87.目が覚めて……(カゲ視点)
目が覚めるとそこは……ログハウス風の一室だった。
テーブルをベッド代わりに寝かされていたらしい。
敷布は柔らかい羊毛のラグで、同じ上掛けがされていた。
枕もふかふかだ。
女の子の声がする。
「来客用のベッド代わりになるソファーがあるといいかも」
「シャンシャンよ。基本的に刺客以外の客が来ないだろ。もてなし方もほら、アレだし。永遠にあの世でくつろいでもらうタイプのだし」
聞き覚えのある男の言葉に安堵する。
師匠だ。
二人はまだ、俺が意識を取り戻したのに気づいていない。
このまま話を盗み聞きするのは……卑怯に思えた。
身体を起こす。
「し、師匠……このたびは……ええと……」
「気づいたかカゲ君」
青年は目を細めた。こんな風に優しく微笑む人だったんだ。
傍らの金髪の少女もうんと頷く。
「良かったわね! メイ……ヤメイさん」
今、口ごもったような。
師匠の名前を呼ぶのに、妙な間があった。
「こちらの女性は?」
「シャンシャンだ。色々あって、今はその……ビジネスパートナーだぞ」
俺はテーブルから飛び起きると、床に正座した。
「このたびは我が命をお救いいただき、誠に感謝」
と、師匠が私の背後に回り込んで、脇の下に手をつっこみ持ち上げるようにして立たせた。
猫の抱っこの仕方が下手な人の抱き上げ方だ。
「いいや、こちらこそだぞカゲ君。私を庇って貴様は身を挺してくれたんだ」
「あ、あれは……とっさに。気づいた時には身体が勝手に動いてしまって……」
実際のところ、このお師匠様であれば刺された程度で死ぬようにも思えない。
と、ここで自分の顔のあたりがスースーして、妙に視界が良いことに気づく。
「し、師匠! 俺のメンポは!?」
「息苦しそうなんで外したぞ」
「み、見られた……顔を……」
「心配するな。シャンシャンも賞金稼ぎの類いではない」
「は、はぁ……」
二人とも俺の顔にピンと来てないようだ。公務で顔を出すことはしばしばあったが、案外、市井の人々に認知されていないものだな。
自意識過剰だったのかもしれない。なんだか、恥ずかしい。
と、胸のあたりに視線を落とす。
「ところで、俺の服は?」
「洗って乾燥させて穴は縫っておいたぞ」
部屋の隅に畳まれていた。
「か、かたじけないです。師匠。それにシャンシャン殿」
金髪をふわりと左右に振って、少女は「気にしないで」と一言。落ち着いた佇まいだ。
素敵な人だと思った。師匠の伴侶なのだろうか。
ビジネスパートナーとはいうけれど……実際、こんなにも美しく、物腰も柔らかな女性は初めてだ。
「俺の傷も貴女が?」
「いいえ、あたしじゃなくて……」
シャンシャン殿は別室のドアに視線を向けた。もう一人、いるみたいだ。
「ぜひその方にもお礼をさせてください」
「それが、ちょっと今、取り込み中で……」
師匠が「案ずるな。落ち着いたら紹介してやる。今はサッキーの方がもう、なんかね……カゲ君よりも手がつけられない感じなんよ」と、途中から独り言っぽく続けた。
なるほど。あんまり深入りしない方が良さげだな。
そっと胸を見る。
傷口になにやら紋様が浮かんでいた。
「これは、その方の治療の跡……でしょうか? 師匠?」
「うむ。が、あまり他人には見られないようにしろ」
「は、はい!」
どういった意味があるのかはわからないが、ハートマークの意匠だ。
ああ、そうか。きっと心臓を治癒したという意味に違いない。今、刺客に知られれば、この治療の痕跡が弱点だと伝えるようなものだ。
師匠はその点、抜かりなく気を引き締めろと俺に注意勧告した。
病み上がりだからといって、指導に手を抜くような御方ではない。
師匠は腕組みした。
「体力が戻るまでシャドウジャスティスの活動は控えるように」
「そ、そんな!? では、誰が街の平和を守るのですか!?」
