135.魔王の系譜
魔帝都には明日、戻ることにした。
結局、魔皇帝への対処方は見つからないままだ。
夜更け。
ログハウスの自室で雑魚寝していると――
ドアが開いた。刺客……なわけないか。
私の上に……というか、腰の辺りに誰かが馬乗りになった。
またサキュルの悪ふざけだろうか。
「メイヤ……守るため……だから……許して」
少女の声が震える。薄目を開ける。
かすかに月明かりが射す室内に、淫魔の七色虹彩がぼんやり魔法力の光を帯びた。
身動きが……とれなくなった。
同じだ。魔皇帝の魔眼。だが、少し弱い。
泥の中に沈んだように身体が重くなる。が、まったく身動きが取れないとまではいかなかった。
矢印のような淫魔の尻尾が鎌首をもたげる。
それがゆっくりと伸びて私の首元にあてがわれた。
何をしようというんだろう。私を救うため? 敵意や害意や悪意は……微塵も感じない。
「うう……やっぱり……できないよメイヤ……サキュル……他の誰に嫌われてもいい。けど、メイヤにだけは……嫌われたくないよぉ」
重たい腕を伸ばして少女の頬にそっと触れる。
喉から声を絞り出す。
「嫌ったりせんから……」
「起きて……たの?」
言葉を発するのもだるい。小さく頷く。
淫魔の瞳から魔法力の光がフッと途切れた。私の頸動脈にあてがわれた尻尾の先端がしゅるしゅると少女の背側に引っ込む。
かけられた圧が消えた。
「メイヤ……ごめん……ごめんね」
触れたままの右手にサキュルの涙の雫が触れた。そっと拭うと身体を起こす。
「わ、わぁい。対面座位だぁ」
「まずは降りなさいってば」
「ええ? こ、このままでいーじゃん」
「嫌いにはならないが、グーでいくぞ」
「ひいい! わ、わかった! ジョークだよサキュバスジョーク!」
サッキーは名残惜しそうに、私の下半身の上で一度だけ妖しく腰をくねらせると、ストーブの前から撤去される猫のように、しんどそうに退いた。
二人して正座で対面状態になる。
「で、私をどうするつもりだったんだ?」
「あのね……サキュルね……ずっと秘密にしてたんだけど……」
言いづらそうだな。少し落ち着くまで待つか。
思い詰めた顔のまま、淫魔は三度深呼吸した。
うんと頷き、膝をつき合わせるように近づいて私の顔をしたからのぞき込む。
「洗脳っぽいこと出来るんだ」
あっ……はい。なんというか、納得がいった。
魔王に血統には他者を支配する的な力が宿るのかもしれない。
「私の寝込みを襲って洗脳ですか?」
「うん。サキュルの尻尾で傷をつけた相手に、言うことをきかせられるの。傷はすぐに消えちゃうから、やられた方はたぶん、何にもわかんないと思う」
けっこうおっかない力だな。ポンコツ淫魔の半分は立派に魔王の一族でした。
「そうか。で、私にこれ以上、魔帝国と関わるな……とでも?」
「こうでもしなきゃ、メイヤが危ないって思って」
「じゃあなんで一思いにやらんかった?」
「だってそれじゃあ、メイヤの記憶を上書きした魔皇帝とおんなじじゃん」
なーほーね。
サキュルは膝の上に置いた手をぎゅっと握る。
「あのねあのね……シャロンにもドラミにも、もちろんコアにもキングにも使ってないよ。だけど……魔帝国から時々送られてくる夜の刺客とかには、使ってるんだ。この力」
「だからか。貴様が来てからしばらく、暗殺者の類いがめっきり近づいてこなくなったが……守ってくれてたんだな。ありがとうな」
「え、えへへ……」
嬉しそうな恥ずかしそうな。そして、ホッとしたような混ざり合った複雑な表情だ。
淫魔は続けた。
「言えなくてごめんね。尻尾で傷をつけた相手を支配する力って……打ち明けたら嫌われちゃうって思って」
「わかるぞサッキー。いつ、その力で自分が操作されてるかとか、もうすでに何かされてるんじゃないかとか心配になるよな」
少女はうんと首を縦に振る。大ぶりな胸元も静かにたゆんとゆっさり揺れた。
「独りぼっちの時はね、この力でなんとか上手くやってきたんだ。それに……い、淫魔だけど……エッチなの怖くて」
「怖い?」
