聖女じゃなくても、君が必要だと言ってくれたのに
私はずっと不安だった。
『聖女』として与えられた能力は、いつか消えてしまうのでないかと――。
縁本 はる16歳。二年前、ごく普通の中学生だった私は、突然異世界に召喚された。
異世界ものの小説が好きでよく読んでいたこともあり、召喚された直後は比較的落ち着いていられたと思う。
しかし、さすがに家に帰れないと言われた時は泣き崩れてしまった。
そんな時、真っ先に寄り添い慰めてくれたトゥレイルド王国の第二王子、マーカス・トゥレイルドに惹かれたのは無理もないことだった。
この世界の聖女としての役割は、『浄化』である。なんとこの世界には黒いモヤを纏う魔物という生物がいて、その魔物によって負傷すると傷口から黒いモヤが入り込み、肉体を徐々に腐らせていくのだ。
そこで聖女の浄化の出番だ。聖女は魔物により負傷した者たちへ治るよう祈ると、体から虹色の光が溢れ出し、黒いモヤを消滅させるだけでなく、どんなに深い傷も治癒することができた。
ただ不思議なことに、魔物以外の傷には効果はなく、その場合は傷の治療の専門家である治癒師に頼むことになる。
治癒能力のあるものは教育機関へ通い、体の構造や能力の使い方を学ぶ必要があるのだが、聖女は祈ることで能力を発揮できたので、すぐさま聖女としての役割を与えられることになった。
突然異世界に召喚され、聖女としての役割を与えられたことにモヤモヤした気持ちはあるが、必死に魔物と戦う兵士や冒険者、被害に遭う住民を見て見ぬ振りはできず、ハルは自身の役割を果たすため黙々と人々を治療し続けていくのだった。
それから一年が経った頃、惹かれていたマーカスから婚約者にと請われ相思相愛となり、この世界での居場所がやっとできたような安心感と幸福を感じるハルだったが、それと同時に、召喚されてから今までずっと不安に思っていたあることが頭を占めるようになった。
その状態のまま、マーカスの婚約者になってさらに一年が経ち、召喚された日から数えて二年が経ったある日、ついに一人では抱えきれなくなり、ハルはずっと不安だった胸の内をマーカスに話すことにした。
第二王子の婚約者になってからは、聖女としての役割の他に、貴族としてのマナーも学ぶことになったため、レッスン後は復習も兼ねてマーカスとのティータイムが日課になっていた。
いつもだったらマーカスの美しい白金の髪や、宝石のように澄んだ緑の瞳を近くで見ながら歓談をしていたけれど、時間が経てば経つほど言いにくくなるのが分かっていたので、ハルは席に着くなり思い切って話を切り出すことにした。
「……あの、ね、マーカス」
「?どうしたんだい、ハル」
「もし……もしもね?私の、私にある聖女の能力が、なくなってしまったら……私は、マーカスに釣り合わない、よね……」
本当は単刀直入に私のことがいらなくなるかどうか聞こうとしていたのに、いざ言おうとすると怖気づいてしまった。つい遠回しな言い方をしてしまった私を見たマーカスは、わかっているかのように小さく笑いかけてくれた。
「……ふふっ、深刻な顔をしてどうしたのかと思っていたら、そんなことを心配していたの?」
「そ、そんなこと……?」
「はははっ、だってそうじゃないか。私が聖女の力目当てでハルを好きになったと思っているってことだろう?違うよハル、私はあなたの内面に惹かれたんだ」
「……えっ?」
