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Blue Haruzion-ある兵士の追想-   作者: Satanachia
8/9

第八章 「好き」

 1


「シャアッ!」

「っ……!」

 物凄い衝撃が、傘越しに全身に伝わった。今のcordエイトのパンチは重戦車でも破壊できるだろう。

 オーバーロードを発動した状態で防がなければ、ラニの腕は簡単に拉げていた。

(だけど……)

 次々と繰り出される拳を受け流す。パワーは殺人的だったが、cordエイトが理性と左腕を失っている分、当たらないようにするのはさほど難しい事ではなかった。

「はあっ!」

「ッ……!」

 隙を見つけてラニは渾身の力でcordエイトを蹴飛ばした。cordエイトはかなり遠くまで吹っ飛んでいったが、

「っ……!」

 ラニは目の前の異常な光景に凍り付いた。

「一体どんな温度なら、あんな一瞬で……!」

 靴底が溶けていた。cordエイトが着地した床も、同じように溶けている。

 cordエイトは今、ありえない程の高熱を纏っていた。

(これは、早急にやらないとまずいわね……)

 ラニは傘を閉じて、細く巻いた。

「フゥゥゥゥゥゥウウウウ……」

 cordエイトが立ち上がり、こちらへ走って来る。ラニは傘の先端を向けて引き金を引いた。

「……!」

 熱線は確かに命中した。右脚に二発、腹部に一発、そして、右の頬に一発と、ラニが放った熱線は全て命中していた。

 しかし、それを全く意に介さずcordエイトが近付いてきた。発熱した彼女の体は、もはや傘の熱線に耐える程の高熱耐性を獲得したのだろう。

(こんなになってまで戦い続けるなんて……)

 彼我の距離がどんどん縮まっていくのを見ながら、ラニは少しだけ同情した。

 彼女は自分が生まれてくるためのプロセスの被害者とも言える。ドクトルの研究がラニの持つメモリにまで到達するために経験した「最大の失敗」。

 その産物を持って生まれなければ、彼女もこんなに苦しむ事はなかっただろう。

「だから、これで終わらせてやる……」

 ラニはcordエイトの攻撃を躱して距離を取ると、再び傘を開いた。それと同時に、ラニは傘のネームを引き抜いていた。

「奥の手で……!」

 開いた傘をcordエイトに向けて、ラニは呟いた。


「この部屋かしら」

 ラニの言っていた通りの道を進むと、確かに、扉があった。恐らくここが目的の部屋で間違いないだろう。

「ふんっ……」

 固く重い扉だったが、なんとか開いた。

「……!」

 中は結構広い部屋だったが、思っていたよりも殺風景だった。

 壁やら、天井やらには大きな機械が取り付けてあったが、当然何のためにある物かマウリアには分からなかった。

(ここで一体何をすればいいんだろう……?)

 用途の分からない物に囲まれた、ただ広いだけの空間にマウリアは困惑した。

「……まあ、いいか。ラニが来れば分かるわ」

 ラニならすぐにcordエイトを何とかして、来てくれるだろう。

 そう信じる事にして、マウリアは深く考える事は止めにした。

「ラニ……」

 それでも思わず、彼女の名を口にした。彼女の事を信じてはいるが、それでも「もしもの事」が頭から離れない。暴走したcordエイトを相手にしていると思うととても不安になった。

「いいや、何を考えているの……私は……!」

 被りを振ってすぐさま頭の中を否定する。

(……私が彼女を信じないでどうするの!)

