カルテ1 PTSD
クレアという少女の家に案内してもらいながら、いろいろ話をした。
この女性はアンネ・マテルニダスという名前らしい。
「クレアちゃんは新人で入って来たときはテキパキしていて周りの子達も期待の新人が来たというように評価していました。今考えれば新人だったために、気になっても言い辛かったのかもしれません」(私がちゃんとフォローしておけばこんな事にはならなかったのに)
「なるほど」
二つの声を聴きながらクレアという子の気持ちを考えてしまう。
新しい会社や、学校。環境が変われば誰もがその環境に慣れようと必死になる。しかしその環境に慣れれば次は自分の本質が出てくる。
人生はそれの繰り返しで、その中の失敗を反省し、成長していく。
「クレアさんが辞めてからどのくらい経ってるんですか?」
「そうですね、もうすぐ半年くらいになりますね」
「そうですか」
彼女の家は商業ギルドからやや離れたところにあり、ガイドにもあった魔法学校の近くだった。近くで見てみると確かに魔法学校っぽい。ハ○ー・ポッターみたいだ。
しばらく話をしながら歩いていると「ここです」と言って立ち止まった。
その家は一軒家であり豪華な外装というよりはシンプルな色で統一されていた。
「彼女は家族と暮らしているんですか?」
「はい。今は母親と二人で暮らしています」(父は冒険者だけどまだ言わないほうがいいよね)
「そう…ですか」
父が冒険者?それに今は二人ということはなかなか帰ってこないんだろうか。
それからアンネさんがチャイムを押すと妙齢の女性が出てきた。
「はい、どちらさ…ああ、アンネさん。こんにちは」
「ユリアさん、こんにちは」
「どうしたんですか? そちらの方は」
アンネさんは軽く俺の事を話してくれたため、それに続いて自己紹介をした。
「初めまして。リョウと申します。少しクレアさんと話をしたいと思いまして来ました」
「クレアとですか…」
ユリアさんはやや難しい顔をして訝しげに俺を見ていた。
さすがにいきなりの訪問で部屋にこもってる子と話をしたいと言っても親としては難しいところだよな。
「その、こちらの方はクレアさんみたいに部屋に篭っちゃった子とかの治療を専門にしているそうで一度話をと思って連れてきました」(お願い!一度だけでいいから合わせてあげて)
アンネさんは何とか俺とクレアさんを一度会わせたいようで、心の声からもかなり期待されているみたいだ。簡単ではないんだけどなぁ…。
「え、治療って。クレアは病気なんですか?」
「それは一度話をしてみなければわかりません」
「ですが、アンネさんは知ってると思いますがあれからほとんど部屋から出てこなくて…」
確かにいじめや、周囲との環境についていけず浮いてしまい部屋に引きこもってしまうタイプは、その一度のトラウマから周りとの関係を必要以上に取らなくなることがある。
人と話してもまた浮いてしまうかもしれない、そんなトラウマからまた同じことが起こるなら最初からと。
「そうですか。お母さんとしてはクレアさんにどうしてほしいとかはありますか?」
俺はとりあえずお母さんの方からカウンセリングを始めた。できるだけ刺激しないようにやさしく聞いてみた。
「私ですか。それは…クレアは仕事をしている時は毎日、今日はこういうことがあったよとか元気に報告してくれていました。私もそんな元気なクレアを見て元気をもらっていたのかもしれません」
「もちろん、そんな風に元気な姿をまた見せてくれたら嬉しいですけど無理はさせたくありません…」(あ・・・ク・・・み・・)
このお母さんはまだクレアさんの事をちゃんと考えてあげられる人だ。それに強い何かを抱えてはいるがまだ、俺に対して信用しきれていないか。
いきなりこんな人が来ても信用できないのは当然か。
「そうですよね。ご飯はちゃんと食べていますか?」
「はい。部屋にいるときは扉の前に置いていますが最近は数時間後には食べられています」
「そうですか。であるならとりあえずは大丈夫ですね」
正直、会って直接話をしたいがこの状況では母が認めてくれなければ厳しいだろう。無理に行くのも躊躇われる。
「大丈夫なんですか? クレアは良くなるんでしょうか?」
「ご飯が食べられているなら大丈夫ですよ。今日は一旦帰ります。すみませんが、クレアさんに一言話をしてくれないか聞いてみてくれませんか?」
「そうですか。でも何といえばいいか…」
「そうですね。ご飯を置くときに簡単に手紙を添えて下さい。クレアさんと話がしたいという人がいる。もし会ってもいいならその手紙に簡単でいいから返事を書いてほしいという内容で」
会話そのものを拒否されているととっかかりがないため話すこと自体ができない。ただ、さっきのお母さんの発言でご飯を食べるようになったのは最近みたいだ。ほんとにきついときは食欲すらも沸かない。
