第2話:揺れる思い
《新人入れ替え戦:永依 愛美 vs 日向 葵》
その文字を見たとき、心臓が跳ねた。
何かの間違いじゃないかと目をこすり、もう一度ディスプレイを見つめ直す。けれど、文字は消えなかった。
(嘘……葵?)
永依 愛美の脳内に、いくつもの記憶がよみがえる。高校時代の教室、並んで歩いた放課後の道、夏祭りの浴衣姿。
親友。誰よりも信じていた人。
(なんで……なんで、葵が……)
思考がぐちゃぐちゃにかき乱される。
目の前がかすみ、喉が詰まったように呼吸が浅くなる。
そのとき――
「呼吸が不安定。心拍数上昇。軽度のパニック反応が検知されました。鎮静プロトコルを提案します」
唐突に、耳の奥から声が響いた。無機質なのに、はっきりとした言葉。
「……誰……?」
振り向くが、誰もいない。部屋には愛美しかいないはずだ。
(今の……聞こえた? 私、誰かに……?)
その瞬間、目の前にふわりと浮かび上がる何かがあった。
光の粒が集まり、幾何学模様のようなUIが宙に浮かんでいる。
(これ……何?)
「初期起動完了。あなたに配備されたゴッドウェポン、“スパークル”です。本日より連携を開始します」
「ご、ゴッドウェポン……? ちょっと、待って……今、私に話しかけてるの?」
愛美は椅子から立ち上がり、後ずさった。浮かぶ光のUIから距離をとる。
(幻覚? 夢? 何なのこれ……誰かのトラップ?)
「状況は正常です。あなたの意志を基に、戦闘補助を開始するためのリンクを構築中です。恐れる必要はありません」
恐れるなと言われても、恐怖と困惑で頭がいっぱいだった。
だが、その声は妙に落ち着いていて、心の奥まで響いてくる。
(これ……私のゴッドウェポン? でも、なんで喋るの? ゴットウェポンって武器とか何かでしょ?)
「なんで私の頭の中で喋ってるの……? ……なんで……」
「あなたの思考とリンクが完了しました。あなたに対応するため、適応型の発話プロトコルを使用しています」
「……何を言ってるのか、全然わからない……」
愛美は頭を抱えた。まるで、自分の意思と無関係に異常事態が次々と襲いかかってくる感覚。
(葵と戦わなきゃいけない? そして今度は……しゃべる武器?)
この数日で、あまりにも多くのことが変わりすぎていた。
“戦姫”になると決めた瞬間から、現実はどんどん非現実的になっていく。
スパークル――そう名乗った光の存在は、愛美の反応を静かに受け止めていた。
「精神状態が不安定です。しばらく沈黙モードへ移行します。必要であれば呼びかけてください」
ぱち、と光が収束して、UIは消えた。
その瞬間、部屋の静寂が戻る。
「……ちょっと……」
自分から呼びかけようとした唇が、乾いてうまく動かない。
(あれが……本当に“私のゴットウェポン”? 信じられない……)
けれど――どこかで確信があった。
“何かが始まってしまった”という、抗えない現実感。
愛美はしばらくその場から動けなかった。
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試合まで、あと七日。
心の準備をするには、長いようで、あまりに短すぎる時間だった。
「葵が、私の……相手?」
その言葉だけが、何度も頭の中でこだました。
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次の日から、愛美は施設のトレーニングルームにこもるようになった。
いつもの大学の講義も、ほとんど出席できないまま。
ただ、身体を動かしていないと――崩れてしまいそうだった。
パンチングマシン。筋トレ。シャドーボクシング。
やっていることは我流の域を出ない。それでも、汗を流していないと息ができなかった。
(葵……本当に、戦うの? なんで何も言ってくれなかったの?)
問いかけても、答えは返ってこない。
あの日、コンビニの帰り道、他愛もない話をしながら笑っていた葵の顔を思い出す。
“彼女が異能者だった”なんて、微塵も感じさせなかった。むしろ、普通すぎるほど普通だった。
(隠してたの……? ずっと?)
それが裏切りなのか、事情があったのか――分からない。
でも今は、疑念と失望と不安が、愛美の心を締めつけていた。
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四日目の夜。
誰もいないトレーニングルーム。
愛美は床に座り込んでいた。汗まみれで、何も考えられなくなるまで動き回ったあとだった。
ふと、あの声がまた聞こえた。
「疲弊しています。心拍が通常値を超えています。休息を提案します」
「……また、あなた……」
ぼんやりと光が浮かび、例のUIが出現する。
「ほんとに……私のゴットウェポンなの?」
「そうです。あなたのために存在します」
「でも、あなた……人みたいに話す」
「必要に応じて、あなたに適応しています。それが最適だと判断しました」
「それって……あなたが勝手に考えて動いてるってこと?」
「あなたの反応をもとに行動指針を組み替えています」
言っている意味の半分も理解できない。でも――
「……変な感じだね。気味悪いっていうか……」
「不快に感じるなら、沈黙します」
「……いや、ちょっと待って。まだ“嫌”って決めたわけじゃない。……けど……」
スパークルの光が、一瞬だけ揺れた気がした。まるで返事を待つように。
「……しばらく、距離取らせて。今は、ちょっと……誰も信用できないから」
「了解しました。必要なときに、いつでも呼んでください」
その言葉を最後に、光はふっと消えた。
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試合まで、あと三日。
愛美の中にはまだ答えがなかった。
けれど、戦いの火蓋は、確実に切って落とされようとしていた。