「ラニは絶対に来る……!」

 マウリアは「信じている」と言い、ラニはそれに頷いていた。ならば、マウリアはラニのその反応を信じて待つ事が最良であると心を切り替える。

「……!」

 その時、マウリアの目にある物が入ってきた。壁に大きなモニターが設置されており、電源が入っていないようで、マウリアの姿が反射していた。母がくれた服もそこにはっきりと写っていた。

「服か……」

 それと同時に、ラニとの日常の場面を思い出した。


 ラニと昼食を食べていた時だった。いつもどおりテレビの情報番組を適当に流し見していたのだが、その時、ふと、ある疑問が浮かんだのだ。ファッションの特集が流れていたからである。

「ラニっていつも同じ服だよね」

「ええ、そうね。同じものを四着揃えて着回しているわ」

 マウリアが尋ねると、ラニはそう答えた。

「どうして?拘りの一着とか?」

「服にあまり関心がないというのもあるけれど、一応私は戦闘アンドロイドだから戦闘服を常に着ているのは普通の事だと思っている。と、いうのが一番の理由かしら。この服は他のプロトタイプやHaruzionとは違うらしいけれど、かなり性能の高い戦闘服らしいわ。仮に、貴方の身に何かあった時のためにいつでも戦闘に入られるようにしておくのが、心構えという事ね」

「そうなんだ……」

 マウリアは一応納得したが、少しだけ残念にも思った。

「どうしたの?」

「ラニは美人だし、色々な服が似合いそうなのに残念だなと思って」

 そう言ってテレビを指さす。

「今紹介しているのなんかラニにはきっと」

「そうかしら……?」

 いまいちしっくり来ていないというか、自分が戦闘服以外を着る事を想像できていないのか、ラニは微妙な反応を返した。

「まあ、今は色々と物騒だから。私はこの服で良いわよ」

「そう?」

 ラニはそこで会話を終わらせようとしていたが、マウリアは続けた。

「じゃあ、平和が訪れてラニが戦う必要がなくなったら、一緒にラニに似合う服を買いに行こう」

「……!」

 ラニは一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに微笑んだ。

「そうね。期待しないで待っているわ」

「約束だよ」

 マウリアは笑った。


「cordエイトはきっとラニが何とかしてくれる。だから、ラニはきっと戻って来る。平和が、訪れる……」

 胸に手を当てて、そう自分に言い聞かせる。

「約束……したものね……」

 自分が来た道を見つめながら、マウリアはひたすらラニが来るのを待ち続けた。


 2


 傘を前方に向けながら、ラニは少し前の記憶を思い出していた。

 高速艇で、ブリッジでの作業を終えて、マウリアのいる部屋に戻った時だった。

「……!」

 マウリアは既に食事を終えており、ラニの傘を手に持っていた。

 興味があったようだが、使用していた時は状況が状況だったために詳しく調べる事ができなかったのだろう。凄く珍しい物を見るような目で傘を観察していた。

「あっ……」

 そして、数秒後にようやくラニに気付く。

「ごめんなさい。勝手に……」

 慌てた様子でマウリアは元の場所に傘を立て掛けた。

「いや、いいのよ」

 マウリアの反応にくすくすと笑いながら、ラニは傘を手に持ってマウリアの隣に腰かけた。

「この傘はドクトルが作った私の兵装。言わば専用武器よ」

 マウリアが興味を示したので、ラニは説明する事にした。

「正式名称はコバルトイージス。強力な熱線銃にも、強靭な盾にもなる護身兵装よ。熱線の威力はさっき見せた通り。傘も銃弾やナイフくらいでは傷一つ付かないわ」

「でも、一見そんな強度には見えないよ。手触りも普通の傘の傘生地となんら遜色ない」

 傘を指でつつきながらマウリアは言った。

「生地自体は普通の傘と同じだもの。薄い特殊な保護膜が貼ってある。そのワンピースを包んでいた包装紙にも同じ技術が使われていたわね。熱、圧力、衝撃等あらゆる障害に耐性を持っていて中の生地を確実に守る事ができるわ。ドクトルはこの技術を、アンドロイド以外で最も上手くいった傑作と言っていたわ」

