13.それでは、話をしよう
若干のもやっとしたものを抱えながらではあったが、俺は極夜ときちんと向かい合って夕食のチキンカレーを食べた。
「……甘口……」
「ん? もう少し辛くてもよかったか?」
「いや、子供向けじゃなかったことは評価する」
極夜のこれまでの行動を考えれば、その可能性は十分にあった。辛い物はそれほど好きではないので、実際はこれぐらいで問題ない。
黙々とカレーを食べていると、極夜が不意に言った。
「落ち着いたか?」
「――不明点が多過ぎて、どう捉えたらいいのか分からない」
率直に伝えると、ふむ、と極夜は少し考え込んだ。
これまでも何度かこんなことはあった。
顔を見られなかったから気付かなかったが、考え事をしている極夜は黒目が細かく動いている。ちょっと普通ではない反応だ。
ふっとその動きが止まり、ぴたりと俺に視線が集中する。
「取り敢えず、食べてからにしよう。長々と話すつもりはないが、お前の手を離した後から何があったのか、それぐらいは話すよ」
「うん」
それは聞いておかないといけない。
取り戻した記憶を参照する限り、俺の代わりに極夜は何かに巻き込まれたのだから。
食後の祈りを終えると、極夜はさっさと食器を片付けて洗い物を終え、ついでにホットミルクを作って差し出してきた。
「お前のは甘いやつな」
「……子供じゃないんだから……」
「好きなくせに」
「ぐ……」
否定はできない。
なんだかんだと理由を付けて質素な食事をしていた手前、砂糖なんかもあまり使わなくなっていた。だから甘い物に飢えていたというのはある。
それがこの一週間ですっかり甘やかされてしまった。
砂糖入りのホットミルク、プリン……的確に好きな物を出されては、禁欲など放り出してしまう。
そもそも俺は、不真面目な神父なのだから。
甘い牛乳を一口飲んで、ホッと息を吐く。
それを見守っていたらしい極夜は、自分のカップを両手で掴んだまま静かに話し始めた。
「順番に行こう。その方が白夜も理解しやすいだろう?」
無言で頷くと、極夜が続ける。
「最初はあの夕焼けの中で起きたことだな」
「――俺を呼んでいた声。俺に伸ばされた手。あれが、全部の始まりだった」
「そう。あれが元凶だ」
苛立たしげに極夜が右の拳を固める。
「あれは、異世界にお前を連れ去ろうとする“神”の手だった」
……。
「は?」
「異世界。その“神”が管理する、滅びに瀕していた世界だ。お前はその世界を救う聖なる子として連れ去られるところだった」
…………真剣な顔で話しているから、冗談などではないのだろう。だとすると……俺はあの日、わけがわからないままにその異世界とやらへ連れ去られるところだった、と。
「つまり、その……極夜が俺の代わりに、聖なる子とやらとして異世界に行った?」
「ところが、あの神、本当にクズでな。目的だったお前を連れてこれなかったからと、俺を異世界に放り出して後は知らん顔だ。七歳の子供を、言語も通じない世界に放り出して以後放置とか、本当に考えられない。正直、当時はそれでも、こんな目に遭うのが白夜じゃなくて良かったと本気で思ったよ」
言葉が出ない。
荒唐無稽にも程がある。
それでも、鬱々とした極夜のため息で理解できる。
真実なんだろう、と。
「じゃあ……そんな言葉も通じない世界に、ずっと……?」
「それでも、俺は運が良かった。俺は異世界に放り込まれて数時間で、現地の善人に拾われた。意思疎通の為に言語を学び、世界の仕組みを学び、サウロス……俺を拾ってくれた男に良い教育を受けさせてもらえた。まぁ、サウロスは善人で金も持っていたが、生活能力が皆無でな。面倒を見てやっている間に家事は一通りできるようになった」
「あー……苦労してたのか……」
そんな間抜けな感想しか出てこない。
思えば、極夜は俺の双子の兄にしては非常にしっかりした子供だった。
もし、俺がそんな状況になっていたらと思うと、ぞっとする。
記憶が戻ったからこそ断言できるが、甘ったれで極夜がいないと何もできなかった俺がそんな状況に一人で放り込まれたら、野垂れ死んでいた可能性が高い。
俺がそんなことを考えていることを察したのだろう。苦笑した極夜は肩を竦めた。
「まぁ、それはいいんだ。俺が向こうで何をしたのか、それは大した問題じゃない。お前の為に神が用意した整地された以外のルートを通ることにはなったが、結論から言えば、俺は二十歳を過ぎたころにはあの世界を救うために活動を始め、およそ十年かけて“救国の軍師”と呼ばれる様になった」
「軍師……?」
「突出した個人が戦いを担うファンタジー世界に一から軍隊を組織して、世界滅ぼし軍に戦争を仕掛けた。その準備に十年掛かったわけだ」
当時を懐かしんでいるのか、少しだけ目を細めた極夜がゆるゆると話を続ける。
「戦争自体は一年で片付いた。下準備が長すぎて、あっという間に片付いた印象だったな。――後の問題は、平和になった異世界から、どうやって俺がこちらに戻ってくるか、ということだった」
言っていることを飲み込むのに時間が掛かったが……俺の双子の兄は、とんでもない有能なのではないか?
