23 夜会と決闘
堪忍袋の緒が切れたエマは、イブニンググローブを外すと、カミーユの胸に叩きつけた。
夜会の場にいた人々は、エマの行動に息を呑み、動きを止めて静まり返る。楽団は戸惑いながらもメヌエットを奏で続ける。
「ラトゥリアでは何か意味のある作法なの?」
「手袋を外してはならぬだろう?」
「シェラシアの作法か?」
困惑した囁きがあちこちから溢れる。
エマは、息を吸うと、大きな声で話し始める。
「汝! せ…」
エマがカミーユに啖呵を切ろうとすると、近くにいたアンリは振り向きざまにエマの口を手で塞ぎ、自らの胸にエマを引き寄せた。
その時、会場内で、バチバチと爆竹が鳴る。
アンリとエマが沈み込むように床に伏せるのを見て、人々も次々としゃがみ込む。
次の瞬間、アンリは床に伏せたパブロに覆い被さる。
それを合図に、会場に潜伏していた騎士たちが、給仕や商人に身をやつしていた賊三人に飛びかかる。
騎士に数の利はあるものの、騎士と給仕や商人が揉み合う姿に、阿鼻叫喚となり、会場は騒然となる。
パニックになった人々が我先にと会場の出口に押し寄せる中、アンリの声が響いた。
「制圧完了! 殿下は無事! 被害状況を報告せよ」
出口に向かっていた人々の足が止まり、アンリのもとに数人の騎士が集まってくる。
アンリはエマの居た方を振り返ったが、人垣で見つけられなかった。パブロよりもエマを守りたいのに、それができない。
近衛騎士になった時、家族よりも任務を優先すると宣誓した。大した内容ではないとその時は思ったが、今はそうは思えない。
「皆さま、危険はありません。騎士団が賊を制圧しました。お騒がせのお詫びにドポム家の秘蔵ワインをご用意しました」
ダニエルが人々に呼び掛けると、乱れた髪や着衣を直しに一部のご夫人方が退出する他は、続々と会場に戻ってくる。
給仕たちも慌ただしく乱れたテーブル、割れたグラスを片付け、秘蔵ワインを配って回る。
「エマ嬢…」
カミーユが、まだ床にへたり込んでいるエマに手を差し出す。
「…」
エマは無言のまま自力で立ち上がる。
「お怪我は?」
エマは首を振ってカミーユに答える。
「エマ嬢… 手袋をお返しします… 騒ぎで有耶無耶になってしまいましたが… この手袋の意味… 私に決闘を申し込もうとした、という理解で合っていますか?」
爆竹から始まった捕物劇の直前、エマはカミーユに手袋を投げつけていた。
近くにいた貴族らがカミーユとエマが話をしていることに気づき、成り行きを好奇の目で見ている。
「合っています。ベントレ卿、あなたは私の最愛の人を侮辱しました。だから、私は、アンリ・イザク・ドランジュに代わり、あなたに決闘を申し込みます」
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵
昨晩からの捜査で、タイタンと思しき容疑者五名を取り押さえていたものの、頭領を含む数名は温泉郷に潜伏したままだった。
事前に捕まえたタイタンの所持品や供述から、得物を刃物に特定できたため、パブロにはチェインメイルを着せて会場内で残党を押さえるという荒っぽい作戦を取ることになった。
アンリは猛反対したが、パブロはアンリと騎士団を信用しているから良い、手際のいい捕物劇はむしろよいパフォーマンスだと、面白がってさえいた。
夜会の開宴後、エマとアンリはパブロの側を離れず、招待客に挨拶回りをするふりをしながら、不審人物を探していた。
アンリがエマに言っていたのは、もし何か気づいたら、アンリに合図をして欲しいということだった。
エマらに背を向けるようにカミーユは他の貴族と話していた。侯爵家長男のご機嫌を取ろうとする貴族たちをうまくあしらう様を度々目にしていたため、高位貴族は大変だな、ぐらいにエマは思っていた。
エマへの執着への面倒臭さは別にしても、その程度には、カミーユの人となりを信用するようになっていたのだ。
「諜報の仕事は、人を欺いたり、利用したり、普通の神経ではやってられないでしょう」
「人格が破綻しているから、優秀な諜報員なのでは」
「諜報は、人を殺めることも仕事だと言いますから」
漏れ聞こえてくる会話がアンリのことを指していると気づくとエマは耳をそば立てた。
カミーユの機嫌を取ろうとする貴族たちの言葉の一つ一つにエマは抗議したかったが、ふつりと心の中で何がが焼き切れたのは、カミーユのその一言だった。
「…諜報員という名の暗殺者であると言いますからね」
政治の中心に近いところにいる侯爵家の嫡男が言っていい表現ではない。全ては任務である。そんなことを言うのなら、国軍、領軍、騎士団の全てが任務に基づく殺人者である。
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵
喧騒の中、壁際に移動して話を続けた。相変わらず、好奇の目に晒されてはいるものの仕方ない。
「なるほど、あの時の私の発言を、アンリ殿への侮辱と捉えたと…」
カミーユはエマに確認し、思案する。
「…わかりました… というのは、私の発言の一部を、あなたが誤解された、ということが。まあ、言い訳に聞こえるでしょうが、『別の国では、諜報員という名の暗殺者である』と言いました。私の立場で、国王の直属部隊の任務を批判しませんよ」
自分が早とちりしたのか、目の前の青年が言い逃れしているのか、エマはその瞳を見つめ返して確かめる。
「…私の早合点ですね。大変な無礼を働きました。申し訳ございません」
頭の回転の早いこの男の表情からは、どちらとも判断しかねた。謝罪にしては、心のこもらない言い方で返した。
会話で彼に勝とうというのはどだい無理な話だ。
「しかし、私が子供じみたやり方で、アンリ殿を侮るような振る舞いをしていたから、お怒りだったのでしょう」
カミーユが続ける。
「ところで、あなたは私とどんな決闘をするおつもりでしたか?」
「拳銃です」
少し前から護身のために始めたが、意外と上達が早く、狩りにも役立つため、小銃だけでなくライフルも始めたところだ。アンリに見つかった時はお説教されたが、結局アンリの指導の元、続けて良いことになった。
「なるほど… あなたがそう仰るのなら、あなたに勝機がありそうですね… あなたは命を賭してまでアンリ殿の名誉を守ろうとなさる…」
カミーユが顔をエマから逸らし考え込む。ぽんぼんと話し続けるカミーユにしては珍しい。長い沈黙の間、エマはその横顔から読み取れるものを探したが、何も見つからない。
「では、チェスで勝負しませんか? あなたが勝てば、私は生涯アンリ殿に敬意を払います。私が勝てば向こう一年、横恋慕させて頂きます」
エマはカミーユの真意を計りかねる。
「… 敬意ですか… 」
「ええ」
「悪意も敵意もなく?」
「ええ」
「親愛の情を持って?」
「… まあ、そうですね。私のあなたへの親愛の情は、アンリ殿にも向けられるべきでしょう」
エマは混乱する。
「私が勝ったなら、私とアンリと…よき友になるという意味で合っていますか?」
「エマ嬢、それは定義が難しい。得か損かわからないでしょう。最初の条件、敬意を払う、でチェスをしましょう」
「…敬意を払うの定義も難しいのでは?」
「では… 定義を書面にしましょうか? 騎士道精神に則ると、無粋ですよ?」
エマはため息を吐く。やはり、口では負ける。
「ええ、シエンタで落ち着いた頃に。それまでは停戦です」
こうして、時代遅れの決闘が約束された。