 傘を開いて、ラニは続けた。

「大きな一枚の生地を何層にも折り畳んで傘の形にしたらしいわ。この強度はそれによって生まれているようね」

「そうなんだ」

 暫くマウリアは説明を聞いていた。

「もしも、傘を開くボタンと熱線を放つ引き金を同時に操作したらどうなるの?」

 ふと、マウリアは質問した。

「ああ。傘が壊れるわ」

「え?」

 ラニの答えにマウリアは目を見開いた。

「いいや、厳密に言えば、使い切りの奥の手が用意されていて、その代償として傘が使えなくなるという事ね。本当に追い詰められた時の最終手段よ。ネームを引き抜いてマウリアの言う操作をすると発動するわ」

「それは一体……」

「それをマウリアが見る事はないでしょうね。マウリアを守るにあたってそれが必要になる状況に陥る事がないように私が頑張り続けるだけだもの」

「なにそれ」

 マウリアは噴き出した。


 そうきっぱりと言ったのに、今まさにそれを使おうとしているのは少しだけ複雑な気分だった。

 しかし、目の前の敵は、もはや熱線やオーバーロードでは倒す事ができない状態にまでなっていた。

「行くわよ。イージスの名の由来を見せてあげるわ」

 そう言ってラニは引き金とボタンを同時に押した。

「ッ……!」

 傘が強い閃光を放ち、一瞬だけcordエイトの動きが止まった。その一瞬のうちに「奥の手」は発動した。

 全ての露先が外れ、回転しながら傘生地ごと前方へ飛んでいく。回転によって、折り畳まれた傘生地は元のサイズに戻っていき、忽ち通路全体を塞ぐ面積となった。

 天井や壁に突き刺さった露先に傘生地は固定され、ラニとcordエイトの間に傘生地の壁ができた。

「私が選んだのは、強靭な盾。例えあなたでも、簡単には突破できないでしょう」

「シャアッ……!」

 cordエイトは構わずにその壁を殴りつけたが、

「……!」

 破れるどころか、拳が傷付いた。それはただの壁ではなかった。

 傘に残る全てのエネルギーがレーザーネットのように生地全体に張り付いていた。

 どんな脅威も防ぐ強靭で強力な盾。正真正銘の切り札だった。

「神の防具を名乗る程の性能をその身を以て知りなさい。そして、暫くの間あなたがそれを破らない事を願うわ……」

「シャアアアア!」

 壁の向こう側から叫び声と、何度も拳をぶつける音が聞こえたが、ラニはもう気にしなかった。

「さあ、行かないと……」

 骨組みだけになった傘を投げ捨て、ラニは壁に背を向ける。

「ぐうっ……はぁ……はぁ……」

 ラニはその場に膝を付いた。やはりかなりの負荷が掛かっている。

(……マウリアを守らないと)

 最後の力を振り絞り、オーバーロードを発動させて立ち上がる。

「今、行くわ……」

 ラニは走り出した。


 3


 扉が開く音がして、マウリアは後ろを振り返った。

「ラニ……!」

 そして、思いきり彼女に抱きついた。

「大げさよ……」

 ラニは微笑んでマウリアの頭を撫でた。

「cordエイトは……?」

「かなり念入りに足止めしたわ。もう追ってこられないでしょ」

「そう」

「さあ、仕上げね……」

 そう言ってラニは部屋の中央にある円柱を操作し始めた。キーボードが付いており、何かの機械である事は理解できたのだが、用途が分からずにマウリアが放置していた物だ。

「何をしているの?」

 マウリアが尋ねると、ラニは

「今分かる」

 それだけ言ってエンターキーを押した。

「……!」

 大きな音と共に目の前の壁が動き出した。ずっと壁だと思っていたが、巨大なシャッターだったらしい。

「そして、これも……」

 何かの操作をして、ラニが再びエンターキーを押すと、今度は床の一部が動き出し、下から飛行船が現れた。

「す……凄い……!」

「さあ、乗って」

 驚くマウリアをよそにラニは淡々と準備を進め、飛行船のハッチを開けた。

「マウリア。飛行船に乗って」

「これは、何処へ行くの?」

「ノースカロライナにあるドクトルの研究所よ。そこのスタッフ達は、ドクトルが亡くなった事以外はある程度事情を知っているらしいわ。この研究所がcordエイトに知られた時の為に、ドクトルが用意していた最後の対策と言えるわね。もう、cordエイトにはノースカロライナまで貴方を追う事は不可能だから、そこへ逃げ切れば私達の勝利よ」

