110.頂上対決(サミット)
ツインタワーキャッスルの屋上から見下ろす魔帝都の夜――
眠らない街は魔法力の灯りに彩られ、まるで星々をちりばめた平野のようだ。
空を見上げる。大地のまぶしさに夜が薄く白んで見えた。月明かりさえも、この街では弱々しい。
風が吹き抜ける。
屋上はただ広く、四方から魔力灯が昼間のように明るく照らすほかは、何も無い。
中心に男が立っている。
ほぼ、全裸で。着衣は漆黒のビキニパンツだけだった。腹筋は八つに割れ、うす褐色の肌がどことなくオイリーにテカっていた。
筋骨隆々ムキムキマッチョマン。二メートルを越す大男だ。
髪色は濃紫で、それをオールバックにまとめていた。
近づいてみなきゃわからんが、たぶん虹彩が七色なんだろう。
表情筋が死んでいるのか、ずっと真顔だ。
私と大男の間に入って、小柄な少年が声を上げる。
「兄上! 師匠をお連れしました」
マッチョマンがニイィと白い歯を見せた。丸太みたいな腕をグイッと動かし、はち切れんばかりの胸筋を寄せてあげる。
いわゆるサイドチェストの構えである。
「はい。近くにですね兄上」
『え? ちょっとカゲ君? アレが……って言っちゃ失礼だけど、お兄さんで魔皇帝なんだよね?』
「ええ。そうですが」
『そうですが……って、今さぁ、会話してなかったよね? なんで意思疎通できてるわけ? 念話?』
「兄上は高度な肉体言語を体得しています」
マッチョマンの胸がビクビクと波打った。
「お急ぎください師匠。兄上は待たされるのが嫌いです」
『あっ……はい』
巨漢に近づく。
なんかもう、世紀末の覇王感があるな。これまでも魔族連中の中じゃ、デカいオーガやオークはいたけど、そいつらとは筋肉組織の密度感が違って見えた。
うーん、今はフェイスガードを展開してるけど、やっぱり顔をさらさないのは失礼だよな。
首元に手をかけると――
マッチョマンのポージングが変化した。
両腕をガッツポーズするみたいに上げたフロントダブルバイセップスだ。デカいのがますますデカく見えた。
「師匠、そのままで構わないと兄上は仰っています」
『まるで通訳だなカゲ君』
「ここではエイガとお呼びください」
魔皇帝が腕を下ろして横を向き、身体を軽くひねる。
「兄上それは……」
少年の表情が硬直した。先ほどの両腕を上げたポーズに比べれば、どことなく大人しく見える立ち姿なんだが……さっぱりわからん。
『お兄さんはなんて?』
「我が配下に加われ……と」
『配下? 私を家来にするってか?』
「厳密には、俺の直属の魔帝国第二軍の将に迎え入れる……と」
魔皇帝の表情が変化する。ほんのわずかに口角が上がった。穏やかだ。
再び両腕で輪を作るようにしてサイドチェスト。
「俺を鍛錬した手腕を買うと、兄上は仰っています。共に聖王国を討ち滅ぼし、この世を魔族の世界に染め上げて支配しよう……と」
まいったな。力こそ正義ってか。
私は聖王が生理的に無理なだけで、聖王国という体制まで否定はしていない。
光の神の加護の下、弱者救済を謳う教会が機能している。
ただ、救うのは人間のみというケチ臭さだが。
魔帝国では種族がなんであれ、弱い奴はただ付き従い食い物にされるだけ。
逆に言えば、聖王国では生まれがすべてで庶民が貴族に成り上がるのは難しい。
魔帝国じゃ裏家業だろうがなんだろうが、金を積めば誰でも成り上がれるっぽい。
どちらの政体にも功罪あって、二つの価値観は相容れないものだ。
中央平原を挟んで、それぞれやってりゃいいじゃないか。魔帝国で虐げられた人間が聖王国に救いを求めるのも良い。聖王国でチャンスがつかめない魔族や獣人亜人が魔帝国で希望に手を伸ばすのだっていい。
私には二つとも必要に思えてならんのだ。
不意に――
地底湖の塔に住まう、安楽椅子のダンジョンコアの顔が思い浮かんだ。
どちらの世界も望まない者は、どこに行けばいいのか。
そんな言葉が浮かんだ。
シャンシャンもサッキーもドラミちゃんも。
思えば、どちらにも加担しなかったコアも。
ついでにアヒルのキングも。
あぶれ者の集まりだ。
元聖女は理不尽に教会を追われ、淫魔は人身御供として差し出された。
桃竜は最弱で他のどの竜からも見下されて、惨めな想いをしてきたんだ。
訪ねる者のない地下大迷宮の奥で、ダンジョンコアもアヒルと二人きり。
私がいなくなってキャンプが解散したら――
魔皇帝をフェイスガードのマスク越しにじっと見据える。
七色の虹彩から重力が十倍にでもなったような、くっそ重たい圧を感じた。
魔眼の一種か。
視界無いに古の文明の解読不能な文字が赤く点灯。危険ってか。
魔皇帝がポーズを変えた。
両腕を上から後ろに回し、脇の下を豪快に見せつけるようにして立つ。
アブドミナルアンドサイだ。彫りの深い脚線美と肥沃な広背筋が迫る。
弟王が声を上げた。
「兄上! どうかお考え直しください! 師匠の敵は聖王であって、聖王国ではないのです!」
交渉決裂だな。こりゃ。
ずっと沈黙の肉体言語を操ってきた魔皇帝が、ゆっくりと口を開いた。
「……軍門に降れ」
喋れるなら喋れ……よ?
声を耳にした途端に、私の身体は動かなくなった。膝が落ちて勝手に屈する。
地に伏せる。身体が勝手に。声も上げられないまま、私は魔皇帝を前にして……跪いた。
あっ……これやばいかもしれん。転移魔法も出せない。つーか、身じろぎ一つできん。
聖王は不死身の化け物だったけど、こっちも相当ヤバかったな。
私の油断が招いた結果だ。カゲ君がいるからって、まともに会って話ができるなんて思うんじゃなかった。
いや、こんな力を魔皇帝が持ってるのに、カゲ君ってば私を罠にはめたのか?
策士が過ぎるぞ。まったく……ああ、私ってばバカバカおバカさん。お人好しにもほどがある。
少年が魔皇帝との間に割り込んで、再び叫んだ。
「兄上!? 師匠に何をしたのですか!?」
「……支配の力で従わせた」
「支配の……力?」
「……この男の記憶を奪う。竜の鎧……白竜魔将にしよう」
「お、おやめください! 人の記憶を奪うだなんて……そのような力を持っていたこと、俺……知らなかった……」
あれ? カゲ君も初見なの?
魔皇帝が両腕を上げて背を向ける。ボコボコとした石畳みたいな背筋が浮き上がった。
「……教える度に記憶……消してきた」
「どうして……そのような酷いことをなさるのですか兄上!?」
「……エイガに嫌われたくないから……嫌われるようなことをする時は……そんな事実も無かったことにするから」
魔皇帝が前を向く。魔眼に補足された少年は、私と同様に動けない。
巨大な手のひらが少年の額を掴んで脳を魔法力の波動で揺らした。
「――ッ!?」
カゲ君はバタリと倒れ伏す。こうして魔皇帝は兄の威厳と弟王からの好感度や信頼や尊敬を守ってきたらしい。
「……次だ」
魔皇帝の腕が私の額に伸びる。
呪縛……解けそうにないな。
ごめんなみんな。私はどうやらここまでみたいだ。