「こちらの世界に来て心細い思いをしているだろうに、一生懸命聖女としての役割を担ってくれた。そんなハルを見ているうちに、私は惹かれていったんだ。当時まだ14歳だった君に、かなり負担をかけてしまっていたね。ハルのおかげで私達は安心して暮らせるようになったんだ。ありがとう。ハルがもし聖女じゃなくても、私は君が必要だよ」
「……くっ、う、ううっ……」
今まで抱えていた不安が涙とともに流れていく気がした。こわかった。もし聖女じゃなくなれば、マーカスは離れてしまうんじゃないか、価値のない私の居場所はなくなってしまうんじゃないか、異世界で孤独な私は、力がなくなればただの人になってしまう。この力が当たり前のものだとは思えなくて、ずっとずっと恐ろしかったのだ。マーカスが聖女ではない私を見てくれたことがわかって、やっと心が落ち着いていく。
ぼろぼろ涙を流す私に、マーカスは微笑みながらハンカチで涙を拭き、落ち着くまで背中をさすってくれた。
――しかし程なくして、私は突然聖女の力を失ってしまった――。
始めは無理が祟ったのだろうと休息を与えられたが、能力を無くして一週間が経つ頃にはさすがにおかしいと、聖女についての日誌や資料などがかき集められ、あれこれと調べてもらったが原因はわからず、その間にも魔物による負傷者は出ているため、ハルは役に立てない申し訳なさや、次第に周りから冷たい視線で見られていることに気づいて怯えるようになった。
マーカスは時々様子を見に来てくれたが、一週間、二週間と過ぎて行くうちに、徐々に会う頻度が減っていった。王族としての公務もあるので仕方のないことだとは思うが、ハルの心を落ち着かせてくれるのはマーカスしかいないので、会えない日々はとても辛かった。
「今日もマーカスに会えなかったな……」
精神的に参ってしまったハルは食も細くなり、この一ヶ月ですっかり痩せてしまった。人の視線が恐ろしくなってからは部屋に閉じこもるようになり、筋力も落ちて最近はベッドで生活することが多くなっていた。
今日もいつものように見るともなくぼーっと窓の外を眺めていると、廊下へ続くドアから微かに声が聞こえてきた。何となくマーカスのような気がして、苦労しながらベッドから降り、覚束ない足取りでドアまでたどり着くと、恐らく部屋から少し離れた廊下に立ち止まっただろうマーカスの声が小さく聞こえてきた。ドアを開ければマーカスに会えるけれど、今のハルは起きたばかりの寝衣姿に髪の毛もボサボサ、こんな格好をマーカスに見られたくはないので、せめて声だけでも聞きたいと思ったハルは、そっとドアに耳を当てた。
「ところでマーカス殿下、今日は聖女様の様子を見にこちらへ?」
「ん?いいや。これから寄るところが近いから通っただけさ」
「そうでしたか。聖女様はその……今も?」
「ああ、あれはもうダメだろうね。また初めからやり直しかな」
「いやはや、また召喚せねばなりませんな」
ドッドッドッドッドッ――
心臓の鼓動がうるさいくらい強く感じる。
アレ?あれって何のこと?あれはもうダメってどういうこと?また召喚?またってなんなの?
体から力が抜けそのまま床へ崩れ落ちる。幸いなことに、ふかふかなカーペットが敷かれていたため、ドアの向こうにいるマーカスやその相手に聞かれることも、怪我をすることもなかった。
「あぁ……もう、ダメなんだ」
頭の中はぐちゃぐちゃなはずなのに、どこか冷静に考えている自分がいる。
マーカスの言うあれは私、また召喚ってことは、召喚自体はいつでもできる?
