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Blue Haruzion-ある兵士の追想-   作者: Satanachia
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第三章 「使者」



 悲鳴が止まらない……。

「ああ……ああぁぁ……」

 震えが止まらない……。

「ドクトル……」

 ラニの声がする。少し前まで、会話をした相手がいきなり死んでいるのだから、アンドロイドであろうと動揺するのは無理もない。

 しかし、今のマウリアには、それに反応する余裕はない。

 涙が止まらない……。

「あらあら、もう少し冷静でいられると思ったけれど、予想以上に驚いてくれたようで嬉しいわ」

再びモニターに入ってきたcordエイトは先程よりも笑っている。心からの笑顔を見ている筈なのに、

 その顔からは名状しがたい狂気しか感じない。

(同じアンドロイドでも、こうも違うものなのか?)

 か細い悲鳴を上げる事しかできないマウリアの心は、目の前で笑う凶暴な笑顔にただただ恐怖で染められていく。

「アハハ! 苦労してドクトルを探した甲斐があった」

「黙れ……!」

 モニターを殴りながらラニが叫ぶ。

「お前が、その言葉を口にするな……!」

「ラニ……」

 本気で怒りを露わにするラニの姿を見て、ようやくマウリアは悲鳴を止める。

「お前のしている事は、私達アンドロイドのあり方から大きく逸脱している……! 許されざる事だ……!」

「私もあなたも同じ穴の狢じゃない。何をそんなに怒っているのかな?」

「……!」

 その瞬間、恐れは何処かへ行って、マウリアはモニターを睨み付ける。ラニの怒りを意に介さず笑い続けるcordエイトに、マウリアは強い怒りを覚えた。

「あなたとラニを一緒にしないで……!」

「うん?」

「ラニは、あなたみたいに人を傷付けない。あなたみたいな、暴力性がアンドロイドの着ぐるみを着て歩いているような邪悪の塊なんかじゃない……!」

「マウリア……」

 マウリアの言葉にラニは幾分か冷静さを取り戻したようだった。しかし、逆に少しだけ乱れている者が二人の目の前に映っていた。

「……流石は、あの男の娘ね」

 さっきまで満面の笑みは消えていた。いや、笑ってはいるのだが、その瞳に再び敵意と、凶暴性が燃え上がっていた。その今までで一番攻撃的な表情にマウリアは戦慄した。

「良いわ。興味が出てきた。ドクトルを殺せば後は放っておこうと思ったけど、あなたの顔も恐怖に染めてみたい……。ドクトルは死ぬ直前まで何か訳の分からない事をブツブツと言ってたけど、あなたは死を前にして、今みたいなかっこいいセリフを吐けるのかしら?」

