144.無敵皇帝
天を貫く光の巨塔――
大闘技場に沈黙が訪れる。
消えゆく奔流の中に、残っていた。
魔皇帝はサイドチェストのポージングで不動である。
無傷。
まさかの無傷だ。聖王と戦った時の手応えの無さとは真逆。殺しても殺しきれない相手ではなく、そもそも私の力では倒せない……のか?
巨躯がゆっくり構えを解く。
「……どうした? それが汝の限界か? 余を倒すつもりだったのではないか? 魔帝国の頂点に立とうというのではないのか?」
男は口元を緩ませた。
七色の虹彩が放つ魔眼の圧に体がこわばる。心の中で、サキュルの「魔皇帝を倒して」という願いが辛うじて、私を動かす。
まったく、冗談ではない。
終極殲滅魔法は詠唱も含め完璧だった。威力は極大破壊魔法以上だ。
通じない理由が見つからない。
完璧な奇襲で一度は魔光刃が奴の胸を貫いたのだから。
客席が沸き立つ。皇帝を殺害しようとした私は悪役のようだ。剣で胸を貫いたわけだしな。
思えば、大闘技場で戦う度に魔帝都の民から嫌われている。
逆に殺せコールが観衆たちから湧き上がり、魔皇帝が私を倒すことを世界中が望んでいるかのようだ。
「……みな汝の死を求めているな」
「事情を知らない連中だ。許してやるさ」
「……戯れ言を。終わりだ……謀反者」
瞬きする間に魔皇帝の巨体が目の前に迫った。大ぶりの力任せな拳打。
技術も洗練もほど遠い、腕だけで放つ一撃だ。本当に身のこなしにせよなんにせよ、素人の動きにしか思えない。
戦闘経験値のある相手のそれじゃないんだ。練度ゼロ。ただ、己の肉体が持つ素材のポテンシャルのみの暴力。
短距離転移で男の背後に跳び、躱す。空を切った魔皇帝の拳打はそのまま圧だけをまとって、向こう正面の壁を粉砕し客席の一部が吹き飛んだ。
あっ……これ、やばいかもしれん。
騒然、直後に観客たちから悲鳴が上がる。何人死んだか……闘技台の上からじゃ、わからん。
無関係とは言わないが、ここに集った連中だって魔帝国に暮らす者だろうに。
私を殺せと楽しげだった連中だけど、死ぬほど悪いことをしたかというと……今、この場だけに限って言えば、違うだろ。
万人単位が席をたち大パニックで入場口に殺到した。
愉快そうに魔皇帝の肩が軽く上下する。
「……ハハハ、汝が避ければ客が死ぬぞ」
「いいのか貴様。今日、この場で起こったことを知る者、全員の記憶を上書きはできんだろ」
「……謀反者を仕留めるには必要な犠牲。エイガにだけわかってもらえればいいから」
避難誘導も機能しない。そこかしこで将棋倒しが起こっている。
こちらにとっては保険のはずが、観衆の存在を逆手にとられた。
私は読み間違えたのだ。魔皇帝という男を。こいつは地位と権威を守るため、観客に手出しはしないと踏んでいた。
じゃあ、何が目的なんだ。何がしたいんだよ。
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魔帝都の元ゴクド組本家にて――
私は縁側で緑茶を飲む。急須に湯飲みの東方スタイル午後ティーだ。
ふぅと一息。ここでサキュルを利用していた裏社会のボス的な奴を釣ったんだよなぁ。
色々思い出してしまったんだが。化けて出るなよ。
と、隣に魔翼将軍カルラがちょこんと座った。
「なんだ? 茶でも飲みに来たか?」
翼をぱたんと小さく畳んでカルラはため息だ。
「あのねぇ白竜ちゃん。魔皇帝の情報……必要よね」
「別に無理に心を読む必要はないぞ。貴様は生き方を変えたいんだろ?」
「変えたいっていうか、もう変えられちゃったのよ。もう少し自覚なさい」
私と出会ったばっかりに。ってか。
「ご愁傷様だな」
「んもぅ……それに前にも言ったでしょう。近しい人の心は読まないだけで、そうでない相手……嫌われようがどうなろうが、関係ないなら必要とあらば、この力を使うって」
「まさか……魔皇帝の心を読んだのか?」
カルラはコクリと頷いた。
と、そのまま首を左右に振る。
「結論から先に言うわね。収穫無し。まるで石像の心を読み取ろうとしてるようで、アハハバカみたい」
「そうか。残念だな」
「たぶん、魔皇帝の心が動いている時にしか現れないのよ。他人にまったく興味がないのかも」
「なんでそう思うんだ?」
鳥女は胸元を腕でぎゅっと寄せてあげた。谷間が深い。
「わたくしがちょっと胸とか強調しても、ノーリアクションなんて失礼しちゃうわ。ラードンちゃんもウルヴェルンちゃんも、弟王ちゃんにも効いたのに」
「効いたのか?」