わかっていることは、もう私の存在価値はないということ。
「ははっ……聖女じゃなかったら用はないってことね」
嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき
ここへ召喚されてから、流されるままに聖女の役割をこなしてきたけれど、よくよく考えたらここの国しか知らないし、当時14歳だった孤独なハルを、マーカスが依存するよう仕向けるのは簡単なことだっただろう。軽い調子でやり直しなんて言っていたし、こういうことを何度も繰り返しているのかもしれない。
「ここにいたら、私は用済みで処分されるの……?」
今はマーカスへの怒りより、自分が助かる道を考えないといけない。当然、もうこの国にはいられないので他国に行くしかない。とは言え、痩せ細った女が一人で苦労して他国へ行っても、その国の治安が悪かった場合、ただの人になった私は酷い目にあうか、そのまま野垂れ死ぬだけだろう。
「なにか……なにか役に立つことは……あっ」
そこでふと、貴族としての教育を受けていた時のことを思い出した。
マナーのレッスンの他に、他国について学ぶ時間もあり、その時の教師が心底嫌そうに話していた国を思い出したのだ。
「リベルテ国なら……」
教師の話ではリベルテ国に身分差はなく、さらに実力もあればとても良い待遇で暮らせる国らしい。教師は貴族だったので、身分差がないのはあり得ないらしく、実力で上に行けるとはなんて野蛮な国だと眉を顰めていたのを思い出す。
ハルにとって身分差がないのはありがたい。今の私は能力が何もない普通の人間でしかない。
マーカスの話を聞く限り、私はもう不要でこの後処分されるのだろう。あの話を聞いた感じでは、あまり猶予はないのかもしれない。
おかしいとは思っていた。
人々を治療する時、私はいつもベールを被せられていた。しかも声も出してはいけないとも言われていたのだ。聖女は神聖な存在だから、無闇に話してはいけないのだ。とか言われていたが。
そうか、聖女の能力がなくなって処分した後、また別の聖女を何食わぬ顔で入れ替えるためだったのか。私が二年で能力を失ったから、大体二年毎に入れ替えているとして、こうも頻繁に聖女の入れ替わりがバレると、人々に何かしらの不信感を与えかねないとかそういう考えがあるのかもしれない。
知ったことではないが。
「でもこれは使える」
顔を晒していないので、この国の住民にバレることなく国から出ることができる。また、この世界にも黒髪に茶色の瞳の人はどこにでもいるので目立つ心配もない。
入国には審査が必要だが、出国はただ国境門から出るだけでいいのだ。
そうと決まればすぐに行動しなければ。正直、筋力も落ちてしまったし、ちゃんと食事を摂っていなかったせいでフラフラするが、いつ処分されるかわからないので体調を整える余裕はない。
気合いで立ち上がると、早速持っている服の中で一番シンプルなワンピースに着替え、歩きやすいヒールの低い靴に履き替えた後、聖女の時に渡されていた聖女費という名の給料を斜めがけバッグに入れ、そっと廊下に出る。
能力を失ってからは護衛がつくことはなくなり、今までは食事や入浴をする際、甲斐甲斐しく世話をしてくれていた専属侍女さえも、今では呼び鈴を鳴らさなければ来てくれなくなってしまった。
廊下を歩いている途中、侍女に会ったが素知らぬ顔で通り過ぎていく。内心は視線が恐ろしくて心臓がバクバクしていた。
「はあぁぁ……こわかった……」
怪訝な顔をされた気がしたが、声をかけてくることはなかった。おそらく、そこら辺の庭へ散策に出かけたとでも思ったのだろう。
思っていたよりもあっさり城から出られたので、少し拍子抜けしてしまったが、この機を逃す手はない。少しでも栄養を摂るため、街の屋台で食べやすくカットされた果物を買い、食べながらトゥレイルド国から出る国境門を目指す。