「ふざけた事を……!」

 拳を握ってラニがcordエイトを睨みつけると、cordエイトは不敵に微笑んだ。

「ところで、cordシックスティーン……」

 そして、ニヤニヤと笑いながら続ける。

「私とのおしゃべりを楽しんでくれているようだけど、それで良いのかしら?」

「何だと……?」

 ラニの反応を楽しむかのように、cordエイトは口を開いた。

「私には、この通信を逆探知してあなた達の居場所を特定するのは、そう難しい事じゃないのだけど」

「……!」

 そう言われた瞬間にラニの顔に焦りが張り付く。cordエイトはその様を待っていたかのように、ほくそ笑む。

 そして、通信を切ろうとするラニの姿を見ると、再び口を開く。

「アハハ! 主人も馬鹿なら、ガーディアンも馬鹿なのかしら? そんな事しても手遅れよ」

 その発言にラニの手は止まった。

「ど……どういう事……?」

 マウリアも思わず口にする。

「どうして私があなた達に、わざわざそんな報告をすると思う? 慈善事業とでも思うの? もうあなた達にバレても問題ないと判断したから言ったのよ」

「……!」

「まさか……」

「cordイレブンがそっちに向かっているわ……」

「くっ……!」

 通信を切り、ラニは勢いよく立ち上がる。

「マウリア! すぐにここを離れられるようにして……!」

「わ……わかった」

 必死に叫ぶラニの言葉にマウリアも従う。父が殺された事はショックだったが、まごついていたら、自分も彼の二の舞となる。それだけは避けなければならない。

「通信機は……?」

「置いて行こう。cordイレブンをおびき寄せる」

 そう言ってラニは最低限の物を手に持ち、外に出る準備を整えた。マウリアもその行動を真似する。

 cordエイトに顔を覚えられた時点で、旅行者のふりはもう意味をなさないだろう。

「玄関から出て大丈夫?」


「裏口よりは安全だと思うわ。cordイレブンはこの窓から入って来るはず。この窓は玄関とは真逆の方向だから、玄関に向かって逃げれば、鉢合わせる可能性は低いと思う」

 そう言ってラニは、通信機を窓の傍に置く。確実にcordイレブンをおびき寄せるために必要な事だ。


「言い忘れていたわ」

 突然モニターにcordエイトが映った。逆探知してこちらの通信機をハッキングしたらしい。

「っ……!」

 突然の出来事にラニの動きが一瞬止まる。その一瞬の隙を突くように窓ガラスに亀裂が走る。

「cordイレブンの足は、私よりも速いわよ」

 その言葉と同時に窓ガラスが粉砕される。

「マウリ……!」

 ラニが言葉を言い終えるより先に、伸びてきた腕が彼女の体を窓の外へ投げ飛ばした。


 2


 突然の出来事にマウリアはただ茫然と目の前を凝視する事しかできない。数秒前にラニが手放したモニターの中でcordエイトが笑っていたが、今のマウリアにはどうだっていい事だ。

「ラニ……!」

 そして、ようやく目の前から消えた友の名前を叫ぶ。しかし、その声も破壊された窓ガラスを通り抜けて、外の闇へと消えていく……

「マウリア・ジェルミナ……」

 彼女の目の前の女性が口を開く。綺麗に切りそろえられたショートヘアに、まるで生気を感じない灰色の瞳、モニターの中で不敵に微笑むアンドロイド兵器を彷彿とさせる人形のような顔を持つその女性は、明らかに自分にとって友好的な存在ではなかった。

「まだ攻撃しなくていいわよ、cordイレブン。五月蠅い青髪もいなくなった事だし、少しだけその娘とお話したいわ」

「……」

 cordエイトがそう言うとその女性は動きを止め、彼女の言葉に従った。

「さて、マウリアちゃん。頼れるお友達が遥か彼方に吹っ飛ばされて、目の前に私の味方が立っているという状況だけど……」

 cordエイトはわざとらしい態度でマウリアに語り掛ける。

「さっきみたいに、かっこいいセリフは言えるかしら? そのゲドゲドの恐怖面を何とか貼り換えて、

 鼻の下の屑籠からそれを引っ張り出したら、褒めてあげるわよ」

「く……」

 嫌な汗が滲み、全身に寒気がする。間もなくして体が震えている事に気付くが、自分の意志では止める事ができない。

「フフフ……それとも出るのは命乞いかしら? あなたの悲鳴は発情した猫みたいで汚いから遠慮して欲しいけれど、床を這いつくばって泣き崩れるあなたはきっと魅力的よね」

「っ……!」

(……よくもまあ、短時間でそんな下劣な文章を紡げるものだ。ラニがこんな奴と一緒にされるのは本当に不愉快だ)

 目の前で笑うアンドロイドに怒りが込み上げ、マウリアは止まらない震えに抵抗しながら、彼女を睨み付ける。

「そんな陳腐なセリフでは、恐怖なんて何処かへ行ってしまうよ。私達よりも聡明だと言い張るのなら、もっと相応な言葉を選びなさいよ。小さな男の子に悪態をつかれているのと何ら変わりないわ」

「……!」

 明らかにcordエイトの表情が変わったが、マウリアは気にしない。

「ほら、引っ張り出したわよ。褒めなさいよ」

 依然体の震えは止まらなかったが、恐怖に引きつっていた顔は冷静さを取り戻し、目の前のアンドロイドと敵対する姿勢を物語るものに変わっていく。

(……絶対に屈しない。例えここで殺される事になろうと、こんな奴に「参った」なんて言ってやるものか)

 少しだけ敵意が現れた顔でこちらを見るcordエイトを睨みながら、マウリアは窓の方へ意識を向ける。

 一か八かの賭けに勝利する必要があるが、この状況を打破できるかもしれない。

「cordイレブン。少しだけ動いていいわよ」

(……来た!)

