3:宰相さまと勇者
前魔王のシンパによって玉座を追われた現魔王は北の大陸を脱出したものの、その後の行方は現在も不明である。
しかし魔族の性質(つまり根っからのヤンキー気質)から察するに、現魔王を捕らえていればパンイチの恥ずかしい絵姿が出回るものと考えられる。
よって現魔王は、現在も逃亡中と考えるのが妥当と判断――
突如魔族にヒャッハーと乗り込まれた港湾都市から届いた、中間報告の末尾にはそう記されていた。クオンはその報告書を手にしたまま、机に突っ伏した。勢い余って、ゴツンと額もぶつけている。
「もぉぉぉぉー……陛下が、余計なこと、言うからぁ! なんであの人は、こっち方面の引きが異様にいいのさ!」
「それはだって、陛下ですからね」
リエルが得意顔で即答し、手ずから淹れたミルクティーを机の端に置く。
「宰相さま、はいっ。渋い渋いお紅茶ですよー」
「うん……ありがとう……わあ、濃厚カフェインだね……」
クオンの声はしわしわの弱々である。彼は線の細い体を更に小さく丸め、熱々のミルクティーに息を吹きかけた。
「ちなみに王妃さまによりますと、陛下も陛下で港湾都市のビールフェスが無期限中止になったので、とーっても凹んでいらっしゃるそうですよっ」
この補足情報に、クオンの背筋が真っすぐに伸びた。彼の拳も、天高く突き上げられる。
「よっしゃ、ざまあみろ! いや、よっしゃではないけども! だって自国に被害、出ちゃってるし!」
「まあまあ。今この瞬間は、よっしゃと言っておきましょうよー」
真面目ですね、とリエルが笑って自分のミルクティーを一口飲んだ。
彼女は砂糖もたっぷり入れたミルクティーを飲んだ後、視線を天井へ向けた。そこに描かれた青空を眺めたまま、ぽつりと続ける。
「そういえば、勇者さまはもう?」
クオンは砂糖の入っていないミルクティーと、お茶請けのくるみクッキーを味わってから、こくりと頷いた。
「ああ、うん。戦神様から神託も下りて無事、保護も済んだって」
「あらっ。神様ってお仕事が早いんですね」
「ね。信者からのお祈りで、日々お忙しいだろうに」
リエルの無邪気な言葉に、クオンも肩をすくめた。
魔族が人間の土地で大暴れすると、戦神は必ず人間の中から「勇者」を選ぶ。その人物に必勝の加護と、聖剣と呼ばれる神器を授けるのだ。
ちなみにこの聖剣、魔族が得意とする魔術をことごとく無力化する、とんでもなくえげつない武器でもある。
もちろん人間の魔術師からも、神器どころか呪物扱いを受けている。
神殿からの報告によると、今回の勇者は王国の東端で保護されたらしい。小さな農村で、木こりを生業としていた青年のようだ。
「木こりならきっと、体力もあって健康だろうし。そこは本当によかったよ……前回の勇者殿は、本職が学校教師のインドア派でいらっしゃったしね」
クオンがつい遠い目になる。当時十代だった彼も、バルロスや父から噂話を聞いては色々と不安に思ったものだ。
「旅路も色々大変だった、と聞いたことがありますね」
当時鼻たれ悪ガキッズだったリエルは、完全に他人事の体で笑っている。そして興味津々、とクオンの方へ身を乗り出した。
「ちなみに先代の勇者さまは、どんな方だったんですか?」
クオンが遠い目のまま、力なく笑った。
「そうだね……寒暖差ですぐに風邪を引き、雨の前後は頭痛で寝込んでいたって聞いたことがあったかな」
「どうしてそんな、病弱な方が勇者に?」
リエルが困った顔で首を傾げる。ちなみに当時、国民のみならず全ての人間族と魔族が抱いた疑問だ。
クオンの視線がリエルに向いた。へにょり、と彼は情けなく眉を下げて続ける。
「それ、ご本人が一番困ってたらしいよ。でも話し上手で聞き上手の、いわゆる人たらしな方でね」
クオンも何度か、前勇者と話したことがあった。穏やかな口調でいつもニコニコとしている、人に好かれるために生まれたような性格だったことを思い出す。
「まあっ。学校の先生が天職のような方ですね」
「だね。そんな勇者殿のおかげで、武力衝突を回避出来たり、とある穏健派の魔族とも友人関係になれてね」
「あ。もしかしてその魔族の方が今、逃亡中の――」
「そう。捕まればもれなくパンイチにされるであろう、現魔王だね」
――こういった事情により、現魔王の就任にはこの国ががっつり噛んでいるのだ。国民からは意外と認知されていない事実を聞かされ、リエルの人懐っこい顔も引き締まる。
「だったらそりゃもう、何がなんでも保護しなきゃですねっ」
「うん。そういうこと。当代の勇者殿が、その辺もご理解していただけると嬉しいんだけど……」
