でいらっしゃいますし――高値で売れるかもですよぅ?」

 なお近しい人物たちからは、厄介なクソガキ中年認定を受けている。


 しかし「高値で売れるかも」発言で、クオンも小難しい表情になった。腕を組んで考える。

「最悪、売るのもアリだね……勇者にかける予算が職人の初任給レベルなんて、あり得ないし」

 カクン、とうなだれた。銀色の髪が前に下がり、彼のうんざり顔を隠す。


 戦神がもたらした人間族の希望を、粗末な人材と粗末な装備で旅立たせるなんて前代未聞だ。戦神を信仰する者たちからの批判は、まず避けられないだろう。

「戦神の信者から怒られるだけで済めばいいけど……最悪、他国からも『魔族に負けるつもりなのか』って突かれまくってあああああああ!」

 うなだれたまま両手で頭を抱え、断末魔の叫びも上げた。リエルはジャケットの匂いを嗅いだまま、黙って彼の好きにさせる。


 そして元々が優秀なクオンは、叫ぶだけ叫べば気も晴れたらしい。最後に大きく息を吸い、背筋を伸ばしてから髪を後ろへ撫でつける。

 次いで、中庭を警備中の近衛兵へ声をかけた。

「すみませんが、陛下の捜索をお願いします。生け捕りであれば、何をしても構いません」

「はっ!」

 近衛兵はキレのいい返事と敬礼を返すと、周囲へ大声で呼びかけた。


「おい、宰相閣下のお許しが出たぞ! 草の根分けてでも探すぞ!」

 するとわらわらと、中庭だけでなく城内からも人が集まりだす。近衛兵仲間やメイドたちは手に手にバトルフック――先端に鉤爪(かぎづめ)の付いた竿状の捕具(ほぐ)や、ボーラ――ロープの先端に重りの付いた投擲(とうてき)道具を持っていた。手荒く捕まえる気、満々である。


 彼らはクオンとリエルへ一度礼をすると、素早く散開した。城内へ散っていく捜索隊を見守っていると、やがて遠くから

「いたぞ、あそこだ!」

「追え、追えぇぇー!」

「足を狙えーっ!」

そんな怒号が聞こえて来る。鬼気迫った声へ耳を澄ましながら、クオンはわあ、と呑気に呟いた。


「僕が言うのもなんだけど。部下や使用人たちに本気で狙われる国家元首って、どうなんだろうね」

 リエルは青々とした葉がさざめくリンゴの木を見上げ、軽く肩をすくめた。

「まあ、ご自分で蒔いた種ですもの」

「うん……そうね。それもそうだね」

 なにせ捜索隊の大半が、先程のくしゃみ煙幕事件の被害者あるいは、彼らの同僚・友人なのだ。

 生け捕りにされるバルロスへかける情けは在庫切れなので、クオンもさっさと見捨てることにした。

「一旦、城内に戻ろう。ルッツ殿に謝らないと」

 彼とは謁見の間を出たところで別れたきりだ。恐らく今は、賓客(ひんきゃく)用の応接室で休んでいるはずだ。


 まずは一連の騒動について、丁寧に謝らなければ。加えて、予算のことは心配しないよう安心させるべきだろう。子どもって、そういうことには意外と敏感だと言いますし。

 クオンは途中で見かけたメイド(捕獲用らしい、大きな網を持っていた)に声をかけ、ルッツのいる部屋を教えて貰った。


「……それにしても陛下は、どうして予算をケチっちゃったんでしょうね? 身分で差別なさる方じゃありませんよね?」

 リエルがこてん、と首を傾げた。オレンジ色のつぶらな目は無邪気なのに、相変わらず人のジャケットの匂いをクンカクンカしているので台無しだ。

 クオンがむずがゆい表情で肩をすくめた。


「そうだね。ご自身も時々、平民のご友人と飲み歩いていらっしゃるしね。身分にこだわりはないと思う、けど――ほら、あの方は情緒がお子どもだから」

「お子ども……?」

「単にルッツ殿――というよりも、僕たち家臣に八つ当たりしてるだけじゃないかな。ビールフェスが中止になって、ご自分だけ損をしたと思っているはずだから」


 改めて口にすると、一国の主どころか四十代社会人としてあるまじき行動である。リエルも、思い切り口角を下げて「馬鹿じゃないの?」と言いたげである。

「……やっぱり宰相さまが、クーデターを起こした方がいいんじゃないですか?」

 一段階低くなった彼女の声に、クオンは屈託なく笑った。

「いやいや、王太子殿下は非の打ちどころのないお方だよ? 殿下への代替わりを粛々と後押しする方が、ずっと安上がりで平和だね」


 穏やかな声で物騒なことを言いつつ、ルッツが休んでいるという応接室に到着した。金箔で飾りつけされたぶ厚い扉は、薄っすら開いたままである。それに中から、男女の話し声もした。