「何よ。詳しい事は分からないんじゃなかったの?」

「ごめんなさい。ここがcordエイトに知られると断定する訳にもいかなかったし、こればかりは最後まで言わないようにドクトルに命令されていたの」

「まあ、今更いいけどね」

 マウリアは飛行船に乗り込んだ。ラニが彼女のシートベルトを締めると、そういう機能があるのか、エンジンが掛かった。

「ラニも乗って」

 マウリアが言うと、ラニは首を振った。

「その前に、マウリア。ペンダントを使うわ」

「え?」

「cordエイトを足止めはしたけれど、確実にやらないといけないのよ。ペンダントを開けて」

「う……うん……」

 ラニの反応が気になったが、彼女の考えに意味のない物はありえないと判断してマウリアは従う事にした。

「待ってて、今……」

 マウリアがイヤリングを外して、ペンダントを開けようとしたのと同時に

「……!」

 ラニの左腕が、ぼとりと音を立てて床に落ちた。

「ラニ……!」

「ああ。熱にやられて傷から溶け落ちたのね……」

 取り乱すマウリアとは対照的にラニは何故か冷静だった。

「大変……!」

「大丈夫よ。もう、痛く……ないもの……」

 左腕の袖を引き千切りながら、ラニは言った。

「私の事はいいから、早く開けて」

「そんな事……!」

「いいから」

「っ……」

 氷のように鋭いラニの圧に負け、マウリアは彼女の言う事に従った。ペンダントを開けると、そこには青い宝石が入っていた。

「これは……?」

 マウリアがそれを取り出すと、ラニが近寄ってきた。

「それは私の指輪のパーツよ。cordエイトを確実に倒すために、ドクトルが用意した最後の対策。この研究所の、この部屋で使えるの」

「一体これは……」

 戸惑うマウリアにラニは右手を差し出した。

「悪いけれど填めて頂戴。片手では難しいわ」

「う……うん……」

 言う通りにすると、宝石は指輪にぴったりと填まった。その瞬間指輪からなんとなくだが、強力な力が放出されているように感じた。

「……」

 マウリアが困惑した視線を動かしていると、ラニは胸のパーツを外し、中から何かを取り出した。

「ラニ……?」

「持っていて頂戴。私の心を……この指輪の力は、本物の人間の皮膚は貫通できないの」

 手渡されたのは、青い花弁のハルジオンの形をした部品だった。

「え……」

 ラニの行動にマウリアが混乱していると、ラニは少しだけ微笑んで口を開いた。

「さあ、飛行船を動かすわね」

 突然ラニはハッチを閉めようとしたので、マウリアは慌てて口を動かした。

「ま……待って。ラニが乗っていない……!」

 ラニは冷静な表情を崩さずにマウリアを見た。

「見て分かるでしょう。その飛行船は、一人乗りよ」

「……!」

 それを聞いて、マウリアの顔は引きつった。周囲にはもう飛行船はない。

「ま、待ってラニ。貴方、とんでもない事を考えているわね。ゆ……許さないわよ……!」

「ごめんなさい。マウリア。けれど、私もHaruzionだから……」