「悪いと思ったけど、自分の魅力を確認するために三人にはちょっと協力してもらいましたの♪ 不意打ちで」
こっそり悩殺止めなさいって。
しかしまあ心の動き……ねぇ。
「ちなみにヤンミンには?」
「心の中でバカバカクズクズって連呼されたわ」
あっ……はい。しかし、恐らくダンジョンコアであろう魔知将ですら、反応が出るというのに魔皇帝はスルーか。
ムッとした顔のカルラが表情を引き締める。
「過去にも、わたくしきっと興味本位で魔皇帝の心を読んだはず……けど、その記憶が無いのよね。たぶん、心を読んだあと、わたくしならきっと、なんらかのアクションをしたと思うの。『どうして陛下の心は動かないのかしら?』とか。で、不審がられてボロが出てしまった……みたいな」
「前の貴様が自分の能力を白状させられたのかもな」
「そう仮定すべきね。それっきりやろうとしてないから、記憶を上書きされた時に、魔皇帝の心を読まないように……みたいな条件を付け加えられた。こんなところでしょうね」
「じゃあ、奴も貴様の能力を知っているとみるべきか」
茶をすする。庭園の池の方から、カコーンと鹿威しの音が響いた。
「ごめんなさね白竜ちゃん。魔皇帝の戦闘記録はどこにも存在しないの。誰もが挑むことさえしていないから。過去の経歴も戦い方もなにもかも」
「記録と記憶、両面から消してんだろうな。ヤンミンも同じようなこと言ってたぞ」
あるのはせいぜい、若君が時々、魔皇帝に格闘術の稽古をつけてもらうという情報くらいだ。
だいたい片手であしらわれるという。ま、身体能力だけみても化け物でいいだろう。
弱点の一つでも見つけられりゃあなぁ。
「なあカルラ?」
「なにかしら白竜ちゃん」
「魔皇帝の夢とか野望とか目的って、心当たりないか?」
鳥女は人差し指をたててあごの辺りに当てると、首を傾げた。
「うーん……そうねぇ。魔帝国の皇帝として頂点に立ち続け、いずれ人間の王国を滅ぼし大陸を統一する……とかかしら? あっ……ごめんなさいね。人間の白竜ちゃんには、ちょっと嫌な気持ちになっちゃう言い方だったかも」
「いや構わん。気にしないでいいぞ」
ま、聖王国も魔帝国も、なんならドンパチやって滅ぼしてやろうみたいな考えはありそうだ。
元々一つかどうかも知らんけど、相容れないから二つの国に別れたんだし、バチバチしたがる層がいるのも理解できる。
問題は、双方のトップが頭戦争上等なところだ。ま、為政者ってのはそうなっちまうのかもしれんけど。
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私は極大破壊魔法を手に身構える。
「貴様は魔皇帝としてなにを守るんだ? 民を平気で傷つけて……」
「……死ぬのは弱いからだ。あの程度で大騒ぎする方がおかしい。汝も同じだろう? 余ほどではなくとも強い。弱者に辟易したのではないか?」
「強くなれない奴だっているんだよ。私だってぶっちゃけ、なんで自分が強いのかよくわからん。だからさ……思うわけよ。この力ってのは……貴様みたいなヤバイのを野放しにしないためのもんだって……なッ!」
転移魔法は使わず、魔光刃のリーチを活かして魔皇帝を袈裟斬る。
巨躯はかわすでもなく、防御の姿勢も取らず、筋肉を誇張するポージングを決めた。
一閃――
同時に光の刃は脆く崩れた。魔皇帝はポーズを維持する。反撃はないが、こちらの攻撃も通じない。
ははぁん。なるほど把握した。
こいつ、無敵ってほど無敵じゃないぞ。
人々が逃げおおせようと押し合いへし合いする中、天覧席に手を振った。
「おーい! 二人とも、ちょっと手を貸してくれ。もう試合もなにもないしな!」
一段高く仕切られたVIPシートのボックス席で、魔狼将軍と魔翼将軍が互いに視線を合わせると首を縦に振り、飛び出す。
元魔竜将軍は腕組みしたまま動かない。何もしないという約束は果たしてくれるか。
若君がウルヴェルンとカルラを追おうとする。が、ヤンミンに腕を掴まれた。
援軍は二人。闘技台に降りてくる。
「ったく、結局こうなるのかよ。高く付くぜ白竜」
狼男が腰の剣を抜く。
「共闘できる幸せ♪ お願いだからウルヴェルンちゃんは、わたくしと白竜ちゃんの足だけは引っ張らないでくださいまし」
「うるせぇ」
吠えた魔狼が私に視線を送る。
「弱点見破ったんだろうな?」
「ああ、たぶんだが……」
魔皇帝に攻撃が効く瞬間は間違いなくあった。
あとは戦況をみて、この戦いに臨む全員が各々独自判断を下していく。
勝ち筋は薄くともゼロではないと信じて。