126.メイドと暮らす魔帝都生活
日も暮れて――
白い軽鎧姿で帰宅すると、メイドのシャーリーが勝手口の玄関先まで私を出迎えた。
「お帰りなさいませ。ご主人様」
うやうやしくお辞儀までしてすまし顔。編んだ金髪をアップにして、ヘッドドレスには猫耳と……数日ですっかり見慣れた姿だ。
『うむ、ご苦労』
「お風呂になさいますか? それともお食事にします?」
『飯だな。自室で着替えてくる……あと』
「はい? なんでしょう?」
『一緒に夕飯を食べて欲しい』
「……あれ? ご主人様もしかして、寂しいんですか?」
『べ、別にそんなんじゃないが、私が食べ終わるまで貴様は待っているのだろう?』
少女は「メイドですから」と素っ気ない。
『料理が冷めるからな』
「そういうわけにはいきません……けど」
『けど……なんだ?』
「ご主人様が寂しいって素直に言ってくださるなら」
気のせいか、シャーリーの赤紫色の瞳が涙で潤んで見えた。
思い詰めた口ぶりだ。
『寂しいんで、頼むよ』
「でしたらご一緒しますね」
クッとこらえるようにしてメイドは微笑む。
なんだろう。身に覚えの無いクソデカ感情を向けられてないか?
・
・
・
キッチン隣の洋間――食卓にパンとブラウンシチューにサラダが並ぶ。着替えを終えてリラックスできる服装になったものの、私はアイマスクのままだ。
「はい、あーんしてください……って、なんかその仮面、邪魔じゃないですかご主人様?」
「貴様に顔をさらすわけにはいかんのだ。あと、シチューくらい自分で食べるから、いちいちスプーンでフーフーしないでもいいぞ」
「ええッ!? せっかくメイドさんしてあげてるのにッ!?」
どこか歪んでないか、メイド像。
自分のスプーンで深皿のシチューを口に運ぶ。
美味い。濃厚なブラウンソースは見た目ほど重くなく、それでいて香味野菜と牛肉のうま味がたっぷりと凝縮されている。
ワインの効きはほどほどに。ジャガイモはボリュームもあり、ニンジンの甘みもじんわり舌の上に広がった。
付け合わせのブロッコリーも適度なゆで加減だ。
メイドがじっと私を見つめる。
「ど、どうですか? お味の方は」
「こんなに美味いシチューは初めてだな」
「良かった。まだ、シチューの作り方は教えてもらってなかったから」
「誰にだ? 料理の先生か?」
シャーリーはじっと私の顔を見る。
「誰でもありません」
「じゃあ自己流でここまで? シャーリーは料理の天才だな」
「そ、そ、そんなことないです。えっと……料理本で学びました」
「ずいぶん本格的なレシピブックなんだな」
少女は慎ましやかな胸を張る。
「魔帝国ホテル秘伝の書ですから」
「秘伝って……市販されてるのか?」
「さ、さぁ?」
ツッコミを入れると少女は目をそらした。困るならなぜバラす。
「パンもいかがですかご主人様?」
「あ、ああ」
丸パンだ。手に持つとほのかに温もりがある。
「ちょうどご主人様が帰宅する前に焼き上がったんです」
「えらく手が込んでるな」
「お疲れのご主人様のためにって……あの、ご迷惑……でしたか?」
「ありがとうシャーリー。いただくよ」
根を詰められても逆に心配になるんだが、彼女がせっかく手作りしてくれたんだから、たとえカチカチの石みたいなパンでも……。
割ってみると丸パンの中はふっくらとしていた。やわらかい湯気とともに小麦の香りが鼻孔を駆け抜ける。
どこか……なつかしい。
口に運ぶと――
「あれ……なんでだ……」
涙がこぼれた。仮面の下の隙間を通って、頬が濡れる。自分が食べているのは本当に、ただのパンなのだろうか。
「あ、あ、あの! ご主人様!? お口に合いませんでしたか?」
「美味しいよ。こんなに美味いパンは……いつぶりだろう」
「良かった。けど、泣くなんて……ちょっとびっくり」
「人間、感動するほど美味しいと泣くんだよ」
丸パンをあっという間に平らげる。自分でも驚きだ。材料が高級だとか、焼き方がどうのとかではない。
「ご主人様。おかわりいかがです?」
「もらうよ」
二個目を割ってみる。
幸せが湯気とともに立ち上る。
「なあシャーリー」
「はい?」
「特別なパン……なのか?」
「え、ええと……酵母が自家製なんです」
「なるほどな。シャーリーの家庭の味……なんだな」
それがどうしてこんなにも心に染みるのかわからなかった。
・
・
・
元の持ち主の趣味らしく、浴槽は総檜だ。魔導給湯器から湯を張ると、浴室内が白い霧で満たされた。
仮面を外して身体をシャワーで流していると――
「ご主人様。お背中流しますね」
「ちょ! おま!」
後ろの扉が開いて浴室にバスタオルを巻いた少女が立つ。
おいおいおいおい。待て待て待て待て。
私は慌てて顔……というか、目の辺りを両手で覆い隠した。
「は~い! じゃあお背中ごしごしするんで、そのまま大人しくしててくださいね」
「うう……はい。というか貴様、急にどうした?」
「どうもしませんよぉ? ほら、リラックスリラックス」
シトラスの香る石鹸を泡立てて、少女の手が私の背中を撫でる。
「手!? 布とかじゃなくて!?」
「ダメですか? ちゃんときれいきれいにしますから。任せてください。このままマッサージもしちゃいましょうね」
少女のすべすべの手が私の広背筋や肩甲骨の隙間をすべり、脇腹を撫でて脇の下へ。
「コチョコチョコチョコチョ」
「やめなさいってばくすぐったいでしょうに!」
抵抗しようにも、顔を隠さなければならないのでやられるがままだ。
そのまま――
少女は私を背中からぎゅうっと抱きしめた。
彼女と体温を共有する密着感。
「ちょ、ちょっと……シャーリー……さん?」
「黙ってしばらく……このままでいさせて」
………………。
私は小さく頷く。
彼女の気が済むまで、大人しくすることにした。
にしても――
おっぱい、控えめですね。
・
・
・
夜半――
草木も眠らぬ魔帝都の夜。
ふと、目が覚めた。ベッド代わりの寝袋から出ると、障子張りの廊下を人影がスッと横切る。
賊か?
安眠用の布製アイマスクから、いつもの仮面につけかえて人の気配をたどる。と、それは静かに玄関から正門に向かっていった。
音を殺して後をつける。
新月の夜。人影は勝手口を通り抜けて、外から施錠した。
鍵を持っているのは私と大家と、住み込みメイドのシャーリーだけだ。
追いかけようとした瞬間――
正門の向こうに巨大な影がぶわりと膨らんだ。
突風が巻き起こり門を揺らす振動が起こる。
結い髪を解いた金髪の少女が、翼を広げたシルエットの背に乗って空を駆け抜けた。
ドラゴンだ。
竜に誘拐された? いや、そんな感じじゃない。
あっという間にドラゴンの姿は西の空へと消えてしまった。
「え? なに……ちょっと……シャーリーって……何者なの?」
夜遊び……じゃあないよな。
私に断りも無しである。悪い子ではないんだが……こんな時間にいったいどこへ?
考えていても拉致があかないが……。
「よし、見なかったことにしよう」
自分に言い聞かせて、私は自室に戻ると寝袋に潜り込んだ。