 涙を流して前方に思いきり手を伸ばす。マウリアの動きは、シートベルトに引き留められ、ラニの腕を掴む事なく、マウリアの手が空を切った。

「酷いわ……そんなの、嫌だよ……!」

「……」

「私、そこまでして生きたくない……貴方までいなくなってしまったら……」

「約束したでしょう。貴方を愛し、貴方の未来を願う人の為に生きると」

「うるさい!」

 マウリアは叫んだ。涙に滲んだ目で、ラニを睨み付ける。

「約束を守っていないのはどっちよ、貴方の傍にいて欲しいって、貴方の傍で生きていて欲しいって……そう言ったのは貴方じゃないの……!」

「……」

「だから、私は生きると決めたのに……。なのにどうして、貴方の方が生きる事を辞めてしまうのよ……。そんなの、酷い……。酷いよ……」

 涙が止まらない。後半は上手く言葉にできなかった。

「……」

 泣き続けるマウリアを見ながら、ラニは黙っていた。限界を超えて、痛覚が麻痺した筈なのに、胸がズキズキと痛む感覚を覚えた。


 暫くの沈黙の後、マウリアが少しだけ落ち着いたのを見て、ラニは口を開いた。

「私は、兵士だから……所詮戦いの中でしか生きる事ができないわ。貴方が向かう、平和な未来に、私達Haruzionは必要ない」

「違うよ……ラニは私の友達だよ……。平和な未来で、ずっとずっと一緒にいる友達だよ」

 一生懸命に言葉を紡ぐマウリアに、ラニは笑顔で返した。

 目頭が熱くなったが、それを見せるのは正しくないと判断し、紙一重で止める。

「ありがとう。それだけ言ってくれればいいわ。だからこそ、貴方の未来を守るのが、貴方の友達としての最後の使命。どうか、私の正義を認めて頂戴。私の正義は、貴方を守る事なのだから」

「ラニ……」

 マウリアが見つめて来た。想いが伝わったのか、もう止める気はないようだった。

(ああ。私は、貴方と出会えて……)

 満面の笑顔をマウリアに向けて、ラニは彼女の頬を撫でた。


挿絵(By みてみん)


「マウリア。さっき、何を言おうとしたの……?」

「え……?」

「傘をさして歩いた時、答えが分かると。どうか教えて頂戴。それを知ってからでないと、私はきっと、一等星になれないわ」

「それは……」

 そこまで言ってマウリアは涙を拭って笑顔を作る。この言葉を伝える時は、この顔で伝える事が、最も相応しいからだ。最高の顔を作り出して、マウリアは口を開いた。

「それはね、好きって言うんだよ」

「好き……?」

「一緒にいるのが楽しくて、その人の喜びが自分の事のように嬉しくて、ずっとずっと、傍にいたい気持ち。それが答えだよ。すぐに分かった。貴方と友達になってから、ずっと私も同じだったから」

 マウリアはそう言ってラニの体を抱きしめた。今度は彼女の手が、空を切る事はなかった。

「好き……。ああ……。好き……か……。そうか、これが、この気持ちが〝好き〟か……」

(ようやく、わかった……。ドクトル、私はこの子の友達に……)

