89.聖女は罪に問われない
話が長くなりそうなんで、コーヒーくらいは淹れてやることにした。
私とシャンシャンが並んで座る。客は対面だ。
聖王国からの使者――バロウズ司祭はカップを手にして、立ち上る湯気に眉を上げる。
「おお……このフルーティーさは……いただきます。なるほど、白ワインのような高貴さを感じますね」
ちょっと良い豆しばいたら、一発で特徴を掴みやがったな。
味が分かるからといって信用に足る人物にはならんが。
元聖女がじっと司祭を見据えた。
「妹の名前を教えてください」
男はカップをテーブルに置く。
って、話の腰を折るが、私は小さく挙手した。
「なあ待てシャンシャン。貴様、生き別れの妹の名を知らんのか?」
「そういえばメイヤさんにも教えてなかったわね。自分一人で探すつもりだったから言わなかったのもあるんだけど……」
赤紫の瞳が再びバロウズに向けられた。糸目がさらに細くなり、男は言う。
「リーゼ・ホープスさん……ですね?」
シャンシャンは小さく「はい」と返した。
なるほど――
妹の名前を相手が知っているかどうか。信憑性の担保。つまりガセネタチェッカーってわけだな。
で、司祭の持ってきた話はこれにて、グッと真実味を帯びてきた。
「リーゼに会えますか?」
「ええ。貴女に会いたいと。ただ、彼女は都合により聖王都を離れることができません」
「元気に……していますよね?」
「もちろん。完全に自由というわけではありませんが、安全は保証されています」
含みのある言い方だな。
「おい貴様。シャンシャンはアレだろ。ほら……手配中だよな? 私ほどではないが」
「シャンシャン……ですか?」
「あだ名みたいなもんだ」
「お二人は大変仲睦まじいのですね」
途端に元聖女の顔が赤らんだ。「そ、そういうのではありませんから司祭様!」と、声が裏返る。焦るようなことか?
私はビシッと男の顔を指さした。
「はぐらかすな。シャンシャンが聖王都に行けば即逮捕&死刑だろうが?」
バロウズは首を左右に振る。
「いいえ。正確には手配中だった。というべきでしょう。聖王教会からの訴えは取り下げられました」
「理由も無しにか?」
「……あります」
糸目の男の表情が引き締まる。
「大司教選挙が行われました。前任が敗北し、体制変更があったのです。シャロンさんへの処分は前大司教によるものでしたから」
「あ~。あのハゲね」
ちょっと前に私が芝生を植毛してやったっけな。
ってことは、シャンシャンは晴れて自由の身って……こと?
バロウズは続けた。
「それに伴いまして、新たな大司教様はシャロンさんへの処分を不当と判断し、これを是正する流れとなりました。また、第一級聖女への再認定と名誉回復にも努めるとのこと」
「あ、あたしの名誉を?」
「貴女の草の根活動を多く市井の人々は支持し、署名し嘆願したのです。声が届いたのですよ」
聖女らしく、困窮する者に無償で施しを続けてきたシャンシャン。
どうにも前の大司教とはそりが合わなかったっぽいしな。
「前大司教の方針もありましたが、聖女の力を高く『売ろう』としていた者たちは、全員二階級の降格処分を受けました。今や、聖王国に第一級聖女は貴女しか……シャロン・ホープスさんしかおりません」
話が本当ならシャンシャンは大手を振って聖王国に戻れるな。
妹とも再会できて、めでたしめでたし。ハッピーエンドってね。
ちらり少女の顔を見る。
俯いていた。前髪に隠れて、どんな表情なのかもわからない。
そりゃそうよな。いきなりが過ぎる。手のひらクルクルも良いところだ。
私は立ち上がった。糸目の司祭を上から押さえつけるように睨む。
「んで、貴様はどういう立ち位置なんだ? 中立だとかほざかんよな?」
「大司教選挙においては、一票を握る枢機卿の立場です。が、確かに完全なる中立とは言いがたいですね。前任の大司教は嫌いでした。あれは政治屋ですから」
大人しそうに見えてポロッと出した本音が生々しいな。
この男――バロウズが解らない。
わざわざ本人が足を運んでくるなんて。
司教も十分偉いだろうに、その中でも枢機卿となればなおさらだ。
枢機卿が大司教に相応しい人物に投票し、トップが決まる仕組みだったと思う。
聖王国なんて名前だが、ちゃんとそれらしい政治体制をしている。
王権神授でしたっけかね? 聖王が勇者の末裔なのに加えて、聖王教会が神の代行者としての王を認めることで、民衆をまとめてるんだよな。
諸侯連中もまあ、自治領で領民にデカい顔するために教会に寄進したり。持ちつ持たれつってね。
で、聖女なんていう奇跡の使い手を地元に派遣してもらうために、寄進の中に大司教宛の袖の下が加わって……。
ってなとこでしょ。シャンシャンが干されたのは、既得権益を損なわせる無償聖女(しかも有能)だったからだ。
そっかぁ。私が前の大司教の尊厳破壊したから、権力構造が書き換わっちゃったわけね。
もし教会が現在の聖王を支持しなくなったら。
別の諸侯を王と認めたら。
国、大混乱。
さすがに俗物な前の大司教よりかマシかもしれんが、私を戦争にかり出した聖王支持までは変わらんか。
司祭に訊く。
「頭がすげ変わったから、今までのことはノーカンで済むとでも?」
「生まれ変わった……とまでは言いませんが、少なくとも以前よりは正しき者が正しく評価されるようになりつつあります。ぜひ、シャロンさんにはその目で確かめてほしいのです」
動じないな。枢機卿とやら。肝が据わっていらっしゃる。
一番大事なのはシャンシャンの気持ちだ。
少女はゆっくり顔を上げた。
「妹に……会わせてください」
そっか。そうだよね。探す手間、省けたもんね。
今なら聖王国で、本来の聖女としての仕事ができるし。
元々、シャンシャンとはそういう取り決めだ。
バロウズは腰を上げた。
「わかりました。では、準備もありますので。明後日の正午に聖王都の中州に浮かぶホーリー島にお越しください。場所はわかりやすく聖神巨像の足下といたしましょう」
用件を伝え終えると、冷めだしたコーヒーを一気にあおってバロウズは「ごちそうさまでした」と一言。
背を向けた司祭にシャンシャンが声を上げる。
「あ、あのッ! メイヤさんの罪は……無かったことにはできませんか?」
「残念ですが。メイヤ・オウサーには国家反逆罪が適応されています。軍部と国の判断です。裁判で教会から弁護人を出廷させることはできますが、減刑が叶ったとしても終身刑は免れられません」
「そ、そう……なんですね」
少女のふんわりな金髪がしょんぼりしゅんと、しぼんでしまった。
私はシャンシャンの頭をわしゃわしゃ撫でる。
「ちょ! いきなり! もう! ただでさえもっさりしがちなのにくしゃくしゃじゃない!」
「私のことを気にするな」
「メイヤさん……」
はてさて――
バロウズ枢機卿の言葉だけを信じて、送り出していいのやら。