 マウリアの発言が気に入らなかったcordエイトがcordイレブンに命令を出す。自分の事を容易に殺せる相手を無策で怒らせる程、マウリアは馬鹿ではない。この瞬間をずっと待っていた。

「マウリア……!」

 命令を聞いたcordイレブンが動き出す。その瞬間に、マウリアは壁に刺さっていたカードキーを引き抜いた。

 辺りが暗闇に包まれ、cordイレブンの視界からマウリアが消える。

(私がいくら抵抗したところで敵う相手じゃない。ならば、とるべき行動は一つ!)

 マウリアはcordイレブンに向かって走り出す。その腕をcordイレブンは掴み取る。

「……!」

 違和感に気付き、cordイレブンは目を見開いた。

(……感情特化メモリを抜き取られても、驚く事があるんだな)

 暗闇に包まれた部屋ではcordエイトが映るモニターの光が頼りになる。ならば光を反射する人型の物を優先するのは当然の事である。cordイレブンが掴んだ腕はマウリアの腕ではなかった。

(……ラニがトレンチコートを着なくてよかった)

 マウリアの投げたコートを投げ捨てるcordイレブンの横をすり抜けて、マウリアはカーテンにしがみ付く。

 そして思いきり床を蹴って窓の外へ飛び出した。

「馬鹿……何を……!」

 明らかに驚いているcordエイトの声を聞いてマウリアは心の中で舌を出す。

「私は、死なない……!」

 カーテンにしがみ付く腕に力を入れて落下に耐える。アジャスターフックが急速に外れ、カーテンがみるみるうちに窓を離れる。

(一瞬でも、落下に耐えればチャンスは手に入る……!)

 マウリアは左手に持っていた、ラニのトレンチコートのウエストから取ったベルトを自身の即方へ思いきり振る。

 自分の宿泊していた部屋が非常階段の真横にある部屋だった事を、マウリアは知っていた。

 ベルトは狙い通り階段の手すりに引っ掛かり、巻き付いた。

(逃げ切る……! 死ぬものか……!)

 右手をカーテンから離し、両手でベルトを握る。カーテンが落下すると同時にマウリアは壁を蹴り、何とか非常階段へ飛び移った。絶対無理と思える事もいざ追い込まれると意外とできてしまうものだ。日本ではこれを「火事場の馬鹿力」と呼ぶらしい。

(本当にできるとは思わなかったけれど……!)

 唖然とした表情で立ち尽くすcordイレブンを心の中で「バーカ」と蔑みながら、マウリアは階段を駆け下りた。


 3


「マウリア・ジェルミナ……」

 cordエイトは呟いた。そして、直後に拳を握る。

(……屈辱だ)

 少し前まで生殺与奪の権は自分達が握っていたのに、そんなすぐに殺せるような、本心から侮っていた相手に出し抜かれたのだ。

 cordエイトは大きく舌打ちをした。

「cordエイト……」

 cordイレブンが話しかけてきたが、

「何している! さっさと追いかけろ……!」

 間髪入れずにそう叫ぶ。

「……」

 無表情でその場を去っていくcordイレブンを見ながら、cordエイトはゴキゴキと首を鳴らす。

「やっぱり親子なのね……。本当にムカつくわ……」

 イライラする。自分のメモリは最も性能が低く、その影響かは分からないが、こんな感情が常に渦巻いていて自分でも困る。

 だからこそイライラの元凶は徹底的に潰さないと気が済まない。彼女をこんな心理状態で作り出したドクトルを殺した時は本当にスカッとしたが、もっと不快な存在が現れた事にcordエイトは憤る。

「私のメモリは、完全じゃない……」

 誰かに語り掛けるようにcordエイトは独り言を口にする。

「……フフ」

 モニターを睨み付けるアンドロイドと銃を片手にソファに座る屍だけの部屋で、乾いたような笑い声が漏れる。

「アハハハハハッ……!」

 その笑い声は次第に大きくなり、部屋中に響き渡る。はたから見ればトチ狂った情緒不安定な狂人に見えるだろう。

(まあ、仕方がない。現に私は狂っている。それくらいの分別は付く)

 異常者を見るように軽蔑の視線を向けた少女の態度を肯定し、cordエイトは心の中で自嘲する。

「……だからこそ、あなたは愚かな選択をしたわ。マウリア・ジェルミナ」

(私の行動には、正義なんてモノはない。「白か黒か」の問いがあれば、迷う事なく「黒」を取る。この歴史上最悪のメモリを持って生まれた時点で、私のあり方はそうデザインされたのだ)