ワンピースだと心許ないので洋服屋に寄り、男物の服と帽子を試着したまま買い取ると、髪の毛をまとめて帽子の中に隠し、パッと見ただけでは女だと気づかれないようにした。ありがたいことに、お店の店主は男装した私を見ても態度を変えることなく、むしろ店を出る時に「気をつけてね」と優しい言葉をかけてくれた。
あとは長旅になるので、大量に日持ちする食料が欲しい。男装しているので大丈夫だとは思うが、一つのお店で食料を買い込むと私の捜索が始まった時に特定されやすくなると思い、念の為食料は色々なお店で少しずつ買って行くことにした。
「ふぅー。……さすがに疲れちゃったな」
これ以上歩くのは体力的にきつい。どうしようか悩んでいる時、ちょうどこの国を出る乗合馬車を見つけ、それに乗ることにした。
すでに乗合馬車には二人の客が乗っていた。軽く会釈し、二人とは少し離れた場所に腰を下ろす。暫くするとゆっくり馬車が動き出した。
こうしてハルは、あっさりトゥレイルド国から出ることができたのだった。
ーーハルが国を出て一日が経った頃。
「なぜ誰も気づかなかったんだっ!!」
城にはマーカスの怒鳴り声が響いていた。
丸一日ハルの失踪に誰も気付かなかったのは、聖女の能力がなくなったハルに対して、気を配る人がいなかったからだ。昨日侍女は、夕食の時間や入浴の時間にハルから呼び鈴が鳴らなくても、今日は食べないんだな、もう休んだのだろう。と勝手に判断して様子も見ずに放っていたのだ。
「くそっ!!あの話聞かれていたのか!?」
部屋から少し離れていたし、ベットにいるから聞こえないだろうと思っていたのが間違いだったか。
せっかく次の召喚の日取りも決まり、あれを処分しようと思っていたのに。
聖女の交換については王族と側近、口の堅い聖女の専属侍女だけが知っていた。召喚する聖女の能力は大体二年程度になってきたが、時々能力が消えたはずの聖女が、しばらくしてまた能力を使えるようになる事例を聞いたことがあったので、様子見でハルを処分していなかった。が、こんなことになるなら早めに処分しておくべきだったか。
代々聖女の婚約者は、王になれない第二王子以下の王族が務めてきた。洗練されていない女と、婚約者のフリをするのは苦痛なので適当な教育係をつけさせたが、失敗だったな。教育係は聖女の交代の秘密を知らないので、余計な知識も与えてしまったかもしれない。
「考えても仕方ないな。どうにかして見つけ出さないと」
次の聖女を迎える為には、今の聖女を消さないと召喚できない。昔聖女がいる状態で召喚魔法を発動してみたが、どれも不発に終わっている。
やはり聖女は特別な存在なのだろう。私からすると、異世界から来たただの気味の悪い存在だが。
もし他国にでも行かれたら面倒なことになる。
聖女召喚をしているのは、この国だけなのだから。
「うわぁ〜!!ここがリベルテ国かぁ」
乗合馬車を乗り継ぎ20日間。お尻の痛みと戦い続け、漸く辿り着いたリベルテ国の景色を見て、思わず痛みも忘れて見惚れてしまった。
トゥレイルド国の街並みは石造りだったのに対し、リベルテ国は石造りの家だけでなく、木材や、レンガなどを使った様々な家が建ち、それが絶妙にバランスよく配置されていて情緒にあふれ、屋台などは種類が豊富で思わず観光客丸出しで浮かれてしまった。
少し見ただけでもわかる、リベルテ国は人々の笑顔が溢れるとても賑やかな国だった。
馬車旅の間にハルの精神状態は落ち着いていき、まだ痩せてはいるが食欲も戻り、あの時と比べてすっかり顔色が良くなった。他人の視線の恐怖も、トゥレイルド国から離れるうちに、薄れていった。まだ色々と見て回りたかったが、体力が持たないのでまた今度観光しに行こう。今は仕事を見つけることに集中しなければ。
「うわぁーん!!」
意識を切り替え移動しようとしたその時、子供の泣き声が前方から聞こえてきた。進行方向だったこともあり、流れるまま声のする方へ近づいていくと、5歳位の子供が膝から血を流して泣いているのが見えた。どうやら近くに親らしい人はないみたいだ。周りの人は気遣わしげな顔で子供を見てはいるが、助ける素振りはない。