希望的観測ではあるが時間が解決してくれることもある。
もしかしたら彼女の中で少しだけ前を向き始めているのかもしれない。
「わかりました。返事があればすぐに知らせます」
「お願いします。それでは」
一度家から離れ、ギルドに戻った。
――――
「リョウさん。どうするんですか?」
ギルドに戻るとアンネさんは不安そうな表情で聞いてきた。クレアさん本人が会う意思を持ってくれなければ正直どうしようもない。
「クレアさん次第…ですね」
「そうですか…」
とりあえず俺は拠点を決めるためにいい物件がないか聞いてみた。意外と空いているところや、立地の良い所が多く、どこで始めてもいいかもしれない。
しばらく探しているとアンネさんが一つの場所をおすすめしてきた。
「病院であればここはどうでしょうか。昔、治療院として使われてましたが回復魔法があるためやはり需要がなかったのでしょう。建ててから数か月ほどで畳んでしまいました」
見てみるとそこまで人通りが多い場所ではなく、ほっそりとやるには良さそうな場所みたいだ。それに病院だったこともあり内装も期待できるかもしれない。
「なるほど。良さそうですね」
お金は女神パワーでたくさんあったため即決した。
それから二日ほどが経過した。契約してからその住居に赴き内装を確認した。
中は立派な病院だったんじゃないかと思われる内装で、普通は見てから決めるべきだったかと後悔していたが、杞憂だった。
十分すぎると満足して周辺にどんな店があるのか散策していた。
そして今日、アンネさんに呼ばれたためギルドに向かっていた。
「どうしたんですか?」
「ユリアさんから連絡が来ました! クレアちゃんが会ってもいいって!」(これでよくなるかもしれない!クレアちゃんよくやった!)
「そうですか! すぐに会うべきですね」
かなり興奮した様子ではあったが、すぐにユリアさんの家に向かった。
家に着き、チャイムを押した。するとすぐにユリアさんが出てきた。
「あ、いらっしゃい。どうぞ」
前回のやり取りのおかげかすぐに家に入れてくれた。
「お邪魔します」
玄関から二階に上がり、クレアさんの部屋の前に着いた。
彼女の話では手紙を置いた日は手紙だけが無くなっていたが昨日、食器を回収したときに「いいよ」の一言が書いてあったそうだ。
この世界で初めての患者だ。やや緊張するがやるしかない。
ドアをノックし返事を待った。
「……はい」
するとしばらく間があり、少女のような幼い声が返ってきた。
「急にすみません。お母さんからの手紙にあったリョウと申します。良かったら少し話をしませんか?」
「…はい」
少なくとも拒否している感じではなさそうだ。
「中に入っても大丈夫…ですか?」
「……あなただけなら…どうぞ」
俺だけなら…か。事情を知っているかどうかの差なのか。俺は二人に少しだけ話してきますと言って中に入った。
―――
中に入って驚いたのは至って「普通」だった。
部屋が特に荒れているわけではなく、何よりその中心にいたのはショートカットの高校生くらいの少女だった。膝を抱えて座っていた。
「あなたが手紙の?」
「はい。リョウと言います」
かなり普通に会話をしてくる様子にイメージが崩れていた。
「それで話って何ですか?」
「ええ、しばらく部屋から出られないと聞きまして」
「あー、ママから聞いたんですか」
やや睨むような視線にたじろぎそうになるが何とか耐える。
「詳しくは聞いていません。ただお母さんは昔みたいに元気になってほしいとは言っていました」
「私だって戻れるなら戻りたいですよ。でも無理なんです。部屋から出ようとすると昔の事を思い出して震えてしまうんです」(あ・・・のせ・・・)
っ! なにか強い感情があるみたいだが、まだ聞こえないか。
トラウマによる複雑性PTSDだろう。PTSDは事故や火事のような大きな出来事のトラウマで発症してしまうが、複雑性PTSDはいじめのような長期的なものが続くことで発症してしまう。治療法としては根本に向き合わなければ治りづらい。
「そうなんですね。辛かったでしょう」
この子は部屋から出ようとしている。自分のトラウマに向き合って前に進もうとしている。ここはうまく背中を押してあげたい。
「私もクレアさんのような方はたくさん見てきました。動きたくても動けませんよね。気持ちはすごくわかります」
「私みたいな人は他にもいるんですか?」
暗い表情をしていたクレアさんは俺の話を聞いて興味深そうに聞いてきた。
やはりアンネさんも言っていたように心の病に関しては認知されていないのか。
「はい。私はクレアさんのように人には話し辛い事を抱えている人たちの治療をしています。その中で今までもクレアさんのような方はいましたよ」
「お医者さんなんですね。私は病気なんですか?」
