129.これでダメならもう……
苦しげに少女はうめく。
「そう……よね」
「記憶が戻らない限り……それに、なんらかの事故か……ともあれ、記憶を失った私をこの国の心ある人が助けてくれた。恩義に報いる必要がある。そうだシャーリー! 他の仲間たちとこの屋敷に来ないか?」
「え?」
「魔帝都で暮らそう。ここなら安全だ。聖王とて、魔皇帝陛下のお膝元に直接手出しはすまいて。だから中央平原に軍を進めたのだろうに」
「先に進行したのは魔帝国だったはずよ」
「どちらにせよ……だ」
シャーリーと仲間たちを保護するくらいは、私にだってできるはずだ。
少女は首を左右に振る。
「それじゃあダメなの! あたしにも……みんなにも……メイヤさんが必要なの!」
「今の私を全否定ですか貴様」
「ご、ごめんなさい。そんなつもりは……」
大きな瞳に涙が浮かぶ。
「だけど……」
「なんだ?」
「最後に……一つだけ……賭けをさせて」
「賭け……か」
「あなたの記憶を取り戻せるかもしれない手段を試したいの。無理にとは……言わないわ」
そんな今生の別れみたいな顔するなよ。
断れるわけないだろうが。
「構わん」
「ほ、本当に?」
「二言はないぞ」
少女はほっと息をついた。
「じゃあ……ええと、まずは確認ね。どうして記憶を失ったのか、今のあなたにはわからないのよね?」
「ああ、まったくさっぱりな」
シャーリーは思い詰めた顔になる。が、迷いながらも決したらしい。
「そう……うん。そうね」
「何を一人で納得してる?」
「ごめんなさい。あなたを守るためにも、言えない」
「なんだと!? 正直に吐け!」
「じゃあ言うわよ! いいの!? 覚悟の準備はできてる? もし、この事を聞いたら、上手くいってもいかなくても、もう今のぬるま湯生活ができなくなるかもしれないのよ!?」
うっ……いったい、私の何を知ってるんだこいつは。
「か、かまわん! なんかこう、引っかかる言い方されっぱなしの方が落ち着かない」
「じゃあ……教えてあげる。といっても、ある人が言ってた『仮定』のことだから、真実はわからないわ」
「もったいつけるんじゃない。このふわふわちゃんが!」
少女は小さく呼吸を整える。
「あなたの記憶を封印、もしくは奪った相手は……」
「相手は? 誰なんだ?」
「魔皇帝の可能性が高いわ」
「はあ?」
「記憶を失う前のあなたって、聖王を撃退できるくらい強い存在だったの。そんなメイヤ・オウサーが下手を打つ相手って、消去法で魔皇帝くらいしかいないわけ」
「私の記憶を陛下が……だと?」
「可能性の話よ。さすがメイヤさんとしか言えないわ。ほんの数日で魔皇帝に直接会うくらいのことはやってのけたんだもの。けど、そこで何か事件が起こった」
私は黙り込む。記憶のもやは白く濃く濁っていて判然としない。
シャーリーは続けた。
「そして、記憶喪失になった……というか、仕向けたところで飼い殺しにしているというのが現状ね」
「嘘でしょ?」
「何か思い当たる節はないかしら?」
「うーん、まあ……記憶喪失なんて初めてだし、こんなもんかなって」
「適応力ありすぎでしょ!」
概ね、彼女の言う通りだと仮定すれば、私はすっかり騙されているというわけだ。
少女は私の顔に両手を伸ばす。仮面にそっと触れる。
「これ、外してもいいわよね」
「いや、なんで?」
「人違いだったじゃ済まないでしょ?」
自分自身、何を信じていいのか揺らぎ始めていた。
「あ、ああ……構わん」
シャーリーが私の仮面をゆっくり外す。と、その表情が柔らかくなった。
「やっぱりじゃない。メイヤさんよ。どこからどうみても。こう言うと恥ずかしいけど……黙っていれば男前ね」
「はあ? ケンカか? ケンカですかぁ?」
「そういうところよ。さて……じゃあ、あたしも改めまして。元一級聖女のシャロン・ホープス。それが本当の名前。で、これから聖女の力を最大限に高めて、あなたにかけられた呪いのような力を解きます」
「それが最後の賭けなのか?」
「記憶を奪う力が未知数だから。上手くできるかわからないけど、目を閉じて……メイヤさん」
ここまできて、やっぱ無しで……とは言えないな。話を聞くと決めたのだから、最後まで身を委ねよう。
「心を落ち着けて。ゆっくり呼吸して。リラックスね」
「あ、ああ」
目を伏せ深呼吸する。自分の心音を感じる。
少女の息づかいが近づく。
「あのね……ええと……聖女の祝福でもっとも強力なのが……その……」
「どうした? 私を解呪するんだろ? やるなら早くしてくれ」
「こ、こっちにも心の準備があるの! ええと、どういうことか本当にわからないんだけど、聖なる光の魔法力を最大限に発揮するには……必要な……ことだから」
声は小さくなり、目の前の少女がそっと私に身を寄せる気配を覚えた。
「だからえっと……初めてがこんな形になっちゃうなんて……けど、これでダメだったなんていったら……許さないんだから」
触れていないのに体温が伝わる。匂いも吐息も。すぐそこまで迫る。
「エーテルドライブ……祝福魔法……強化完了……い、いくわね」
「お、お、おおう!」
「聖光呪解魔法」
囁き、念じ、唱えると同時に、何か柔らかいものが唇に触れる。
瞬間――
これがキスだと理解すると同時に、頭の中で何かが燃え上がり、意識が遠のいていった。
呪いを解く方法が少女の口づけって、光の神はバカなのか? なんにせよすごく、刺激的だ……な……。