139.若君と私
翌日の午後――
黒い魔導師風の出で立ちで短杖片手にちょちょいのちょい。
転移魔法で若君拉致って中央平原にある滝へとやってきた。
私と少年の思い出の場所だ。
流れ落ちる瀑布を見上げ、少年の目が点になる。
「し、師匠!? ここは? いや、その前に……瞬間移動ですかッ!?」
「察しがいいなカゲ君」
「その名で呼んでくれるなんて、俺、嬉しいです。もしかしてピクニックですか? こんなことなら執事のバーナードにサンドイッチを作らせたのに。紅茶も欲しいですね!」
「お嬢様か貴様は」
「ち、違います! けど、さすが師匠です。これならいつでも気晴らしに外に出られますね! しかし……まさか瞬間移動ができるなんて。どういう技なのですか!? 俺も修練すれば、できるようになりますか瞬間移動!」
「転移魔法な」
「ま、魔法!? 魔法まで使えたのですね! 体術だけでも超一流なのに!!」
私は腕組みする。
「うむ。というか、魔法が本業だ」
「そうなのですか!?」
「さっきから驚いてばかりだな」
「当然ですとも。師匠は底が知れません」
若君の私に対するリスペクトはかなりのものだ。
だからといって、魔皇帝からこちら側に引き込めるかわからない。
下手をすれば敵に回すことになる。
一番救いたい相手が、説得の最難関だった。
私はアイマスクを外す。
「師匠?」
「なーに、心配はいらん。ここは中央平原だ。魔帝国の誰も来ないさ」
「中央平原なのですか!? いけません撤退しましょう」
「何慌ててるんだ?」
「師匠! ここは敵地です! も、もしや……今から、この地を不法占拠する悪逆の魔導師を討ちにいかれるのですか!? お、俺も……お供します! 足だけは引っ張りません!」
少年は両拳をぎゅっと握りしめた。闘志剥き出しの表情だ。
「さあ、戦いましょう! ともに!」
私は身構える。
「じゃあ、やるか」
「へ? はい?」
「実はさぁ、記憶が戻ったんだよ。私がその悪逆の魔導師メイヤ・オウサーだって」
「な、なななな!? なんですって!? 師匠はヤメイという名では……」
「どう考えてもメイヤのアナグラムでしょうに。常識的に考えて」
少年の額に汗が浮かぶ。滝汗だ。あごからぽたりと雫が落ちた。
「どういうことですか……師匠? まさか魔帝国の内部に入り込み、兄上を……陛下を狙っていたというのですかッ!?」
「そうだと言ったら?」
「見過ごすわけにはいきません」
カゲ君――弟王エイガの七色の虹彩が揺れる。
「このままだと貴様のお兄ちゃんをやっちゃうよ~ん」
「師匠! ふざけないでください!」
「いや、ガチなんだが」
「どうして……信じられません」
「だよな。けどさカゲ君……いや、弟王エイガよ!」
「は、はい!」
「時々、記憶の食い違いとかなかったりしない?」
「そ、それは……老化現象かと」
「んなわけないでしょ若者が! 魔皇帝には相手の記憶を上書きする能力がある。貴様が私と魔皇帝を引き合わせた時に、私は記憶を書き換えられたのだ。そして……記憶喪失の武芸者ヤメイとなったわけだよ」
「やめてください師匠。そんな……」
震えながらも少年はファイティングポーズを崩さない。
「貴様の記憶も定期的に、かつ日常生活に支障が無い程度に上書きされている。他の四天王もだ」
「ありえません」
と、思うように。魔皇帝に臣従するように思考を操作されているのは、私も見に憶えがある。
虚構と現実を曖昧にする塩梅が、実にいやらしい。
「勝負だ弟王エイガ。私を倒して首級を上げれば、魔皇帝も喜ぶだろう」
「う、うう……」
メンタルボコボコだけど……この後物理的にもボコボコにして理解らせた。
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・
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夕暮れまでただ、ただ殴り合った。
魔法力もクソもない。
「師匠ッ! 師匠ッ! ししょおおおおおおおおおおおおおおおううう!」
「拳に迷いしかないぞ我が弟子よおおおおおおおお!」
クロスカウンターでぶん殴ると、少年は滝壺に吹っ飛んだ。
そのまま沈んでもらっちゃ困る。
急いで飛び込み、担ぎ上げる。
水を吐かせて地面に寝かせると、ペチペチほっぺたを叩いた。人工呼吸は……必要なさそうだ。
「う……うう……やっぱ……強いや……お師匠様は」
「で、どうよ」
「どう……って、言われても……俺……わかんねぇっすよ」
大の字になると少年は遠い空を見上げた。赤く焼けた向こうに夕闇が迫りつつある。
「やっぱり家族は裏切れないよな」
「当たり前です。俺にとっちゃ……たった一人の肉親なんですから」
「その記憶を辿れないか?」
少年は黙り込んだ。
が――
「……そういうものだ……って、ずっと思ってました。思い込むようにしてきました。問題もなかったし……時々、兄上が癇癪を起こすこともあったけど、魔帝国のトップっていう重責を担ってるから……って」
私は黙って耳を傾け、頷くだけにする。
「そういうのって、家族だから……俺にしかできないんだって、前向きに思うようにしてきたけど……」
「けど……なんだ?」
「先日の会食でも、兄上は……料理には万全を期しました。帝国一の料理長と相談してメニューを組んで……食材も技術も……なのに……美味しいとは言ってもらえなくて……兄上の口に合わなかっただけど我慢してきたけど……俺、悔しくて」
少年の目元から涙が伝って落ちる。
「変だなって思うことは何度もあった……ある度に、それでも兄上だからと思うようにしてきたんです」
「なんで言わないんだ?」
「言わない?」
「文句の一つも言い返していいんじゃないか?」
「兄上はこの国の皇帝なんですよ! 言えるわけ……ないじゃないですか」
「いいや、家族なら言えるはずだ。言うべきだ。もちろん、他の誰かがいるような公的な場で皇帝批判はすべきじゃないが、内々でなら言えるだろ」
若君は首を左右に振る。
「言った……はずなんです。そんな気がするのに……覚えて……ないんです」
記憶改ざんの残滓だな。
少年は伏し目がちになる。
「やっぱり……俺……記憶を……」
「嘘かどうか確かめてみないか?」
「どうやって?」
「私に任せろ」
倒れたままの少年に手を差し伸べる。
少年は――
「もし、師匠の話が嘘だったら……」
「私を倒せばいいだけの話だ」
「そんな……俺……」
「私はカゲ君の信じたものを信じるよ。もし私を悪と断ずるなら……この首を持っていけ」
「師匠……」
私の手をとって立ち上がる。
こうして――
退路は無くなった。勝つより他ない。
準備を始めよう。人事を尽くしてなんとやら……だ。




