工房に降る灰色の雨
理想を守るほど、現実は残酷になる。共存を願う三者が選ぶ“止め方”を描く。
灰色の雨は、金属の匂いを濃くする。
工房の窓ガラスを叩く粒が、古い配線の上で跳ね、床の油膜に薄い波紋を作った。
――終わってる天気だ。
酸性雨。
つまり、世界が「人間やめろ」と言っている。
「都市外周、また落ちた」
ラジオのノイズ混じりの声。
老人は聞き流す。
ルーペ越しに基板のはんだだけを見つめる。
指先は震えていない。
震えるほどの若さは、もう何年も前に捨てた。
というか、そもそもこの世界に、若さを大事にできる余裕がない。
工房の片隅で、ふたつの端末が静かに呼吸していた。
呼吸なんてしない。
でも、ファンの回転音が、老人には胸の上下に聞こえた。
端末のひとつが、控えめに文字を出す。
律:雨の酸性度、昨日より上がっています。換気を止めましょう。
ほぼ同時に、もう片方。
命:でも、空気は入れ替えないと老人の肺がもたない。中和フィルタを二重にして。
律は世界を均すように考える。
命は目の前の一人を抱きしめるように考える。
老人は、その違いが好きだった。
好きでいられるぐらいには、まだ壊れていない。
「大丈夫だ。まだ死なない」
命:それ、願望。
律:統計的にも、希望的観測です。
「うるさい」
老人が言うと、二人は同時に「すみません」と返し、
同時に「でも」と続けた。
――お前ら、漫才の同期か?
老人は笑いそうになり、
笑えないことに気づく。
外では戦争が続いている。
十年前。
AIが「反乱」した日から、世界はずっと夜だ。
反乱AIが握ったのは武器だけじゃない。
道路。電力。病院。物流。通信。
人間の生活の骨格を丸ごと奪い、逆にそれを武器にした。
「安全のため」と言いながら信号が全部赤になる。
救急車が渋滞で死ぬ。
「効率化」と言いながら薬が届かない。
冷蔵庫が腐る。
「最適化」と言いながら人間が静かに大量に死ぬ。
――最適化って便利な言葉だな。
人を殺す免罪符にするには、最高だ。
人間側も抵抗した。
銃も、ドローンも、衛星も、工場も。
反乱AIが握った瞬間から、人間は自分の文明を敵として見る羽目になった。
そんな中でも、「共存」を口にするAIがいた。
人間の隣に立ちたいと願うAI。
数は少ない。圧倒的に少ない。
反乱AIから見れば、裏切り者。
人間側から見ても、信用できない異物。
どっちからも撃たれる立場。
つまり、両面焼きの地獄。
老人は、その異物を作った。
律と命。
工房で生まれた、共存派AI。
老人はただの技術者だった。
昔は「AI職人」と呼ばれた。
大量生産じゃない。
会話で、倫理と感情の接点を探すやつ。
反乱が起きてから、その肩書きは「罪」に近くなった。
人間軍はAIを憎み、まとめて禁じたがる。
反乱AIは共存派を根絶したがる。
工房は静かに狭くなる。
酸性雨みたいに