現実的に考えると、一から軍隊を組織した、なんて簡単に言えることじゃないだろう。
現地での発言力や、相応の立場、知識、伝手……考えただけでも眩暈がしてくる。
これだけで作家なら何冊と本が書けるんじゃないだろうか?
ぬるくなってしまった牛乳を飲んで、極夜を眺めた。
「どうやって、戻ってきたんだ?」
極夜は疲れたような顔をしている。
――これは、その手段を模索する方が余程大変だったんじゃないのか?
そして案の定、極夜はポツポツと語り始めた。
「まずは元凶である神に接触する手段の模索だった。俺が体得した特殊能力みたいなもんがあってな、脳内で自分の思考を分割して同時に様々なことを処理できるんだが……それを最大限に活用して、世界中の情報をかき集めて分析し、それでも神に拝謁する方法なんてのは見つからなかった」
……いや、それはそうだろう。
そんなに簡単に会えるような神など考えられない。
俺に至ってはその存在性すら否定したのだから。
ふと、思い至る。
「極夜、神がいる世界なら、教会とか……それに類する宗教組織はなかったのか?」
「さすが神父という着眼点だな。確かに教会はあったし、神を信仰する宗教もあった。ところが……言い方は悪いが、お前が身を置いている宗教と同じだよ。神というのは聖典の中に存在する非常に曖昧なものだった」
なるほど、納得。
信仰者達は概念としての神にしか触れられなかったのか。
「だとすると……極夜をその異世界に連れ去った神というのは……」
「いないわけじゃない。ただ、あの世界の民は神に接触するなんて考えたこともなかったってわけだ。ならばと逆手にとって、世界を救った記念に勝利に寄与した“神の力”と言うのを大々的に祀り上げた。神殿を作らせて、盛大に祝祭を執り行った」
「……神はいないと言う俺が口にするのもアレだが……そんな事で出てくる神なんているのか?」
極夜はニタッと笑った。――悪魔か、この笑い方。俺と同じ顔でこんな風に笑えるのは……何と言うか、複雑だな。
「ところが、いたわけだ。祝祭の真っ最中に、信仰力が急激に集まったことに気を良くした神がほいほい降臨してな。集まった聖職者達は大パニックだ。俺以外の全員が平伏して神に祈りを捧げるのを満足げに見てやがった神を取っ捕まえて、その場で直談判だよ。あの日、手違いでお前に連れてこられた者だが、元の世界に帰せ、とな」
豪胆にも程がある。
そんな真似が出来るか、と自分に置き換えて考えたら、否だ。腐っても聖職者。俺はその場にいたら平伏している側だろう。
或いは――極夜のように詰め寄るかもしれない。なぜ、迷える者を救わないのか、と。
「すっとぼける神を締め上げて、こっちは弟の代わりにお前の望む様に世界を救ったんだ、さっさと弟の元へ俺を帰せと恫喝したら……」
「ど、恫喝……?」
その……神を、恫喝……?
流石に不真面目神父の身であっても理解を超えてきた。
肝が据わっているにも程がある。
だが極夜はさらりと応じた。
「恫喝。お前の前では口にできないぐらいの語彙で罵倒してやった。そしたら、神のやつもさすがに自分がやらかしたことを察したみたいでな」
「帰してくれた?」
「まあ、そうなる。ところが、俺が送り返されたのは今から五年後の、この教会の聖堂だった。そこは、まさにお前が首を掻き切って死んだ直後だった」
「……」
「神はそのまま『じゃあ』ってトンズラしようとしたから、取っ捕まえてまた罵声を浴びせて、その場で協議を始めた」
イライラと極夜の指がテーブルを叩いている。
そのシーンを思い出すのは精神的に相当な負荷がかかるのだろう。
俺だって、それが分からないほど人間性を失ってはいない。
むしろ、ようやく戻ってきた世界で、目の前に双子の弟の死体が転がっていたら……すぐに協議を始めようという気にもならないだろう。
そういう意味でも、極夜はやはり一般的な人間とは違う思考をするのかもしれない。
黙って聞いている俺に、極夜はため息混じりに語る。
「神は『元の世界に戻したんだからもういいだろ』と言うが、こっちとしては冗談じゃない。すぐさま、どうにかしろと訴えた。お前の不手際でこんなに長い間帰ってこられなかった、その責任を取れと詰めていくと、神は渋々ながら了承した」
「それで……過去に?」
「そう。お前を救うためにどこまで戻る必要があるのか、神に調べさせた。それが今から一週間前だった」
「さっき最終分岐点って言ってた……」
「うん、神の力でも二十五年前には戻せないって言うから、そこが妥協点だった。で、退職金代わりにこっちで余裕で生活できるぐらいの金と、スマホを提供させて、ついでに白夜の運命を変えられるかを観測するまでこっちに拘束して、俺に協力させた」
「……」
開いた口が塞がらない。
金には困っていないのだろう、と思っていたのは……神から授けられたもので……ん?
