第03話:「異端の席、完璧な鎖」
『チッ。相変わらず、薄っぺらい詠唱だぜ』
思考に直接響く熱のこもった、しかし辛辣な相棒の声に、ハイクは小さく息をついた。
彼の居場所は、教壇から最も遠い教室の隅。
貴族たちが集う高貴な空間にポツンと設けられた『特別観察席』と銘打たれた、透明な檻の中だ。
周囲からの好奇と侮蔑、そして僅かな警戒の視線を全身に浴びながら、彼は壇上で行われている「公式の見本」を眺めていた。
壇上に立つのは、高位貴族の嫡男、エルス=ヴァルディア。
彼が従える高性能な『詠唱支援精霊』の完璧な補佐を受け、煌びやかな金細工の詠唱端末を通して神域へと“発信”されたばかりの言葉――。
『「燃え上がる焔よ、我が名に応えて舞い上がれ」だと? ……テンプレートそのものじゃねぇか』
エルスの傍らで淡く光る人型の精霊が、彼の口元にそっと何かを囁く。
まるで、最も神に“ウケる”とされる模範的な構文を耳打ちしているかのようだ。
『見ろよハイク。ありゃ詠唱じゃねぇ、答えの丸写しだ。魂を縛る“完璧な鎖”ってやつさ』
VOXが「魂の鎖」と揶揄する『詠唱支援精霊』。
彼らは詠唱者の言葉を、神々の好みに合わせて保守的で美しいだけのテンプレートに調律してしまう。
失敗しない代わりに、誰の心にも突き刺さらない、空っぽの言葉に。
数万のフォロワーを持つエルスの演目「火花落下式」は、まさにその典型だった。
「エルス様! 今回の『火花落下式』も、まさに神々に愛される形式美でした!」
「寸分の狂いもない構文、そしてあの霊妙な演出……さすがヴァルディア家のご子息ですわ!」
クラスメイトの称賛の声が響く。
この世界では、神々の『イイネ』は火力に変わる。
『コメント』は加護に変わる。
『シェア』は拡散に変わる。
詠唱は『評価』されるためのものであり、神々に『評価』される言葉 こそが全てなのだ。
神々――見えざる観客たちが沈黙の中でその言葉を『評価』し、その気まぐれな、あるいは残酷な『評価』こそが、詠唱の全てを決定づける。
(あの詠唱は、きっと誰かの本質を揺さぶることはないんだろうな……)
ハイクは静かに考える。
かつて『運命を司る神』が、数百年にわたりいかなる詠唱にも反応しなかったのは、他ならぬ「精霊による完璧に調律された構文詠唱、テンプレート化された演目に対し、“結果が見えすぎている”という理由で興味を失って」いたからだ。
その時、教壇の教師がハイクに視線を向けた。
「ではハイク。貴様の詠唱についてだが……詠唱支援精霊を持たないお前が、いかにして魔法を発動させたか。その仕組みは我々にも不明だ」
特権意識を持つ貴族の一員である教師の言葉には、不快感が滲んでいた。
フォロワーゼロの庶民が詠唱端末も持たずに魔法を発動した事実。
それは、この世界の『制度の根幹』を否定しかねない異常事態なのだ。
「だが、お前が魔法を発動したことは確認されている。詠唱権は貴族にのみ与えられているが、状況が状況だ。我々も精査が必要だ。……いや、その必要もないか」
教師は一度言葉を切り、氷のような声で宣告した。
「ハイク、貴様には今この場で、その『詠唱』を披露してもらう!」
ざわめきが、教室に広がる。
庶民が、貴族の前で詠唱を披露する?
ありえない。
「……面白い。見せてもらうとしよう、庶民。貴様の“言葉”が、神々に届くのかどうかをな」
侮蔑と好奇が入り混じったエルス=ヴァルディアの言葉。
それはハイクにとって、単なる挑発ではなく、自らの存在意義を問う挑戦状のように響いた。
教室の喧騒が、ふっと遠のく。
ハイクはただ、まっすぐにエルスを見つめ返した。
(――ああ、そうか)
胸の中に、冷えた鉄がストンと落ちるような、不思議な静けさが訪れる。
課題、貴族のプライド、世界のルール。
そんなものは、どうでもよかった。
やるべきことは、一つだけだ。