「そんな異常者に、真っ向から敵対の意思を示したのだから」

 犠牲が伴う戦いは、いつも異常者から始まる。そこにどんな志があったにせよ、闘争の中で失われた存在の大きさが、その闘争が歴史のページに残した筆圧の強さが、その者の名を「異常者」として語り継ぐ。その志を「別の正義」と捉える者もいるだろうが、大抵は長い年月の中で人類の深層心理に書き込まれた「模範的な正義」の「敵」となる。

「とことんやってやるわよ……。私を、あなたの敵という存在を、マウリア・ジェルミナという歴史のページに永遠に刻み込んでやろうじゃないの」

(そう、私にはそれができる力がある。あなたが死するその瞬間まで、いや、煉獄の炎に焼かれた燃えカスと共に焼け残るくらいまで、私という「異常者」を記憶の底に叩き込んでやろう)

「ゲーム開始よ。私達Haruzionは、最高に刺激的なハードモードを提供するわ」

 敵意に満ちた瞳をギラつかせ、cordエイトは微笑んだ。

「最高の玩具をありがとう。あとは私達で楽しませてもらうわね」

 背後の屍に吐き捨てながら、cordエイトは通信機のスイッチを入れた。


(足が痛い……)

 階段から離れ、人気のない場所まで移動するとマウリアは気付いた。やはり相当な無理が祟ったのか、右足が痛み出した。

 どうやら階段に飛び移った時に軽く挫いてしまったらしい。そもそも運動が苦手で、家からも殆ど出ない人間だったのだから、いきなりあんな事をして無事に済む訳がないのである。

「っ……!」

 追われている状況であるため立ち止まる事は出来ないが、徐々にはっきりと認識できるくらいまで強まっていく痛みに顔を顰める。階段に飛び移った瞬間にアドレナリンの分泌はピークを迎えてしまったようで、運命が彼女の生還を拒むかのように足の痛みを蘇らせる。

(お願いだから、まだ止まらないで……!)

「うぅ……!」

 意志とは無関係に痛む右足を引き摺りながら、マウリアは懸命に前へ進む。相手は歴史上最強のアンドロイド兵器だ。一度虚を突いたところで、完全にやり過ごした事にはならないだろう。むしろ、一度でも標的を取り逃がしたのならば、二度と同じ轍を踏まないように学習する筈である。そうでなければ、歴史上最強と言われる筈がないのだから。

(ラニは大丈夫かな……?)

 ホテルの六階から放り出された友の事を考える。ラニはアンドロイドである。常人であれば深刻な

 ダメージになるような事にも耐える体は持っているかもしれない。

(でも、それがアンドロイドからの攻撃だったなら……?)

「い……痛い……!」

 嫌な想像で思考がぶれて、その分注意が痛みに集中する。右足全体を支配する痛みにマウリアは思わず足を止める。

(ダメだ。止まったら殺される……)

 未だにcordイレブンの姿は見ていないが、徐々に近付いているように感じた。例えその予感が思い込みに過ぎなかったとしても、満足に動く事ができない今のマウリアには、危機感を捨てる事など不可能である。

「ぐ……うぅ……!」

 目に涙を浮かべながら、無理矢理にでも、足を動かそうとした時、


 ……カッ

 何かの音がしてマウリアは動きを止めた。

「……?」

 カッ

 空耳ではない。明らかに耳に入ってきた。さっきよりもはっきりと。

「な……何……?」

 その場に立ち止まり、神経を集中させる。この一瞬だけ足の痛みが和らいだ気がしたが、今はそんな事はどうでもいい。

(これは一体……?)

 カッ!

「っ……!」

 音の正体を理解し、マウリアは戦慄する。そして、その二秒後には走り出していた。急速に右足の痛みが呼び戻されたが、そんな事は気にしていられない。

(……ヒールの音だ!)

 ただただ振り返らずに走り続ける。振り返ってもマウリアの望む光景は彼女の目に映らない事は分かっていたからだ。

 湧き上がる焦燥感に背筋がゾクゾクする。彼女の背後から迫る冷たい殺気が、淡々と彼女の名を連呼する無気力な声が、振り返らずとも生命の危機を教えてくれた。

「マウリア……マウリア……マウリア……マウリア……」

 徐々に大きくなる呼びかけにマウリアの心は追い詰められていく。敵対する相手を間違えた事を今更になって後悔する。

(殺される……! 捕まったら、殺される……!)

