31.知識の源泉
扉に鍵はかかっていなかった。
警戒しつつ中へ。
暖炉かランタンのようなオレンジ色の優しい光に満ちていた。
通路は左右に分かれていて、緩やかなアーチを描いている。
目の前の壁が動いて、唐突に前方に道が出来上がった。
十メートルほど先――
フロアの中心に、ゆりかごのような安楽椅子がぽつり。スポットライトが当たっていて、そこだけは昼の明るさだ。
小さな影がゆらりと船をこぐように揺れている。
迷宮の主だろうか。寝具のようなふわっとしたローブ姿。
青いフードを頭から被っていて相貌は見えない。
膝上に白いアヒルがちょこんと座っていた。
シャンシャンとサッキーは私を楯にして、背中側に逃げる。
「おい貴様ら何びびってやがりますか?」
「え? びびってないわよ。全然びびってないけど? ちょっとお化けか幽霊っぽいなぁって」
不死者の相手もする元聖女が幽霊苦手とか草も生えん。
淫魔はといえば。
「サキュルもびびってないし! ただちょっと今は『見』に回ってるだけだし。戦略的なアレだから!」
存分にびびり散らかしておいて何言ってんの?
と、静謐を保った空間で「ぺらり」と本のページをめくる音が聞こえた。
椅子の人影は本を手にしていたようだ。
シャンシャンが振り返る。
「ね、ねえ見てメイヤさん! 壁! 本棚になってるわよ!」
通路の壁に見えていたものはブックチェストだったらしい。可動式だ。
中心部分から「ぱたん」と本を閉じる音。
と、同時に棚が列車の車両のようにレールに沿って動き出した。
相当な横着者なのだろう。椅子の人物の元に棚の一つが組み代わりスライドして前に進み出る。
アヒルが本をくわえてジタバタ羽ばたきジャンプすると、棚に押し込んだ。
透き通った氷水のような声が響く。影の小柄さも相まって、女のようだ。
「D-3113。二段目右から四冊目」
「グワッグワ!」
再び棚が動き出す。なんと横にスライドするだけでなく、棚の一部が地下に埋没。代わりに別の棚がせり上がってきた。
青いローブの女の前に別の本棚がやってきて、アヒルが指定の一冊を取り出す。
「…………」
受け取ると再び読書にふける。
どうやらここは書庫。湖の中に塔のように深く伸び、無数の蔵書が眠っている。ってところだろう。
聖王都の魔導学院には小さな城ほどの図書館があるが、読書スペースや憩いの広場に自習室といった空間があるだけ、知識の結晶純度はこちらの書庫に軍配があがりそうだ。
サキュバスが本の背表紙を指でなぞった。
「ねえねえ薄い本は? 淫魔総受け本あるかな?」
「貴様そんなものがあると思う……なっ」
中央から澄んだ声。
「Z-1919。三段目から」
淫魔の前に棚がせり上がった。
「わああ! すごいよこれ! 絶版になったアンソロじゃん! 触手責め悶絶淫魔絶頂地獄! お宝本だよぉ!」
シャンシャンの顔が真っ赤だ。
「こ、声に出さないで! って……あの人に聞こえてるの?」
これだけ静かならまあ、耳に届いていない方がおかしい。
まさかサキュルの要望まで聞いてくれるとは思わんかったが。
と――
女の揺らす安楽椅子がぴたりと止まった。本を膝においてフードを外す。
綺麗な白髪だ。色が抜けたというよりも、元来そういうものだったような絹糸の束がさらりとこぼれた。
陶器人形のような白い肌。青い瞳はガラス細工のようだった。どことなく全体が作り物じみていて精気が無い。
女の薄い唇が開く。
「君ら。そんなところに立っていても茶は出ないが。無論、座ろうと何しようともてなす用意も準備も誠意も、わたしは持ち合わせていないぞ」
声色は静かなのに高圧的な雰囲気だ。
「で、知識の源泉に何用か? 全知を司るわたしでも、人の心を知るまでには至らぬからな」
安楽椅子の置かれた床がターンテーブルのように回った。
ローブの少女と……いや、よく見ればもっと小さい。椅子がデカいのではなく、彼女が小柄すぎるようだ。
身長130㎝台の幼女と対峙する。
青い瞳がじっとこちらを値踏みした。
「君らは……ずいぶん変わった冒険者だな。たった三人で、わたしの作り上げた迷宮を踏破し赤の守護者を倒したか……。人は見かけによらぬという」
「貴様が誰かは知らんが、その足下でバタついているアヒルの飼い主なら躾てもらわねばならんのだ」
「なにを言っているのか理解不能。キングこそ我が主にして、中央平原を統べる者」
アヒルが両翼を広げて胸を張った。
フォアグラの本名が王とはこれいかに。
というか、この平原を統べるときたな。
「貴様のアヒルのおかげで、我々おもしろ家族は史上最大の財政難に陥りつつあるのだ! 高級キノコばかり食い散らかしやがって!」
「キングが領地で何をしようと問題は無かろう。なあ、君こそいったい何様なのだ?」
「自己紹介か……いいだろう。私は……」
なんて返そう。魔導学院中退とか言うのなんか恥ずかしいし。
シャンシャンが前に出た。
「こちらにおわすは聖王都の超名門。魔導学院を中退した(自称)大魔導師(住所不定無職)のメイヤ・オウサーさんよ!」
ちょっとやめてよー。全部事実じゃん。
第二長女がゆっさぷるんと胸を張る。
「メイヤはねNTRと百合の間に挟まる男と戦争を憎んでるんだ! ただ、解決方法が暴力しかない悲しき怪物でもあるんだよ! さあ、メイヤにぼてくりまわされたくなかったら、素直に屈服してへそ天服従のポーズをとるんだね!」
クゥーッ! 事実陳列罪キクゥ!
青いローブの幼女は真顔だ。
「君はどうやら残念な人物のようだな」
「黙れちびっ子。そっちこそ何者だ? 名を名乗れ」
「名はない。わたしは知識の源泉のシステムに組み込まれた歯車でしかない」
なるほど中二病か。こんな地下深くでアヒルと二人きり。本ばかり読んで人とふれあわなかったけっか、引きニートオタクのイタい子になってしまったわけだ。
さて――
どうしたもんか。