聖女の力はなくなったが、応急処置くらいはできる。怖がらせないようにそっと子供に近づき、しゃがみ込んで目を合わせる。
「大丈夫?膝を怪我しちゃったんだね。近くにお父さんとかお母さんはいる?」
「ぐっ、ひっく、い、いないの」
「そっか。その怪我、私に見せてくれるかな?」
「……うっ、うん」
まだ口をつけていなかった革袋の水で子供の膝の汚れを落とし、ハンカチで傷口を巻いていく。
「早く良くなりますように」
今はただの人、聖女だったとしても魔物以外の傷には祈りの効果はない。しかし、この子の痛みが早く良くなるようにとつい癖で祈ってしまった。
その後は子供を探していた母親が来て事情を知ると、ハンカチを弁償させてほしいと言われたがこちらが勝手にやった事だし、特に思い入れのないものなので気にしないで欲しいと伝える。
ハルはお母さんに会えて笑顔になった子供を見て嬉しくなった。それに、聖女じゃなくても人の役に立てたことで、ハルの心は少し救われた気持ちになったのだった。
「本当にありがとうございました」
「お兄ちゃんありがとう。さようなら!」
「どういたしまして。さようなら」
子供の母親はハルに感謝の言葉を伝え、子供を叱りつつもしっかり手を繋いで去っていく親子を笑顔で見送った。
「さてっ、お仕事探さなきゃ……」
「子供を助けたそこの君、少し待ってくれないか」
一歩を踏み出す前に、今度は後ろから声をかけられた。子供を助けたって言われたからたぶん私のことだろう。一体なんだと振り向くと、黒髪にサファイアのような瞳の美青年が、真剣な顔で私を見ていた。
「え、と?私、ですか?」
「ああ。すまないが、少し聞きたいことがある。あそこのレストランで話を聞いてくれないだろうか。もちろん、食事は奢る。好きなものを頼んでくれ」
なんだか少し偉そうな口調だか、悪い人ではなさそうだ。たぶん。正直仕事が決まってない中、タダで食事ができるのは大変魅力的だ。
「……わかり、ました」
「ありがとう」
ハルの返事を聞いた途端、どこからか茶髪の男性が現れ、黒髪の男性の側に寄るとレストランの方へ案内を始めた。
「どうぞ」
茶髪の男性がレストランの扉を開き、私と黒髪の男性が入ると、茶髪の男性はお店へ入らず扉の外で待機した。
「あー、彼は護衛みたいなものだから気にしないでくれ」
「……」
(護衛ってなに?この人偉そうな感じだし貴族とかなのかな?)
頭に様々な疑問が浮かんだが聞く勇気もなく、そのまま黙って着いていく。
奥まった所にある個室に入り、促されるまま席に着いたハルは黒髪の男性の様子を伺う。視線に気づいた黒髪の男性は、少し目を見開き申し訳なさそうな表情で口を開いた。
「すまない、自己紹介がまだだったな。私の名前はシリル・サージュだ」
「あ、私は……ハル、です」
偽名も考えたが、この国で私のことを知っている人はいないだろうと思ったのと、なんとなく嘘はつかない方がいいと思い、一応名字は伏せて名前だけ名乗ることにした。
その後は遠慮なく食べたいものを頼み、すぐに話し出す様子もなかったので、暫く食事を堪能してお腹が落ち着いてきた頃、シリルは食事の手を止めた。
「単刀直入に聞くが、君は聖女だな?」
「っ!!」
思わずピシリと体が固まってしまった私を見て確信したのか、目を細めて見つめると小さく息を吐いた。
「あの国は未だに聖女召喚をやっている傲慢で怠惰な国だな」
「え……?」
そこで聞かされた話は、ハルには信じられない、信じたくないものだった。
この世界はピュリフィリアという女神が創ったとされていて、元々は神殿にいる神官が女神の神託を受け、聖女召喚の日取りなどを国王に伝える役割を担っていた。しかし、およそ100年ほど前のトゥレイルド国の国王は、神殿が聖女の召喚について決める事の煩わしさや、国のトップである自分より、民が神殿に頼る姿に敵対心を燃やした結果、国王は城で勝手に聖女召喚をやり始め、神殿からくる神託すらも無視していたらしい。