「マウリア……マウリア……マウリア……マウリア……マウリア……マウリア……」

 近付いてくる声と、ヒールの音から遠ざかるようにマウリアは必死で走り続ける。呼吸器に変な痺れを感じ、体のあちこちが痛み始める。しかし、時間が解決する不調よりも、マウリアには背後から迫る逃れられない死の確信が最も重要な事だ。

「マウリア……マウリア……マウリア……マウリア……」

必死で走っているうちに、遂にマウリアの足が重くなった。体力の限界を中枢神経が理解した瞬間に、マウリアも動けなくなる。

(……ダメだ。止まってはダメだ)

「マウリア……マウリア……」

「え……?」

 その場で立ち止まり、過度な負担に震える体を引き摺りながら、マウリアはある事に気が付く。

(……声は背後から聞こえる)

 ただ、気付かない方が、良かったかもしれない発見だった。

(でも、ヒールの音は側方から……)

「っ……!」

 少しだけ回復して、周囲を観察できる程度には冷静になって、ようやくマウリアは理解する。

「そ……そんな……」

 広い、隠れる場所のないエリアでマウリアは立ち止まっていた。

(誘い出された……!)

「マウリア……」

 背後から声がする。しかし、振り返る前にマウリアの動きは停止した。

「マウリア・ジェルミナ……」

 似たような声が自身の右側からも聞こえたからだ。ヒールの音が側方からも聞こえていた。その時に気付くべきだった。

「う……うぅ……」

 自身が直面している状況にマウリアは、恐怖の悲鳴を漏らす。自身の顔が引きつっている事を理解するのに、さほど時間はかからなかった。

「マウリア・ジェルミナ……」

 そして前方から大きなモニターを持って、自身の背後と真横に立つ存在と瓜二つの女性が近付いてくる。

 そのモニターにはマウリアを嘲笑うような表情でcordエイトが映っている。

「cordナイン、cordテン、そしてcordイレブン……。あなたの敵になる事を望んだのは、私だけじゃないみたいね。マウリアちゃん」

「……あ」

 震えながら、茫然と立ち尽くすマウリアをcordエイトは狂気に満ちた表情で見つめている。

「さあ、鬼ごっこの次は何をして遊ぶ?フフフフフ……アハハハハ……!」

 まるで空っぽになったような脳内にcordエイトの笑い声が響き渡る。一刻も早くその場を離れたい衝動とは無関係に停止する体で、静かに流れる時を貪る。逃げ場のない、鳥籠のような空間の中で、マウリアは三機のアンドロイドに包囲された。


 4


「……」

 拉げた車のボンネットの上で、翡翠色の瞳は夜空を見上げる。美しい星空と、月明かりの照明が静かに暗黒の空間を照らしている。

 かつて友と誕生日を祝った夜に自室から見た空もこんなだった。そんな事を思い出しながら、体を起こす。

 思う事は色々とあるが、心の中の大半を占める感情を、立ち上がる頃には理解していた。

(……腹立だしい)

「……」

 こんなにも不快な思いをしたのは初めての事だった。自身の手の届かない所で、再会を誓った人を殺された。

 その出来事に悲しむ友を笑われた。そして何よりも、一瞬の油断で守るべき存在から離れ離れとなった

 この状況を作り出してしまった、自分自身が許せなかった。

「ドクトル……」

 手の届かない場所で殺された、親の顔を思い出す。

(知っている。これは、悔しい)

「cordエイト……」

 狂気に満ちた笑顔を見せながら、宣戦布告をしてきたアンドロイドを思い出す。今も、自分を遠ざけた事にほくそ笑んでいるだろう。それを思うと沸々と怒りが込み上げる。

(これも分かる。これは、敵意)

「マウリア……!」

 自分の過失のせいで危険に晒されている、守るべき存在の名を叫ぶ。

(これは……正直言ってよく分からない。色々な感情が入り混じっているこの状態は何と言うのだろう?)

