19 饒舌な独り言
夕暮れのラウンジのテラスでカミーユは一枚のカードを指で持て遊びながら、中庭を眺めている。
その中庭は、数時間前にたくさんの人々が集まり、騎士団の模擬戦が行われた場所だ。
模擬戦はシェラシア側がラトゥリアの歓待への礼として催されたイベントで、シェラシアの流儀で取り仕切った。
デモンストレーションの当初の予定は、第三王子パブロと辺境騎士団のジャック・マーロウの対戦だった。
デモンストレーションの参加条件は、シェラシアの王立寄宿学校の剣術を履修していること。一方は軍属の者を、もう一方は軍属でない者を選ぶ。いつ始まったかはわからないが、長く続く習慣だ。
本職の軍人も、文官貴族もどちらも剣技が磨かれていることを示すためだとか、武官と文官が対立することの多い中央政権内において対戦させることが余興として盛り上がるためだとか、と言われている。
しかし、今回は、警護の都合上パブロが出るわけにいかず、パブロ一派の文官が出ることになった。
さらに、予定していたジャックの到着が遅れ、誰を代打に出すか揉めていた。辺境騎士団は、警備の任務に割いていて人がいない。すったもんだの末、アンリがジャックに代わることになった。
それを聞いたカミーユがパブロの代わりに改めて名乗り出たのは、出来心としか言いようがない。技の面では、初めからアンリに劣るのはわかっていた。エマに対していいところを見せられると思ったわけでもない。
しかし、実際にデモンストレーションが始まると、アンリは、技が美しさだけでなく、一太刀ごとの重みが全く違う。あしらわれているとわかると、型を破ったらどうなるか試してみたくなった。不意をついたらどうなるかと、やってみたが、全く動じない。楽しくなって、これならどうだ、あれならどうだ、と試している内に型などすっかり忘れて、カミーユは本気になった。
慌てたアンリの兄が止めに来た時には、カミーユの体力の限界でもあった。
カミーユは皮のめくれた指で、書きかけのカードを持て余す。
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As an unperfect actor on the stage
Who with his fear is put besides his part,
Or some fierce thing replete with too much rage,
Whose strength's abundance weakens his own heart.
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緊張の余り、その役を忘れてしまった
役者のたまごのように
怒りが勝り、平静を失った
屈強な男のように
筋肉痛の始まった腕の重みを感じながら、カードを内ポケットにしまう。
署名できずにいたのは、余りにも言い訳じみていたからだ。この詩ほど切羽詰まって言い訳したい訳じゃない。怒りはなかった。妬みはあったのかもしれないが。
ソネット23番は、愛を上手く囁けないから詩にして愛を伝えよう、と締めくくられる。
つい先日、絵を持って行った折に、喋り過ぎを指摘されたばかりだ。どの口が言うのか、とエマに笑われるのがオチだ。
「ベントレ卿」
テラスに出て来たご夫人方に声を掛けられる。カミーユが笑顔を見せ、視線を下げると離れてゆく。一晩の楽しみのために声を掛けてくる女性は食い下がることがないから、すぐわかる。
女性に消費されるのも悪くない。しかし、本当に手に入れたいのは、自分を消費する女性ではない。
シェラシアの男たちは、妻の尻に敷かれたがる。
有名なのは、アンリの兄のダニエルだ。
しかし、ダニエルは馬車で何週間もかかる領地にいる伯爵家の次女を妻にした。何度も何度も訪ねて口説き落としたことはあまり知られていないが。
男たちは、妻にぞっこんなのを隠すため、妻が恐いから女遊びをしない、と触れ回る。
