06 Day0 琥珀の髪
キャスティア家の二人とは、挨拶周りを口実にテーブルで別れた。二人が立ち去るのを確認し、エマは口を開く。
「ジェニー、話!」
説明を求めようとした。不自然なこの取り計らいの意味を。
「あ、お口直しの、飲み物!取ってくるわ」
近くに控えている侍女か、給仕に頼めばよいものを、ジェニーはそそくさとバーカウンターの方に消えて行く。
エマがジェニーを責めようとすると、いつもジェニーはにこやかに離れてゆく。姉妹喧嘩のジェニーの定石だ。
やはり、ジェニーは後ろめたいのだ。
西の空のほの明るさもすっかりなくなり、燭台、篝火、月の灯りだけになった。周りのテーブルも晩餐に立つ人が増え、まばらになっている。庭園に残っているのは、あえて夕闇に紛れたい男女ばかりのようだ。
飲み物など待たずに、兄と合流する方が良いだろう。
東の空には大きな月が、赤みを帯びて上ってきている。普段なら、美しいと感じるそれも、周囲に漂う雰囲気のせいか野生的にさえ見えて、エマは心細くなる。
ジェニーの姿を求めて、顔を上げると、先ほどの青年がまだそこに座っている。
気づいたときには、視線が絡み合っていた。
目を逸らすには、不自然な時間が経ってしまった。微笑みで交わすにも、その笑みに理由がつけられない。今、微笑めば、エマが誘っているように見えるだろう。
ゆっくり視線を落とすだけでいい、頭ではわかっているのに、動けない。
柔らかそうな髪。胸元から見え隠れする鎖骨。懐中時計を弄ぶ長い指。男らしさを示す首筋。見つめる瞳。
彼の視線の意味は? いつから、こちらを見ていた? 先の茶番も全て見ていた?
エマは視線を外せないまま、考えを巡らす。
今のエマは、どう見ても独身の貴族令嬢だ。彼が商家だとしたら、気軽に声を掛けてくることはないはずである。商人たちは、紹介者なく貴族に声を掛けることはない。
しかし、エマは式典のホストでもある。その役割で考えれば、紹介なく接触されることもある。
心配性の兄や姉からは、紹介のない人物とは話さないようにきつく言われている。政治的に利用されたり、身代金目当てで誘拐されたり、他国に人身売買されたり、未婚の世間知らずの貴族女性を狙う不埒な輩はたくさんいる。
シエンタに来る外国人貴族は、貞節なラトゥリア女性を手玉に取ることを目的にしている、とも。
青年の視線に、そんな企みがあるようには見えない。別の企みだろうか。
そこまで考え、別の企みとして、違う何かを期待しているかのような自分の考えに疑問を持つ。
彼の瞳から感情が読み取れない。もう少し明るければ、もう少し近ければ、答えがわかるだろうか。
なぜ、彼の感情が気になるのだろう。エマが抱いたこの感情は何なのだろう。
エマは、自分が今どんな表情を彼に見せているか不安になる。微笑んでいる?眉を顰めている?
彼が組んでいた足を解く。こちらに来てしまう、そう考えた瞬間、エマは立ち上がり、急いでその場を後にした。
後ろから掛けられるかもしれない声を期待して? それとも、掛けられなかったことに安堵して?
部屋に戻って間もなく、ジェニーがやってきた。エマが席を立った後、侍女の一人が慌ててジェニーを探し、エマを追いかけてきたようだ。
ジェニーは、何も言わず立ち去ったエマに話を切り出しづらく、庭園での出来事には触れず、晩餐に向かう支度をしている。
一方のエマは、件の青年のことに動揺して、ジェニーとお喋りする気分になれない。
何も起こっていない。彼との間には何もない。何も話せないし、話したくないのに、頭の中が彼の存在でいっぱいになってしまって口をついて出てしまいそうだからだ。
支度が整い、ギヨームの迎えを待っていると、ジェニーが口を開いた。
「ねえ、エマニュエル、もしかして、怒っている? セオドア様との場を設けたこと。」
気まずそうにジェニーが言う。
セオドアやその仲間の話など、頭からすっかり抜けていたエマは、頭を切り替えるのに時間がかかる。
「… まさか! お姉様のことはよくわかっているつもりよ。知らなかったんでしょう? 13歳って」
「まあね。知らなかったというより、16歳だと聞いていたのよ。13歳のお子ちゃまとあなたの結婚なんて考えてもないわ。でも、黙っていてごめんなさい」
ジェニーは、申し訳なさそうにエマの手を取る。
「いいの。お姉様が私の縁談を探すために、王都から来たんだって気づいてるわよ。おかしいじゃない。熱愛中の旦那様を放り出して、一人で来るなんて」
エマは、ジェニーの手を取り、ニヤリと笑う。
「放り出してなんかないわよ。仕事が立て込んでて、来られなかっただけ。ステファンだって、かわいい義妹の役に立ちたいに決まってるじゃない!」
「… そう? ステファン義兄様、私に関心あるように感じたことないけど…」
エマの記憶にある限り、義兄ステファンはジェニーに首ったけで、エマのことなど視界に入らないような人だ。
政略結婚で、そこまで惚れ込まれるジェニーが羨ましくもあり、妻の妹に対してもう少し家族らしい接し方をしてもよいのでは、とも思う。
「気にかけてるわ。ドポムやウチと血縁繋がりが欲しい貴族はたくさんいるけれど、ドポムもウチも、今どうしても欲しい縁はないの。だから、エマが気に入りそうな縁談を見つけるべくステファンも王都であちこち顔を出してるのよ」
ステファンは、美しく聡明なジェニーを見せびらかしたくて連れ歩いている、とドポム家では考えている。本当に、ジェニーを女神のように崇拝している男だ。エマのため、というのは疑わしい。
「うーん、多かれ少なかれ、貴族の結婚に、損得はあるし、政略結婚でない結婚なんてないでしょう? 私の場合、損が勝るのをどこまでイーブンに近づけられるか、って話よ?でも、それが想像できないのよね…」
「おやおや、何をイーブンにしたいって話だい? 妹君たちは、何の損得を話し合っているの?」
話に夢中で、兄ギヨームが入ってきたことに気づかなかった。
「お兄様、黙ってて」
姉妹はその言葉を飲み込んだ。
「… 食事どきにする話でもないから、またね。行きましょう」
夕食の間、式典の話やキャスティア家との会合の話をしたが、ジェニーの企みについてはついぞ触れられなかった。たとえ、話したとしても、エマは上の空であったろうが。
たった二度、視線を交わしただけなのに、なぜこんなに気になるのだろう。
一度目の視線は、素性を検めるため。二度目の視線は、何を検めた? 彼自身を? 何のために?
逆に、彼はエマの何を検めた?
燭台に照らされた、彼の瞳、長い手足、逞しい肩、繊細そうな指先、賢く意思の強そうな眉、品のよい笑顔…
瞼を閉じると、彼の姿が断片的に蘇ってくる。
エマはその晩、悶々としたままベッドに潜り込んだ。
2023年4月改稿しました。