「っ……!」

 多くの感情に揺れる心の中に呼応するように、体中に闘志のガソリンを注ぎ込まれたような感覚が、守るべき存在への愛情から来る強い意志に呼応するように、体中を勇気が光の速度で循環するような感覚が、全身を操縦する。

「マウリアを守る……!」

 地面を蹴って走り出した体は、その速度を急速に上昇させていく。青い疾風となって猛進する空色の髪のアンドロイドを、月明かりが照らしていた。


「う……」

 足を動かそうと試みたが、マウリアの体はまるで言う事を聞いてくれなかった。肉体的にも精神的にもとっくに限界を迎えていたようで、自身が直面している危機的状況を頭では理解していても、マウリアにはどうする事も出来なかった。

 マウリアは完全に追い詰められた。

「さて、もうかっこいいセリフは要求しないわ。こっちとしては気分が悪くなるだけだし、もうマウリアちゃんにはそんな余裕ないだろうからね」

 不敵に微笑むcordエイトの表情に、マウリアの顔は恐怖に染まっていく。ホテルで見た表情とは何ら変わりなかったが、ホテルと違って逃げられない状況の中で素直に殺意を向けてくる存在は、一層恐ろしく見える。

 少し前まで、敵対する姿勢を崩さなかった表情は、言葉にせずとも、敗北を認めたような表情に変わっているのだろう。

 乱れた視線をモニターに向ける事しかできないマウリアの姿に、cordエイトは満足気に口角を吊り上げる。

「そうなると、ドクトルみたいに訳の分からない口上をつらつらと並べるマウリアちゃんも見てみたい気もするけれど、今のマウリアちゃんの顔に似合うのは一つしかないだろうね」

「うぁ……」

 真正面から押し寄せる凶悪な圧力に、立っている事もままならない。万策尽きたマウリアの耳にはcordエイトの声がさっきから遠回しな死刑宣告にしか聞こえない。

 「ほら、跪いてみっともない命乞いを見せてごらんなさい。その恐怖に染まった顔で私が満足するようなセリフを口に出してみなさいな。その頑張って引っ張り出した言葉を真っ向から否定するのが、楽しみで仕方ないわ」

「っ……うぅ……」

(殺される……)

 死に物狂いで体を動かそうと試みるが、足が殆ど動かない。それでも全身に力を込めてマウリアはもがく。

「全く……。まだ分からないの?」

 そんなマウリアの意思を察したのかcordエイトは溜め息をついた。

「仕方ない。もう少しはっきりと教えてあげる。」

 明らかにその場の空気が変わり、マウリアは咄嗟に身構える。

 こんな時には体が動くのにどうして逃げる事はできないのだろう?

「cordナイン」

 その言葉が聞こえた瞬間に背後でヒールの音がした。マウリアが振り返った時、鈍い痛みが腹部に走った。冷たい拳がマウリアの体に食い込む。まるで容赦がない。腹の底から立ち上る酸性の臭気が食道を通過する。マウリアがその場に膝を付くと同時に彼女の口から胃の内容物が漏れ出した。

「ガハァ……!ぐぇあ……」

「アハハ!ヒキガエルみたい!」

 そんな彼女の様子を見ながら、cordエイトは笑っていた。

「うぐ……あぁ……」

 気が遠くなるような苦痛にマウリアが倒れそうになると、

「cordイレブン」

 間髪入れずにcordエイトの声が聞こえ、すぐさま側方から手が伸びる。

 逃げ出そうとしたが、既にマウリアの喉にその手が到達しており、すぐにマウリアの体は持ち上げられた。

 途轍もない力で首が閉まっていく。

「が……はぁっ……!」

 引き剝がそうと手首を掴むが、まるで歯が立たない。床から離れた足がぶらぶらと揺れ、やがて手首を掴む指も力を失う。

 次第に視界が狭まり始め、マウリアの意識が遠のいていく。

「ほら、あなた死ぬわよ」

 面白がるようにcordエイトが語り掛ける。マウリアが彼女の求める言葉を言うまで止める気はないらしい。

 しかし、今のマウリアに声を出す余裕がない事に彼女が気付いているかは、全く分からなかった。

「ぁ……」

(……声が出ない)

 最後の力を振り絞り、声帯に力を込めるが、声が出ない。

(もうダメ……。目の前が暗く……)

「……!」

 マウリアが目を閉じた時、ふと、首を絞める力が緩んだ。cordイレブンが向ける視線の先に気配を感じて目を開ける。

 直後、物凄い音と共に、cordイレブンの体が揺れる。

「っ……!」

 cordイレブンの見ていた方向を確認するよりも先に、マウリアの目には、首から上を失ったcordイレブンが映った。

 突如として現れた青い烈風が、cordイレブンの頭を蹴り飛ばした。



 ラニと一緒に、ある場面を見た事がある。夏季の長期休暇の初日だった。

「……ふう」

 溜め息のような小さな声を出しながら、着席したまま体を伸ばす。マウリアはいつも、長期休暇の宿題は初日の午前中に終わらせてしまう。授業を真面目に聞いている上に、最低限必要な復習もその日のうちにやってしまうので、過去に頭に入れた内容を寄せ集めた物を終わらせるのはそう時間の掛かる事ではない。