 クオンとリエルが、ほぼ同時に目を(またた)いた。女性の弱々しい声に、とても聞き覚えがあったのだ。二人は示し合わせたように壁際にへばりつき、そっと室内を覗く。


 彼らの予想通り、応接室の先客は王女のニィナだった。彼女はルッツと向かい合って、椅子に座っている。

 内向的で人見知りが激しい彼女は、未だに年の離れた家臣たちと話す時にも及び腰である。子どもの頃からの顔見知りであるクオンに慣れるまでにも、かなりの年数を要したほどだ。

 当時の彼はお年頃の少女や淑女への受けが抜群な、キラキラ優男だったのに。


 そんなキラキラになびかなかったニィナが、目のギラギラした反社テイスト漂うルッツへ一生懸命に話しかけているのだ。

「あ、あのっ……もっと、村でのお話、聞かせて……いただけませんか?」

 胸の前で両手を組み、耳や首まで真っ赤にしている姿はとても健気だ。顔は怖いが根は純朴らしいルッツも、フワフワ美少女に迫られて全身を茹だらせている。

「いやっ、でも、自分……そんな、楽しい話、できないっす! 村も、なんにもない、田舎ですし……」

「ううん、そんなことない、です。わたしの知らない世界で……ルッツ様、がどんな暮らしをなさっていたか、知れるのが……楽しいですもの……」


 首を振り、はにかみながらのこの口説き文句は殺傷力満点だ。ルッツはぶ厚い手で目元を覆い、思わず天を仰いでいる。

 モニョモニョとかすかに動く口から、声は出ていないが。唇は「可愛すぎんだろ」と動いているのが見て取れた。

(まさかこんなところで、読唇術が役に立つなんて)


 なんでも習っておくもんだ、とクオンは色んな意味で感慨深い気持ちになっていた。

 騎士団長のヒゲ面にギャン泣きしていたニィナちゃんが、こんなにも立派な小悪魔になっちゃって――ともしみじみ考える。

 それと同時に気付く。地獄絵図になった謁見の間で、彼女がルッツを熱心に見つめていた理由に。


 一方のリエルは、小さな顔をほんのり赤く染めて、ニマニマと二人を見守っている。応接室の壁際に控える侍女や従僕たちも、滅多にない押せ押せなニィナの姿に微笑ましげだ。

「なんだかいい雰囲気ですね。青春って感じですねっ」

「うん、そうだね。これは嬉しい流れだね」

 小声ではしゃぐリエルへ視線を向け、クオンも笑った。ニヤリ、と悪い大人の笑顔だ。彼はそのまま、控えめに扉をノックする。


 ノックの音に、ニィナがハッと目を見開いて立ち上がった。ルッツも困惑気味に、それに続く。

「ご歓談中にお邪魔してしまい、申し訳ありません。つきましてはルッツ殿、今後の旅程等についてお話しするお時間を、少々いただいてもよろしいでしょうか?」

 愛想よく装ったクオンが、穏やかな声で話しかける。敵意はありませんよー、とリエルもニコニコ笑顔で続いた。

「あ……はい、うっす」

 ルッツは毒気を抜かれた様子で、視線を左右に一度動かしてからうなずいた。顔が赤いままのニィナは、意味もなくドレスの布地を引っ張っている。


「あ、あの……ではわたしは、失礼いたし――」

「いいえ。ニィナ殿下も、ぜひご参加いただけませんか?」

 しかしクオンが、すかさず彼女へ声をかける。うつむきがちに戻っていた彼女は、うるんだ目をぱちくりさせてクオンを見つめている。どうして?と心底不思議そうだ。

「あの……わたし、がいては……お邪魔、なのでは……」

「まさか、ご冗談を。むしろ殿下のお力添えが、絶対に必要となりますので」


 力強い声で、クオンが断言した。その時の彼の表情は、ニィナも割と見覚えのあるものだった。

 彼女の父であるバルロスに無茶振りをされ、それを完璧にこなしつつ丁寧に仕返しも織り込み終えた時の表情だ。

 ニィナも逃げられないと悟り、姿勢を正して笑い返した。こちらはちょっと引きつった、諦め混じりのものだった。

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