ダニエルにしても、若い貴族女性とお喋りしたい、と日頃から言っているが、それは自分の妻ほどの女性はいないと確認して、安堵したり、そんな素敵な女性を妻に持つ自分に対して悦にいるためだ。
そんなたった一人を求めるからシェラシア男はしつこい。持てる最大の情熱をもってして、一人を口説き落とそうとする。
カミーユにとっては、それがエマだった。
街道開通式典の折、馬車旅を共にしたセオドアの見合い相手だった。初めは、美しい娘だと思っただけだった。イエローダイヤモンドと呼ばれる理由も、その髪色のせいだろうとしか思わなかった。
ウェルカムパーティーで、彼女がいつも商人たちに囲まれているのを見た時は違和感があった。いくらホストだからと言っても、若い貴族の娘がダンスもせず、中年の商人たちと何を話しているのか、と。
何食わぬ顔をして近づき、何を話しているのかと耳をそばだてると、本当に商売の話だった。あまりに楽しそうに話しているから、ついつい目で追ってしまう。
気取ることなく表情豊かに話す姿にいつの間にか心を揺さぶられた。話す内容にも、話し方にも好感を持った。賢い女性だった。きっと話したら楽しいだろう。
何度か、話に加わろうと試みたが、ラトゥリアの商人たちは、エマに近づくシェラシアの独身男を警戒していた。話の輪に加わったはずなのに、気がつくとエマとは別の輪に引き込まれるのだ。
喪服の乙女の異名は、過保護なラトゥリア商人のせいではないか、と思ったほどだ。
近づけないことが続けば続くほど近づきたくなった。
今まで、兄や姉、周りの仕事仲間に守られてきた彼女は男のあしらい方を知らない。
シェラシアの幻の騎士と言われるほど、社交の場に顔を見せない、女性の扱いに不慣れで高潔すぎる男が口説き落とした。
それなら、勝機がないなどとは思えない。
アンリに先を越されたのは痛手だが、諦めるにはまだ早い。
「ベントレ卿、よいですかな?」
ニーレイだった。貴族社会でいつでも中立地帯なのがこの狸親父だ。
「どうぞ」
「今日のデモンストレーションはなかなか見応えがありましたね」
「久々に剣を握ったからな… 楽しませてもらったよ」
「カミーユ殿が必死になるところを見せて頂けるとは、今年の秋祭りはシエンタに張り付いた甲斐があります」
「で? この手に塗る軟膏でも売りつける気?」
ニーレイは用がないのにやってくるような男ではない。
「ハッハ! ご所望ならご用意しましょう」
「本当に欲しい物を用意して欲しいものだ」
「それは、取り扱いがありませんな。残念ながら」
「あいつは君から何を買ったの?」
エマの心を揺さぶった贈り物は何なのだろうか。宝石でなびくとも思えない。
「商人が他の顧客の情報を漏らさないことはご存知でしょう?」
「何を言う? ご夫人方には口軽く話すだろう?」
「それは、流行の品についてですよ」
「あれは、流行にもなる逸材だと思うけど?」
「一品物で替えがありませんからねえ」
「なるほど」
「カミーユ殿は、ふわふわした女性がお好みかと」
「消費するには、な」
「非売品ほど、欲しくなりますか?」
「売り出し中の時でさえ、近づけなかったからな…」
「それは残念でしたな。稀代の優男のあなたが…」
「正攻法じゃ、駄目だったのか…」
「ふふ。神出鬼没、いかようにも扮することができる男でなければ、近づくことはできなかったでしょうね」
「真似はできないと?」
「人真似など、カミーユ殿に似つかわしくない」
「牽制するね? ニーレイには珍しく肩入れするな?」
「全く… 隙があればすぐそうやって…」
「とりあえず、軟膏と恋の病に効く薬を持って来て。痛むんだから。これでは夜会でダンスの一つも踊れない」
ニーレイは、ポケットからガラスの小瓶を取り出すとテーブルに置いて立ち去った。
「軟膏か…」
カミーユは呟くと小さく笑った。
引用
Sonnet23, William Shakespeare
※ソネットの訳は、置かれた状況、読み手と自分の関係性を加味して、カミーユが解釈した意訳です。