その日も早々に終了し、昼食まで時間があったので動画サイトを見ながら時間を潰していたところだった。

「入るわよ」

「うん。どうぞ」

 適当に流し見をしていると、ラニが入ってきた。左手にはティーセットの乗ったトレイを持っていた。

「休憩が必要かと思ったけれど……。少し来るのが遅かったみたいね」

 マウリアの様子を見てラニは全部理解したようだ。予想以上の速度に少し驚いているようにも見えた。

「うん。でも、せっかく持ってきてくれたんだし、お茶にしようよ」

 そう言ってラニの分の椅子を用意して、二人分のティーカップを乗せられるように机上を片付ける。準備が整うと、ラニもカップに紅茶を注ぎ、邪魔にならないスペースにトレイを置いて、マウリアが用意した椅子に腰かけた。

 ダージリンの香りが机上を包み込んだ。

「これは、何を……」

「動画サイトだよ。知らない?」

 ラニは頷いた。UMAに遭遇したかのような目でパソコンを覗き込んでいる。

「世界中の色々なジャンルの動画が見られるサイトで、私は暇な時に流し見しているよ。ぼんやりと見ているだけでも結構時間が経ってたりするよ」

「そうなんだ……。で、この動画の人は何をしているの? 炭酸飲料を破裂させているようにしか見えないのだけど……。これに何の意味が?」

 そう言われて、マウリアも「バカ動画」を再生していた事に気付く。確かに動画を普段見ない人には理解できないジャンルだろう。

「あはは……。そうね、こういうのも結構あるからね」

 苦笑いを浮かべながら、別の動画を再生する。そうやって、暫く二人で見ていた時、ある広告動画が入ってきた。

 スキップできないタイプの動画で、プロレスの動画を見るために便利なサービスを紹介するもののようだった。

 マウリアは別に興味があった訳ではないが、意外な事にラニが食いついた。スポーツの格闘技を知らなかったらしく、戦場でもないのに、人間が戦っている光景が、あまりにも奇妙に見えたらしい。

「こんな文化があったの……。知らなったわ」

「まあ、自分から関わらない限り、知る事のないジャンルだからね。男の人は特にこういうジャンルが好きみたいよ」

 マウリアのクラスでも男子生徒が話題に出しているのを何度か見た事がある。

 その流れで暫くプロレスの動画を見ていた時、

「おお……。これは……」

 ラニがある場面に驚いた。マウリアには詳しい事は分からなかったが、「必殺技」とされる技が

 プロレスには存在し、ある選手がそれを決めたシーンだった。

「確かにこれはインパクトがあるね。なんだかヒーローみたいだった」

 勝利を物語る表情で拳を掲げる選手を二人で見ていた時、ラニの持つアラームが鳴った。

「あら、もうこんな時間。昼食の準備をしてくるわ」

「あぁ、うん。わかった」

 片付けを始めたラニを見て、マウリアも残りの紅茶を飲み干してトレイにカップを乗せる。

「じゃあ、準備が出来たら呼ぶわ」

「ああ、ラニ」

 部屋を出ようとするラニを呼び止める。それに彼女も振り向く。

「どうかした?」

「もしも私が悪い人に襲われてたら、ラニもあんな風にかっこよく技を決めて欲しいな」

 冗談半分に笑顔を見せる。

「考えておくわ」

 マウリアの冗談にクスッと笑ってそう言うと、ラニは部屋を出て行った。


 そんなやり取りがあった事をふと思い出した。だからマウリアは目の前の光景に驚いた。自分を持ち上げていたcordイレブンに、颯爽と現れたラニが、あのプロレス選手のようにドロップキックを決めたのだから。かつて自分が言った冗談が現実になったのだから。


挿絵(By みてみん)