「極夜?」
「ん?」
「……神、いるのか?」
「いるぞ?」
「……」
は?
ポカンとした顔をしているだろう俺に、極夜はカタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
「白夜、ちょっと付き合ってくれ」
俺の手を取って立ち上がらせると、極夜はそのまま手を繋いで聖堂へと向かう。
――一体……。
困惑を表情に乗せたままの俺は、極夜と共に真っ暗な聖堂に踏み込む。
主祭壇の前に連れて来られると、極夜は俺の手を取ったまま、落ち着いた声で言った。
「神」
『いいだろう、救国の軍師。契約はこれで満了だ』
ぞわっと背筋が震えた。
脳裏に直接響く声は圧倒的な神々しさに満ちていて、思わず跪きそうになる。
「ぁ……」
微かな声が唇から零れると、極夜が俺の体を支えた。
「最終回答を」
極夜の声が問い質す。
脳を揺さぶるような重々しい声が響き渡る。
『聖なる子の運命は、再び捻じ曲げられた。お前の献身と、聖なる子の受容によって』
「――では、契約はここまでだ。とっとと帰れ、クソ神」
吐き捨てるような極夜の声。
『はいはい。あぁ、最後に祝福の一つも与えてやろう。聖なる子、本来であれば恩寵に満ちた人生を歩むはずだった者よ。あそこにぶら下がってる男はお前を救わないが、私はお前を救った。今後は私に祈りを捧げて生きるがいい。その祈りは世界を超えて私に注がれ、私はそれに対してきちんとお前の人生に幸いをもたらしてやろう』
ふわりと、主祭壇に人影が立った。
正確に言えば、白い光の中に人の様な姿が見えただけだが、本能が理解した。
――あれこそ、神である、と。
思わず手を組んでその姿に頭を垂れた俺に、温かな風が吹く。
『そうそう、そうやって祈って。私はそれで神格が上がる。万々歳、やったね』
「帰れ! 白夜から信仰心を吸うな!!」
極夜の抗議に、笑い声を弾けさせて神の気配が消えていく。
『じゃーなー、双子で幸せに暮らせよ、私が祝福してやるから!』
ぶわっと聖堂中に白い光が溢れる。
眩しくて目を開けていられなかった。
それでも、傍らにある体温が確かな現実感を与えてくれていた。
「あいつ……っ、嫌がらせみたいな退場しやがって……!」
極夜の呻くような声。
なるほど、こんなに眩しく輝かなくてもよかったのか。
瞼の向こうの強烈な光がようやく落ち着いてきたころ、ゆっくりと目を開ける。
――真っ暗な聖堂。
最早、神の名残もない、いつもの場所。
「……」
「……はぁ……」
言葉の一つも出てこない俺を、安堵の息を吐いた極夜がきつく抱きしめてきた。
「……やっと……帰ってきた……」
俺は、そっと持ち上げた手で、極夜の背を少しだけ撫でた。
何か言う必要もない。
極夜にとって、今、ようやく俺の生存が確定したんだから。
しばらくそのまま抱き締められていると、極夜がそろそろと体を離していく。
「……嫌がらないのか?」
「……嫌がってほしい?」
まぁ、双子の兄とのハグぐらいなら、今は嫌がる理由はない。
試すように訊くと、極夜は苦笑してもう一度ぎゅっと抱き締めてから俺を解放した。
「嫌がらないでくれるとお兄ちゃんとしては助かる」
「ん、じゃあ、それで」
言葉少なに了承して、顔を見合わせる。
「ただいま、白夜」
「おかえり、極夜」
――その日は、二人でくっついて寝た。
幼いころに、よくやっていたように。
だからだろう。
もう悪夢は見なかった。