そうして好き勝手に聖女の召喚をしていたトゥレイルドの国王やその他の貴族達は、始めは皆聖女に感謝し、丁重なもてなしをしていた。しかし、何十年と経つうちにそれが当たり前の存在となり、突然召喚されて不安な心を王子が慰める事で依存させ、捨てられないように必死な聖女を、まるで物のように扱うようになった。
その間神殿はなんとか女神の神託や聖女を守ろうと行動したが、そもそも城に入れず、無理に押し入ろうとすれば、国に反逆する者として捕えようとする始末。せめてもの抵抗として、様々な国の神殿へトゥレイルド国の聖女への扱いを広めていった。
その結果、各国から非難の手紙が届いたトゥレイルドの国王は怒り狂ったが、神殿の繋がりが予想以上に広いことを知り、報復を恐れた国王は無視するに留めた。
それから暫くすると、突然聖女の能力が消えてしまう現象が起き始めた。
それはトゥレイルド国だけでなく、他の国の聖女も同様だった。今まで聖女の浄化に頼っていたため国中パニック状態になったが、その後すぐ神殿から神託が下ったことで事態は終息―――するどころかより最悪の事態へ向かうことになった。
その神託は、
『汝らは聖女をモノのように扱うようになった。これから先、聖女の能力は失われていく。大事にしていればすぐに失われる事はないだろう。だがいずれ聖女の浄化能力は消える。我の愛し子らを傷つけた報いを受けよ』
というもので、各国は速やかに聖女に対してこれまで以上に丁重なもてなしをするようになった。そして、いずれ来る聖女の能力の消失に備えてそれぞれが連携し、浄化能力の代わりになる物を探す為の研究が始まった。
「そんなことがあったんですね。……あれ、でもトゥレイルド国は浄化能力の研究なんてしてませんでしたよ?」
「……その国だけなんだ。未だに聖女を召喚しているのは」
「え……」
「ここリベルテ国や周辺の国なんかは、信託を受けた日から研究を続け、約30年前には聖女の代わりとなる、浄化効果のある薬を発明したんだ。今聖女を召喚している国は、トゥレイルド国だけだと言われている」
「そんな……」
目の前が真っ暗になる。私は何のためにこの世界に来たの?聖女召喚はトゥレイルド国だけって何?他の国は、聖女を必要としない方法をすでに見つけている。私は最初から必要のない存在だった。なんで?私は一体何の為にこの世界に来たの?
「わ、わたし、何のためにこの世界に来たの?……かえりたい……かえりたいよぉ……」
涙が溢れて止まらない。家族にもう会えないと知って絶望して、でもこの世界の人は私の能力が必要で、それが私の存在意義だったのに。寂しくても辛くても、今まで頑張ってこれたのに。
どれだけ泣いたんだろう。ようやくハルは、自分が初対面の相手に醜態を晒したことに気づき、恥ずかしさで顔が熱くなった。
「……取り乱してしまって、すみませんでした」
「いや。落ち着いたか?」
こんなに泣いたのは、マーカスの前で泣いたあの時以来だ。きっとマーカスだったら、あの時のように涙を拭いてくれて、背中をさすってくれるだろう。心は冷めながら。
呆れるでも嫌な顔をするでもなく、初対面の私にこうして落ち着くまで寄り添ってくれたシリルさんの優しさが、今の私にはとても有り難かった。
「ハル、このおしぼりで目を冷やすといい」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「いや、いきなりこんな話を聞かされて辛くないわけがない。すまなかった。少し気が急いでいた」
「いえ……」
おしぼりで目を冷やしながら、ふとハルは気になっていた事をシリルさんに聞くことにした。
「そういえばシリルさん、なぜあの時私が聖女だとわかったんですか?」
「あぁ、それは私の能力なんだ。リベルテ国には様々な種族がいて、それぞれ能力を活かしながら暮らしている。ちなみに私は、『鑑定』能力と『氷魔法』が使えたから、国で魔術師という職務に就いている」
「そんな能力や魔法があるんですね」
「……トゥレイルド国は、聖女に対して随分ぞんざいな扱いだったんだな」
「今ならそう思います。私は知らないことが多すぎるって」