「ここに三号がおるじゃろ」
「ええ!? あたし!?」
金髪の少女が青い瞳を丸くする。が、師匠の推挙であればきっと心配はいらないレベルの使い手なのだろう。
つまり、俺は一刻も早く体力を戻さねばならないということだ。
「何から何まで、かたじけないです。シャンシャン殿」
俺は思わず、少女の手を両手で包むように握った。
「え、ええと、気にしないで」
「すぐに復帰します。それまでどうか……頼みます」
ぶんぶんと上下に振る。と、その手に師匠が手のひらを重ねる。
三人、協力してがんばろうということだ。
「カゲ君。病み上がりで激しくグイグイ行きすぎだぞ」
「し、失礼しました。師匠、それにシャンシャン殿」
そっと手を離し、閉ざされた扉に視線を向ける。
「俺の命を救ってくれた方のお名前だけでも、せめて教えていただけませんか?」
「サッキーだ」
「サッキー殿ですね。その名、救われたこの魂に深く刻みつけました」
あれ? なんで師匠、ちょっと困った顔してるんだろう。
「大仰だぞカゲ君。さて、そろそろ魔帝都に送っていこう。家はどこだ?」
「ではブラックマーケット近辺まで」
「そうか……」
上着を着込み、準備を整える。
「では失礼します。シャンシャン殿。いずれまた、お会い出来ればと」
「え、えっと……そ、そうね」
何か困らせるようなことを言ってしまっただろうか。
「ほら行くぞカゲ君」
「はい! 師匠!」
俺は師匠の手を取る。転移魔法に巻き込まれ、身体がぐいんと引っ張られるような感覚とともに、視界がぐるりと巡って――
夜更けのブラックマーケットに降りたった。
辺りは薄暗く、人の気配もまばらだ。
反して大通り方面に続く道は活気もあり、明るい。むしろ夜からが本番という、魔帝都らしい光景だった。
師匠が俺の頭をぐしぐし撫でる。
「な、なにを!」
「いや、なんか無事で良かったって思ってな。それより、家まで送らんでいいのか?」
「家はその……」
「ああ、まあ、事情があるんだな。本当なら尾行してやるところだが……」
「そ、そればかりはご勘弁を! 命が……危険です」
「命ねぇ。さっき死にかけた貴様が、もう一度殺されかねない……か。わかった。今日はここで別れよう。元気になったら、また路地裏で私と握手だ」
「は、はい!」
師匠の差し出した手を俺はぎゅっと握り返した。
有言実行。転移魔法でフッと消える。気配も周囲から感じられない。
といったところで、師匠が本気になれば俺に気取られず尾行くらい簡単だろうけど。
どうか、本当に帰っていてほしい。俺についてきたら……師匠の命が危険なのだから。
路地裏から建物の間の細道に入り、壁を蹴って屋上まで跳ぶ。
「帰りたくないな……」
夜景の向こう――
ツインタワーキャッスルが視界に入ると、つい言葉が漏れた。
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塔の上の一室に戻り、ナイトローブに着替える。
大慌てで大型犬獣人の執事長が部屋に怒鳴り込んできた。
「弟王様! また城下を勝手に出歩いて! このままでは陛下のお耳に入るのも、時間の問題ですぞ!」
「それをなんとかごまかすのがお前の腕の見せ所だぞ」
「で、ですが!」
「声が大きい。隣の塔の兄上に……魔皇帝陛下に聞こえてしまう」
「は、はい。ですがセバスは心配で心配で……」
「三日ほど休養する。公務はすべてキャンセルだ。その間、精の付く食事の手配を頼む」
「か、かしこまりました」
執事長は来た時の勢いそのままに飛び出していった。
眼下に広がる魔帝都の明かりを見下ろす。
「師匠。どうか……俺が復帰するまで、この街の平和を頼みます」
少しふらつくな。まだ睡眠が足りないらしい。
俺は魔力灯をつけたまま、ベッドに倒れ込んだ。