 ラニも、マウリアを抱きしめた。止めていたものが遂に頬を伝ったが、ラニはもう気にしていなかった。


 二人は見つめ合っていた。

「貴方を、大好きな貴方を守れて、私は誇りに思うわ。必ず天国を見つけ出して、貴方に会いに行く。貴方を愛する人達と共に」

 そう言って、ラニはマウリアの頬にキスをした。

「最後に貴方に愛してもらえて、貴方に未来を望んでもらえて、本当に嬉しかったわ。私は生きる。会いに来る貴方に恥じないように、ずっとずっと、生きていくわ」

 そう言って、ラニの唇にキスをすると、彼女に託された部品をしっかりと握り締めた。


「愛してる。マウリア」

 そう言って、ラニはハッチに手を掛ける。

「私もよ」

 マウリアが微笑むと、ラニはハッチを閉めた。最後にマウリアが見た最愛の友達は、今までで一番優しい笑顔を浮かべていた。


 4


 空に向かって飛び立つ、最愛の友達が乗る飛行船をラニは静かに見つめていた。

 飛行船が飛んで行った方向を暫くずっと見ていたが、すぐに飛行船は見えなくなった。

「マウリア……」

 名残惜しい気持ちは残っていたが、ラニは背を向けた。

「っ……!」

 ラニが来た方向へ視線を向けた瞬間、扉を叩く音がした。マウリアがこの場を去った今、扉を叩ける者は一人しかいない。

 ラニは溜め息をつきながら、扉が開くのをただただ見ていた。

「………………!」

 暫くすると、扉が赤熱し溶けた。そして、その穴から何かの音が聞こえた。

 限界を超えた高熱で声帯が焼け落ちたのだろう。その音は、声にならないcordエイトの怒号だった。

「cordエイト……」

 段々と穴が開いていく扉を見てラニは同情した。

 死して尚、敵を攻撃する本能に任せて動き続ける体には、もはや敵意も感じなかった。

「……………………!」

 やがてドアを破壊して入ってきたcordエイトは、途轍もない熱と殺気を絶えず放出し続けていた。

「っ……!」

 その姿にラニは戦慄した。高熱によって人工皮膚も人工筋肉も溶け落ちてしまったのだろう。もう目の前のボディはcordエイトと判別できる要素は殆ど残っておらず、赤熱した骨組みが立っていただけだった。

(こんな姿になってまで、戦い続けるなんて……)

「……………………!」

「やめなさい。もうここにマウリアはいないわ……」

 ラニはcordエイトに呼びかけてみた。無論、期待などしていなかったが。

「……!」

(殺す……!)

 そう彼女が口にしたように感じた。

「問答は無駄のようね。安心なさい。アンドロイドもお星様になるらしいわ。だから、そのメモリの支配から脱却して、きれいさっぱり昇天したら……」

「……!」

 cordエイトだったものはゆっくりとラニのもとへ歩き出した。

「天国で会いましょう……」

 ラニは右手の指輪を頭上に掲げ、マウリアの顔を思い浮かべながら機能を解放した。

 直後指輪の宝石が青い閃光を放った。

「…………?」

 cordエイトは動きを止めた。

「……!」

 そしてすぐに異常に気が付いたようだ。

「この指輪は、感情特化メモリにだけ反応し、ボディごと自爆させる事ができる。もう、貴方を戦いに縛る物は消え去るわ……」

「……!」

 その言葉と共にcordエイトのボディは青白い炎に包まれた。

「ごめんなさい。願わくば、貴方の生まれ変わる時が、平和な時代でありますように……」

 瞬き程の一瞬で、cordエイトの生涯は燃え尽きた。

 徐々にその場から消えていく青い火柱を、ラニは霞んで朧げになる目で見つめていた。


「これで、終わり……」

 cordエイトの消滅を確認すると、ラニはその場に仰向けで倒れた。

 オーバーロードはもうとっくに解除されていて、体には殆ど力が入らなかった。ラニの耳に、警報が聞こえて来た。

「ああ。指輪は研究所の起爆スイッチでもあったわね……」

 指輪の起動から、五分が経過するとこの部屋の壁や天井に取り付けられた光速超越装置によって作り出されたタキオンで研究所は跡形もなく消滅する。

(ここまでだ……。今の私では生き残れない)

 部屋中に響き渡る警報が、ラニへの遠回しな死の宣告だった。

 すぐそこまで迫ってきた死という存在を目の前にして、意外にもラニの思考は落ち着いていた。

「あの飛行船の速度なら、きっともうタキオンの影響を受けない距離まで行っているわね……」

 それは、正真正銘ラニが「マウリアを守り抜く」という使命を完遂した事を意味していた。

「よかった……マウリアを、あの子の未来を守れて……」

 安心した瞬間に強化機関が停止した。

(もう……オーバーロードは発動できない……)

「よかった……私の正義を貫徹できて……」

 勝手に口が独り言を紡いでいたが、もう、ラニは気にしていなかった。

「ドクトル……。私、あの子の良き友になれましたよ……。以前私の探していた答えが見つかりましたよ……」

 そう言った瞬間に、ラニの視界は暗転した。

(もう……何も見えない……)