「……あの国はクソだな」
「?」
何か小さな声でシリルさんが言ったが、聞き取れなかった。それより先ほどの言葉が気になる。
「あの、シリルさんの能力の『鑑定』は私を見た時に『聖女』って出たんでしょうか」
「正確には『女神ピュリフィリアの愛し子』だったな」
「愛し子……。なんで異世界から呼んだの……自分の世界から召喚すればいいのに」
「そうだな。しかし、女神にもどうやら干渉できる範囲や制限などがあるらしい。異世界から召喚されるのも何か理由があるんだろう。……ハルや、他の聖女にとっては迷惑以外の何者でもないが」
少しびっくりした。まさかこの世界の住人が、女神を悪く言うなんて思ってもみなかった。ハルや他の聖女を想って言ってくれた、その気遣いが嬉しかった。
「ふふっ。そんな事言ってくれるとは思いませんでした。」
「今まで聖女に甘えてきたこの世界が悪いんだ。自分の世界なら、自分達でなんとかするのが当たり前だ」
それからデザートが運ばれてきたのでシリルさんと話しながら食べ進めていく。するとまた驚くことを告げられるのだった。
それは、そもそもあの乗合馬車は私を保護するために用意していたもので、あの時乗っていた2人はシリルさんと護衛の方だったこと。様々な国がトゥレイルド国の現状を把握していて監視していたこと。聖女の私が能力を失い、あの国に酷い扱いをされる前にリベルテ国が保護しようと動いていたこと。私のことを守ろうと動いてくれていたなんて、思っても見なかった。
「えっと、私が動かなくても保護されていたってことですか?」
「あぁ、そのつもりだったが、ハルに動いてもらって結果的には良かったんだ。聖女の部屋へ行くまでの警備が固くてな……正面突破は外交的な問題が……もしかしたら間に合わなかったかもしれない」
私が城から出た時は警備が甘かった気がするが、たまたま運が良かったんだろうか。少し不思議に思ったが、それよりも間に合わなかったかもと言われてドキリとする。
「それって……殺されていた……?」
「……その国に一人聖女がいると、新たな聖女は召喚できないんだ」
もしあの時の会話を聞いていなかったら、私はこの世から消えていたのかもしれない。じわじわ理解するに従って恐怖心が湧いてくる。
「そ、それって……今までの人はこ、ころさ」
「いや、殺される前に儚くなってしまったそうだ。大丈夫、大丈夫だ。君はもうあの国に行く事はない。それに、神官が『あの国はもう終わりだ。召喚はもうできぬ』と女神から信託を受けたそうだ。あの国は近いうちに崩壊する」
殺された人はいないと聞いてホッとはしたが、きっとハルのように使えなくなった途端、扱いが酷くなったのだろう。儚くなったのはきっと、私みたいに心が耐えられなくなってしまったからだ。心の中で、今までの聖女達が心穏やかでいますようにと祈るのだった。
「私を始末しようとしたマーカスは、冷酷な人だったんですね。それに気づかない私って……見る目ないです」
「そんな事はない。あいつは外面だけはいいからな。騙される人は多いだろう」
監視をしていた彼が言うのならそうなのだろう。この短い時間ですっかりシリルさんを信じてしまう私は、やはりちょろいのだろうかと自嘲してしまう。
けれど、捨てられないように必死だった時の私ではない、今の私の気持ちを信じたいと思った。
「さて、長々と話してしまったな。ハル、君さえ良ければリベルテ国でその能力を活かさないか?」
「私、もう聖女の能力はないですよ?」
「ああ、別に能力がないと住めない国ではないぞ?君の今までの働きぶりを神官達も見守っていたんだ。ぜひ、君の誠実さを神殿で活かさないか?」
「……ぐっ、は、い……っ」
あれだけ泣いたのにまた涙が溢れて止まらない。やっと、やっと見つかった。私自身を見てくれる人達はいたんだ。
嬉しくて流す涙は、今までの悲しみを洗い流してくれるかのようだった。
―――ハルがリベルテ国へ着いた頃、トゥレイルド国は―――
「うわあああ!」
「助けてぇぇ!!聖女様はどこ?!」