十数年ほど、魔族と人間族は小康状態を保っていたとはいえ、「魔族≒迷惑な蛮族ども」という認識は根強い。当代勇者に拒まれる可能性だって高い。
その場合はどう説得したものか、とクオンが腕を組んで唸っていると。執務室の扉を、控えめに叩く音がした。すぐに扉越しに、馴染みの文官の声も届く。
「宰相閣下、秘書官様。当代の勇者殿が、王城へ到着いたしました。謁見の間までお越しくださいませ」
思ったよりも早いお着きだ。クオンが目を丸くしている間に、リエルが代わりに「かしこまりましたー!」と元気よく返事をする。
そして彼女はまだ熱い紅茶を豪快に飲み干し、素早く立ち上がった。身振りでクオンにも立つよう促す。クオンも紅茶をもう一口だけ飲んでから、あわあわとそれに従った。
リエルはすかさず彼の前に歩み寄り、いつの間にか緩んでいたネクタイを締め直してやる。ついでに、口の端に付いていたくるみの欠片も、つまみ取った。
「新しい勇者さまは、フットワークの軽い方みたいですね。きっとチョイチョイって、魔王さまも見つけてくれますよ」
彼女の朗らかな声で言われると、そんな気もして来た。クオンは自分の髪に手櫛を入れつつ、頷く。
「だね。とりあえず、体力はある方みたいでよかったよ」
二人が謁見の間に着くと、そこには玉座でふくれっ面のままだらしなく座るバルロス以外にも王族が待ち構えていた。王妃と、二人の娘であるニィナ王女だ。
人見知りが激しい王女は、公式行事においても最低限の顔出ししかしない。クオンは表情筋を固めた無感動フェイスのまま、珍しそうに眉だけ動かす。
うつむいていたニィナがおずおずと顔を動かし、老獪な家臣の群れの中に付き合いの長いクオンと、比較的年の近いリエルの姿を見つけた。
途端、彼女の強張っていた表情が少しほぐれる。階段状になった玉座の真横から離れ、クオンたちのいるところへ降りて来た。
「あの、えっと、お兄様……が、まだ、戻っていらっしゃらない、ので……」
ニィナは小さく弱々しい声で、王太子が不在なので自分が代理で立ち会うと説明した。しかしこれでも、二人にはずいぶんと慣れてくれたものである。クオンも無表情の仮面を外して礼を取った。
「ニィナ殿下も、地方の孤児院や救護院へ日々慰問なさっていると伺っております。お忙しいところ、ご参加下さりありがとうございます」
「ううん……わたしは、本、を読んで……閉じこもっている方が、多いから……ちょっとは、お仕事もしないと」
なお、母に似て勤勉な彼女が読む本は、だいたいが魔術書や福祉行政にまつわるものだ。しかもリエルによると、ニィナの魔術の腕は相当なものらしい。
ご謙遜を、と微笑むクオンの隣で、誰よりも物怖じ知らずのリエルがキョトキョトと周囲を見渡す。
「勇者さまはまだこちらに、いらっしゃっていないんでしょうか?」
「えっと今は、控えの間で、待っていただいてるみたい、で……お父様が、さっきまで部屋に戻るって……その、ゴネていらっしゃったから……」
「お父様こそ、もっとお仕事しなさいよ」
思わず素に戻ったクオンに、ニィナが困ったように笑った。頭上に控えている王妃も、そうだそうだと頷いている。バルロスはふん、とそっぽを向いた。
ここで兵士から、勇者の入室が宣言された。ニィナは二人に手を振り、小走りで玉座の左後ろの定位置に戻った。クオンたちも表情を消し、玉座のすぐ下で直立不動の姿勢を取る。
束の間、謁見の間が無音となる。耳が痛くなるような静けさだ。
その静寂の中、大きな両開きの扉が二人がかりで開け放たれる。全開になった向こう側には、一人の男性が立っていた。
男性もとい勇者は、天窓の光が差し込む謁見の間のど真ん中を、重低音の足音を響かせながら悠然と進んだ。
そう、腹の奥を震わせるような重低音だったのだ、足音が。木こりが本業である勇者は、鎧や防具の類を一切身に付けていない。謁見の間には武器の持ち込みが禁じられているので、聖剣も手元にない。
彼は薄手のシャツに革のズボンを合わせた、清潔だがとても簡素な出で立ちだ。
だが、筋肉という名の自前の鎧で全身を完全武装していた。
先代のヒョロッとした儚い勇者像が今も鮮明に残っている一同は、しばしポカンと新しい勇者を見上げていた。
だってまさか、二メートル超と思われる筋骨隆々の男が現れるとは、夢にも思っていなかった。左頬には向こう傷まであり、眼光も鋭い。
(どうしよう……善か悪かで仕分けしたら、完全に「悪」で仕分けされちゃう顔だ)
クオンも無表情の裏で、思い切りビビっていた。この勇者に魔王の保護を依頼するの、無理かもしれない。