それは難しい質問でもある。人によっては病気であることを告げるとそれを認められず逆上する人もいる。
「そう…ですね。病気だったと言えるでしょう」
「だった?」
「ええ、最近はご飯も食べていて、先ほども部屋を出ようとしたと言ってましたね。それは病気は治りつつあるということです」
「そうなんですか」
ギルドに戻ればおそらく思い出してしまい、同じことの繰り返しになるだろう。なら、荒療治かもしれないが方向性を変えてみよう。
聞いた彼女の性格なら立ち直るかもしれない。
「もしよかったら辛いかもしれないけど当時の事を話してみませんか? 私やお母さん、アンネさんもクレアさんの味方です。味方は少ないかもしれませんがちゃんといます」
「……」(話したところで何も変わらない。でも話すことでママに心配をかけなくて済むかもしれない)
ここまでの対話で俺に対して警戒心を解いてくれたのだろうか。心の声がはっきり聞こえた。やはり今更と思う部分があるのだろう。
しばらく無言が続き、彼女が何かを言うまで俺はジッと待っていた。
「…最初は初めての仕事場だから気合を入れて頑張ろうって思っていました。ですが私の性格のせいか細かいこともどうしても気になってしまいます…」(あいつら適当すぎるんだよ)
しばらくするとぽつぽつと話し始めてくれた。心の声は…今回は目を、いや耳を塞ごう。
彼女の話は、新人だったことで先輩たちに注意はできなかったこと。しかし慣れてくるとそれが顕著に目につくようになり注意するようになった。入ったころから優秀な子だと評価されたためそれが仇となったそうだ。
「周りよりできるからって調子に乗るなよ、とかお前目障りなんだとか影でよく言われるようになりました。今考えれば注意されたことへの憂さ晴らしだったんですね」(あいつらができてないだけだろが)
見た目と思っていることが違いすぎて混乱するなぁ…。
ここは心眼をうまく使ってみるか。
「なるほど。この前アンネさんにも聞いたんだけど、それはクレアさんが悪い訳ではなく、周りの従業員がちゃんとしてないだけじゃないかな?」
「そうなんですよ!」(そう!その通り!この人分かってる!あいつらが何もできないだけなんだよ)
俺がそういうと今までにないほど興奮した様子だった。声が気なってしまうが、今はそれにうまく乗らせるしかない。俺はやや挑発するように言ってみた。
「それなのに、クレアさんが落ち込むのはおかしい話じゃないですか? それちょっとムカつかないですか?」
「え…確かに! なんかそう考えるとイラついてきました。なんで今まで気づかなかったんでしょうか」(私、悪くなくない? 意味わかんないだけど!)
ずっと暗い思考の中にいたことで何を考えても自分を責めることに繋がったのだろう。少しだけ考える方向を変えれば意外となんでもなかったとなるケースもある。クレアさんはやや特殊かもしれないけど。
「ちょっと文句を言って…」
スッと立ち上がりドアを開けたところで立ち止まった。そこにはユリアさんとアンネさんも待っていた。急にドアが開いたことに驚いていた。
「クレア…」
「ママ! 今までごめんなさい! ちょっと文句を言ってきます!」(このままだ、このまま勢いで言ってしまおう、今しかない)
「え、あ、はい。行ってらっしゃい…」
「ちょっとクレアちゃん!」
アンネさんが追いかけていった。アンネさんがついていれば大丈夫かと思い、俺はユリアさんと話をした。
「えっと、何が起きたんでしょうか? あんなクレアは久しぶりで…」
「ええ、俺も少し驚きました。溜まっていたものが一気にはじけたようでしたね」
「何をしたんですか?」
「話を聞いて、その根本にあるものを違う方向に向かせました」
どういうことかと首をかしげていたため軽く説明をした。
彼女が引きこもった理由は確かに周りからのいじめによるものであった。でも彼女の中ではいじめられる理由としては不十分である。
真面目な彼女はただ周りの適当さを注意していただけなのだ。ただそれだけだったが、いじめが長く続いたことで彼女の認知が歪み「自分が悪い」という認識が強くなった。
「なので、本来の部分に戻しました。彼女はただ真面目に働いていてだけなのにそれで彼女が落ち込むのはおかしい話だと」
「何となくわかりました。クレアは悪くなかったんですね」
「もちろんですよ。真面目で良い子です。あの勢いなら多分もう大丈夫だと思います。お母さんとしては少しだけケアを忘れないようにして下さい」
「はい…ありがとうございました」
ユリアさんは話を聞いてやや涙目になっていた。
とりあえずこれで何とかなっただろうか。今回のようにうまく改善ができるケースは多くはない。普通はもっと時間がかかるものだ。大事なのはしっかりその人の味方になってあげることだ。
それからギルドに戻るといろいろ大変なことになっていたが、俺は宿に戻り休むことにした。