「王様達が聖女様を隠してるんじゃねえのか?!」
「やだ!!死にたくないよぉ……」
聖女がいなくなってから、魔物による被害は増えていき、事態を重く見たトゥレイルド国の神殿長は王族には伝えず、秘密裏に他国の神殿へ助けを求めた。そのおかげもあり、聖女の浄化と同じ効果をもつ薬を譲り受け、なんとか住民達の魔物による怪我を治していた。しかし、聖女不在の不信感は膨らんでいき、とうとう王族が聖女を隠しているのではないかと、不満が爆発したのだった。
「この国はもう終わりじゃのう。今代聖女様が無事に逃げられていればよいが……。私達で、罪の無い住民達は救わねば」
神殿長はチラリと城を見てため息をつくと、魔物により負傷した住民達の元へと向かうのだった。
「こんなはずでは……こんなはずではなかった!!」
髪を掻きむしり、手当たり次第物を投げているマーカスは、ハルが消えてからすっかり本性が出ており、優美さとはかけ離れた姿になっていた。
ハルが消えてから一日過ぎた日、マーカスはとても楽観的に考えていた。たったの一日、あの状態のアイツならすぐに見つかるだろうと。それがどうだ、もう20日も経っている。食料品を買い込んでいるだろうとしらみ潰しに探させたが、そもそも女で買う物はいてもそれらしい人物はおらず、食料を買い込む人物もいないとのことだった。ならばもういないのかと期待して召喚をしてみても、新しい聖女が出てくることはなかった。
そうこうするうちに国王から呼び出しがかかり、聖女失踪の責を問われた結果、謹慎処分になってしまった。
「クソおおおお!!アイツがっ!!アイツさえ見つかれば!!」
自業自得。責任転嫁に夢中になっていたマーカスは気づけなかった。小さな隙間から入ってきた蜘蛛が、マーカスの手首についたことに。
黒いモヤを纏った小さな蜘蛛に―――
チクリ
「いっ!……へ?黒い、モヤ?……あ、ああ!ああああ!!たすっ、たすけっ……て」
住民達が負傷した時のモヤの広がりが、とても遅く感じるほどに、マーカスについた黒いモヤはものすごい速さで腕から肩、肩から首へと広がっていった。
不思議なことに、黒いモヤを纏った魔物は、最小でうさぎ程の大きさまでしか発見されていない。しかも、黒いモヤが広がる速さも異常であった。
――その小さな蜘蛛は、いつの間にか消えていた。
「ハルっ!ハルたすけ……」
ぼろぼろと黒く変色した部分から崩れ落ち、誰にも気づかれないままマーカスは―――
「あいつもバカなことを……」
マーカスのその後の報告を聞いたシリルは、ハルに伝えるつもりはさらさらなかった。伝えればあの優しいハルのことだ、気に病むかもしれない。あんな奴の事を考える時間は無駄だ。ハルには穏やかに過ごしてもらいたい。
休憩時間になり、ハルの様子を見に行ってみると、神殿の窓をせっせと拭くハルの姿がみえた。
「なんだ、また自ら窓拭きなんてしているのか?」
「あっ!シリルさんこんにちは。えっと……神殿の皆さんが、そんな事しなくて良いって言うんですけど、私はもう聖女じゃないし、下っ端から始めようと思って」
「ハルは相変わらず真面目だな。無理はするなよ。ところで、私は今から休憩なんだが、お茶でもどうだ?」
「え、でも、私窓拭き」
「窓拭きなら僕がやっておきますので!!どうぞ休憩なさってください!!」
「ひっ!わ、わかりましたっ」
突然出てきた神官の一人に被せ気味で言われ、ビビりながらハルは掃除道具を渡し、シリルと共に神殿を後にする。
「最近できた喫茶店があるんだが、そこでいいか?」
「はい!どんなデザートがあるのか楽しみです」
「ふふっ、君は素直でいいな」
「……っ」
シリルさんの笑った顔をみて、頬が熱くなるのを慌てて隠しながら、改めて私自身を見てくれるシリルさんや、この国に恩返しがしたいと強く思うのだった。
「どうした?頬が赤くなっている」
「なんでもないですっ!早く行きましょう!」
聖女じゃなくても、私を必要としてくれる人はいる。私はこの世界で精一杯生きていくんだ。
泣いても笑っても、人生は一度きりなのだから。