「cordシックスティーン……!」

 目の前の光景に、同じくcordエイトも驚いたようだった。

「ギッ……ガ……」

 相当な威力だったのか、吹き飛んだcordイレブンの頭は機械音のような断末魔と共に機能を停止した。

 それによって力を失った手をマウリアは振りほどいて着地する。

「ラニっ……!」

 赤くなった首を擦り、咳き込みながら彼女を呼ぶ。

「ごめんなさい。マウリア……。私のせいで危険な目に遭わせてしまったわ」

「ラニ……。大丈夫よ。助けてくれてありがとう」

 彼女の元へ歩み寄り、マウリアは答える。

「私から離れないで。もう、私もあなたから離れないわ」

「うん。守って。ラニ」

 マウリアがそう言うと、ラニも頷き、臨戦態勢を取った。


「cordナイン! cordテン!」

 cordエイトが叫ぶと、cordナインは太腿のホルスターからナイフを取り出し、cordテンもモニターを置いて、両手の甲からブレードを出した。表情は変わらなかったが、静かな殺意を全身に纏っている。

 その圧力に、不屈の闘志で対抗しながらラニは敵を睨み付ける。

「降りかかる火の粉は払うまで……。マウリアは、私が守り抜く……!」

「ほざけ! すぐに鉄屑に変えてやる!」

 cordエイトが叫ぶと、二機のHarujionは一斉に襲い掛かってきた。

「cordシックスティーン……」

「マウリア・ジェルミナ……」

 ラニはcordナインの攻撃を受け止め、マウリアを狙って攻撃してきたcordテンを渾身の力で蹴り飛ばす。

 cordテンの体は、まるでゴムボールのように床を一度バウンドし、蹴られた先の壁に激突した。

 その光景を見てモニターに映るcordエイトは明らかに驚愕していた。

「馬鹿な……」

「マウリア、少しだけ下がって」

「え……うん」

 マウリアが指示に従うと、

「それで良い」

 そう言うなり、ラニはcordナインのナイフを掌底で叩き折り、cordナインの襟と袖を掴んだ。

「……!」

 危険を察知したように、cordナインはもがいたが、引き剥がせない。

「準備なさい。私のは迅いわよ」

 そう言ってラニはcordナインの体を目にも止まらぬ速度で引き寄せ、そのまま、勢いよく背負い投げを決めた。一体どれほどの力と速度だったのかは、マウリアには分からなかったが、cordナインが叩きつけられた床はひび割れてクレーターのように凹んだ。

「がっ……!」

 受け身が取れずに勢いよく叩きつけられたcordナインは目を見開いて悲鳴を上げた。それが、cordナインの最後の言葉となった。

「……どうか許して頂戴。ドクトル亡き今、あなた達は残しておけないの」

 ラニは痙攣しながら天を仰ぐ、cordナインの頭を踏みつけ粉砕した。

「cordシックスティーン……!」

 モニターに映るcordエイトは怒りに満ちた声を上げてラニを睨み付けた。

「……私は」

 それに対してラニは何かを言おうとしたが、

「cordシックスティーン……」

 cordテンに遮られた。

「ラニ……!」

「問題ないわ」

 襲い掛かって来るcordテンの前にラニは素早く立ち、構える。

「cordシックスティーン……」

 cordテンは物凄い速度で攻撃を繰り出したが、ラニに簡単に受け流された。合気道を知らないのか、cordテンはひたすらに攻撃を繰り出し続け、ラニに悉く無効化された。

「cordシックスティーン……!」

 そして、再び彼女のかつての名を呼んだ時、

「うるさい……」

 ラニの肘鉄で右腕の関節部分を砕かれ、流れるように回し蹴りを食らう。先程蹴られたのと同じ場所に命中し、cordテンの体には風穴が空いた。

「……cordシック」

「私をその名で呼ぶな!」

 cordテンが言い終える前に、ラニが遮る。最後まで言い終える事のない独り言。それが、cordテンの遺言となった。直後、ラニの放った空中踵落としでcordテンの頭が腹部の風穴から見える位置までめり込む。

「ラニと呼べ……!」

 そう口にして、その顔面めがけて蹴りを放つ。靴底の形に穴が開いた、アンドロイドの頭部だった物は飛んだ先の壁にぶつかって粉々に弾け飛んだ。

「敵機停止確認。戦闘終了……」

「ラニ……!」

 近付いてくるマウリアを抱き寄せる。自身の腕の中で微笑む彼女を見てラニも微笑んだ。

 静かに抱き合う二人の姿を月明かりが照らしていた。

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