「そ、そーだよ! 処女だし! は、初めての人は……す、す、好きな人で……ずっとその人と添い遂げたいって……だからね、お客さんには悪いけど、行為の前に尻尾でチクッとしたりして……」
普段の下ネタは照れ隠しですか。複雑な子だな。
ともあれ魔王由来の特殊能力で、ずっと自分を守ってきたというわけだ。
「大変だったな。誰にも言えないで」
「本当はずっと黙ってるつもりだったんだ。狡いよね」
「別に言いたくないなら言わなくても良かったんじゃね?」
「え? で、でも」
「秘密が無い奴の方が、私はむしろうさんくさいというか……信じられんよ」
「メイヤぁ」
サキュバスの尻尾がお尻ごと左右にブリンブリンと揺れる。獲物を狙う猫が飛びかかる寸前の予備動作みたいだ。
こっちに突っ込んでくるなよ。マジで。
「サッキーは自分の出自はわからんのだよな」
「う、うん。けど……たぶんちょっとすごいんじゃないかなって。カゲ君と会った時にね、思ったんだ。同じ目だったし」
「はは~ん。貴様、カゲ君を治療していた時のことも忘れたふりですか? 女優だな」
「サキュルのチャームポイントだからね。この瞳って。珍しいし綺麗でしょ? だから、同じ目をした男の子がいてびっくりしたし。救わなきゃって思ったし。あ! 淫魔ポイントを消費して清楚になっちゃってた時のは演技じゃないからね!」
あ、そうなんだ。時々消費していいぞ、そのポイント。
「私も貴様の瞳の虹彩については、それが魔王の子孫の証と聞いている」
「ま、魔王!?」
「大物だな。魔帝国を建国した偉大なるご先祖様だぞ。誇れ」
「サキュルって魔王なの!?」
「いや、そこまでは言ってないぞ。ただ、現在の魔皇帝やカゲ君とは、遠い親戚だったりしてな」
サッキーは両手をほっぺたにあてて困り顔だ。
「そっかぁ。サキュルを産んだ人ってたぶん、さぞやセクシーダイナマイツな大淫魔なんだろうなぁ。きっとサキュルって魔王の血筋の濃い貴人と、その愛人とか第二夫人とかの隠し子的な存在なんだぁ! フウウウ! 背徳的ぃ」
腰をくねらせ尻尾もゆらゆら。まんざらでもないんかい。
「喜んでるのか?」
「魔皇帝倒したら実力的にも血統的にも、サキュルが次の皇帝に即位できるじゃん」
「そうはならんだろ。貴様、若君まで倒すつもりか?」
「ええぇ!? メイヤはカゲ君派なの?」
「当たり前だ。いいか貴様。人の上に立つってのは責任も爆上がりだし、しんどいし疲れるし心労も絶えないし、自由もないんだぞ」
「自由が……ない!?」
「釣りもキャンプも無しだ。朝から晩まで公務だなんだ。心の安まる暇なんてないし」
「じゃーやだ。メイヤと一緒の時間がないんじゃ……あ! そーだメイヤと結婚すればいいんじゃん」
「私を魔皇帝に据えるんじゃありませんよ。こっちも願い下げだ」
下乳支え腕組みから、サキュルはぷっくりほっぺたを膨らませる。
「んもーメイヤのわがまま」
「わがままなものか。まったく……」
と、ここでふと思い出した。
「ところでなんだが」
「なになにメイヤ?」
「先日私が攫ってきた魔翼将軍カルラの説得ってさぁ……もしかしてやった? やっちゃった?」
少女の尻尾がピコンと上を向く。
「う、うん。やっちゃった。説得っていうか支配っていうか。で、でも無理矢理になんないようにって! 和姦だから」
「言い方がやばいって。しかしまあ、無理矢理にならない支配ってなに?」
「え、えっとぉ……」
サキュルは前のめりになると私の耳元で囁く。
他の誰も聞いてないでしょうに。恥ずかしいってか。
「ごにょごーにょごにょごにょ」
「耳元でごにょごにょ言うのやめなさい」
「は、はぁい」
淫魔は私に語った。彼女が使った支配の力について。
すべてを聞き終える。ゆっくり少女は離れる。打ち明けてすっきりした顔である。
「って感じかな」
「なるほど。貴様、まがりなりにも魔王の系譜かもしれんな」
サキュルの能力の柔軟性に驚きつつ――
そういえば若君こと弟王エイガことカゲ君の事が思い浮かぶ。
傍系っぽいサッキーでこれだけの力があるのに、直系のはずのカゲ君には支配系の能力が無いのがちょっと気になった。
兄の魔皇帝に全部とられちゃったんですかね。支配力。