「好き……ですって……。マウリアが、私を好き、ですって……」

 頬を温かい雫が伝った。しかし、ラニの顔は笑っていた。

「ははは……。私、生きていて……。よ……カッタ……。ワタシ……。」

 声帯をはじめ、体中から急速に力が抜けた。

(もう……私の体は動かない……)

「……ァ」

 声が出なくなった。そして、同時に光速超越装置が動き始めた。

(ああ……私の命も、もう終わる……)

 眼前に広がる暗闇を視線でなぞりながら、ラニはその瞬間を待った。

 耳に入って来る警報が、徐々に小さくなっていく。

(あら……)

 死を体中が理解したからか、沢山の記憶が蘇った。世間一般では「走馬灯」と言うらしい。

(フィクションの産物だと思っていた……)

 ラニはアンドロイドである。故に彼女の記憶はなくならない。思い出そうとすれば、任意の記憶を思い出せる。

(不思議だわ……)

 今のラニには、そんな事をする力も残っていない。だからこれは、無意識に起こっている現象だった。

(短い時間だったけれど、沢山の事があったなぁ……)

 彼女は、全部覚えていた。

(本当に、マウリアと一緒にいたら、毎日多くの事に出会えたからなぁ……)

 全部体が覚えていた。嬉しい事も、悲しい事も、

(けれど、どうしてかしら……)

 中には思い出したくもないくらい辛い記憶も持っていた。しかし、

(覚えている筈なのに出てこないわ。出てくるのは全部、マウリアが笑っている記憶……)

 二人の誕生日を祝いながら、笑顔で「ハッピーバースデー」と歌うマウリアの記憶。

 母からのワンピースを体に当てて鏡の前ではしゃぐマウリアの記憶。

 約束を交わした夜に車の中で抱き合った記憶。高速艇のデッキの上で夜空を見上げた記憶。別れのキスの記憶。

(全く、いい人生だった……)

 そして、傘をさして二人で歩いた記憶。

(だって……、こんなに沢山の記憶から出てくるのは……)

 暗闇しか見えない目を閉じた。その瞬間、瞼の裏に、愛する友の顔が映る。

(……いい思い出ばかり)

「……」

 後悔のない生涯を生きたように、ラニは微笑んだ。

「……。」

 それから、ラニが動く事はなかった。


 大きな閃光が、研究所を包み込む。海が一瞬大きく波打ったが、すぐにもとの挙動を取り戻した。

 その日、一つの孤島が、地図の上から姿を消した。


 5


「お嬢様……」

ハッチを開けたスタッフの声で目を覚ます。どうやら泣き疲れていつの間にか眠ってしまったらしい。

 正午の日差しがマウリアの顔を照らした。

「ここは、ノースカロライナですか……?」

「はい。ドクトルの研究所です。貴方が来る事は事前にドクトルから聞いていました」

「そうですか」

 マウリアは飛行船から外へ出た。すると、大勢のスタッフが施設から自分を出迎えてくれた。

「事情はある程度把握していると聞きましたが」

「はい。ある程度ですが……」

 スタッフの一人がタブレットを取り出し、口を開いた。

「先程、貴方がいた研究所が消滅したと連絡が入りました」

「はい。父は二日前に亡くなりました。そしてついさっき、cordエイトも倒されました」

「……!」

 スタッフ達は様々な反応をしていたが、マウリアは続けた。

「Haruzionはcordエイトと、ラニ……、cordシックスティーンの死をもって、全滅しました」

 そこまで話し終えると、握っていた手を開いた。掌に乗っていた物を見て、夢ではなかったと理解する。

「っ……!」

 目頭が熱くなる。

「お嬢様……」

「いいえ、何でもありません。中へ連れて行って下さい。何が起こったのかお話しします」

「……分かりました」

 マウリアの言葉にスタッフ達が動き出した。

「ラニ……ありがとう」

 空を一瞬見上げた後、マウリアはスタッフ達の背を追いかけた。

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