13 邪険にし過ぎても
アンリが執務室で報告書を読み、文官に指示を出しているとエマが部屋に入ってきた。
「おはよう。エマ」
ジャックとの会話で、少し気分の晴れたアンリは、普段の笑みを見せる。
「おはよう。ご機嫌うかがいに来ただけだから、どうぞ、みなさん仕事を続けて」
エマは、侍女からポットを受け取ると、紅茶を入れ始める。
文官たちは気を遣って、部屋を出たり、入り口付近に控えたりする。続けてと言われても、言葉通りにしては、アンリの不興を買う。
「ニーレイとジャックは出発した。現地で騎士団とも合流するし、人員も不足なし。シエンタとここの道中の警備も増員した。シエンタへは連絡した?」
「ありがとう。早朝に早馬を出したわ」
「あとは… 昼前に、義姉のジルが到着するから、紹介するよ。ダニエルも来るはずだけど、当てにならないから。エマは、何か気になることある?」
エマは紅茶をアンリの傍らに置くと、アンリの背後に周り、両肩に手を掛ける。
「根を詰めないで。私にももっと仕事させて」
エマの手がアンリの肩を揉む。非力なエマの力では、小鳥が肩に乗った程度だが、その温もりはアンリを安心させた。
「仕事を詰め込まないと、アレの相手をしないといけないから?」
アンリは、口に出すつもりのないことを口走った。
せっかくいい雰囲気なのに、この話題はない。
「…まあね」
「ごめん… でも、行っても構わない。きみは僕の最愛だし、僕は…きみの最愛だから。必要なら、ホストとして、案内して。狭量な男だと思われたくないしね?」
室内の文官に聞こえないよう、エマを振り返り、いつものおどけた笑顔を見せる。
「最愛よ。不安になる必要はないわ」
振り返ったアンリにエマはそっと口づけた。
互いに、その口づけは不安の表れだと気づいたが、それ以上は何も言葉に出さなかった。
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「こちらが、この温泉郷の湯の源となっている水源です」
結局、押しに負けたエマはカミーユらと、温泉郷の周りを散策している。
ニーレイもジャックも不在で、手の空いているのはダニエルの妻のジルだけだったが、最適なお目付け役でもあった。
ジルはエマと腕を組み、片時も離れない。
小柄なジルは、一見エマの妹のようにも見えるが、発言の一つ一つがきっちりとカミーユを牽制した。
「エマ嬢の発案なんですってね。素晴らしい施設ですわ。それに、街全体の整備も行き届いていて、居心地がいいわ。ぜひ、アンリと一緒にローゼンの観光産業も盛り上げてね」
ジルは、カミーユにも聞こえるように話す。
「ありがとうございます。ローゼンは歴史的にも価値のある造形物が多いので、また違った視点での街おこしができると思います」
ジルが期待してくれていることは、エマにとっても嬉しかった。
ダニエルやギヨームから、ジルはダニエルにべた惚れで、気難しい女性だと聞いていたが、エマを気に入ってくれたようで、すぐに打ち解けることができた。
心を許した相手に細やかな愛情をもって接するその態度が、ダニエルに重すぎると感じさせるのだろうか。男はその扱いが難しい。
アンリの顔が頭を過ぎる。
エマのカミーユに対する態度がアンリを不安にさせているのだろうか。エマは精一杯、愛情を表しているつもりだ。なのに、それも空回りしてばかりだ。
カミーユと自分を比べて卑屈になっている? 洗練された知性、男らしさ、優しさ、思いやり、風貌、どこをとってもアンリに劣るところはない。まさか、爵位?そんなことをアンリが気にするだろうか?
アンリと目の前の赤髪を比べながらぼんやりしていると、お喋りな赤髪が熱弁をふるっていた。
「ローゼンは数百年前には市街戦も経験しているし、苦労の多い土地でしたね。しかし、帝国からシェラシアとラトゥリアが独立してからのこの三百年、両国が力を合わせて近隣国との関係改善を続けてきたことで、今の平和があります。エマ嬢、外交の歴史なら、私からもお話できますよ」
カミーユは、何かとエマとジルの会話に割り入って、自分の土俵に持ち込もうとする。
「ありがとうございます。片田舎の貴族ですから、外交は専門外で…今まで興味を持ったこともなくて…」
エマは素直な気持ちでそう伝えた。領内の経済や産業振興にしか関心を持っていなかったのだから、仕方ない。
「まだ、これから大きな世界を見る機会もありましょう。お知りになれば、楽しく思われるかもしれませんよ」
カミーユは笑顔で答える。
「少し歩き疲れませんこと? 先ほど通り過ぎたカフェ、シエンタの人気店の姉妹店なのでしょう?」
エマが返答に困らぬよう、ジルが先回りして話を変えた。
結局、カフェではカミーユが産業振興と貿易についての持論を繰り広げ、エマもついつい話に食いついてしまった。
当初の押しの強さが胡散臭さを感じさせていたが、賢い青年だ。アンリとの仲に割って入ろうとすることへの嫌悪感はあるが、必要以上に邪険な態度は改め、彼に対する敬意を示すべきだとエマは考える。譲歩しすぎだろうか。
しかし、アンリと共にいる限り、シェラシアの貴族とは付き合っていかねばならないのだから、敵に回さないほうが良いに決まっている。
「お二人は、オペラはお好きですか?」
話が途切れる前に、カミーユはいつも二人に話題を振る。ジルを邪険にすることもなく、見事な話術だった。
「アデニシャンでは野外オペラしかできないわ。ガルデニアは?」
「ええ、ガルデニアもシエンタの闘技場の野外だけです。オペラをやるほどの劇場は建設も維持もできないです」
「あら、シエンタは夏と秋の観光客もあるから、回収できるのではなくて?」
「試算しましたけれど、冬場の使い道がなくて、赤字になります」
「街道ができたので、シェラシア西部からは冬でも観光客は誘致できるのでは?」
「昔の雪の峠越えで事故も多くて、冬のシエンタはシェラシアでは不人気ですから、客足はわかりません。今年の冬がどうなるかですね」
「なるほど。では、お二人は王都へは?」
「「滅多に」」
声が揃ってしまい、ジルとエマは声に出して笑う。
「そうですか… くるみ割り人形やラ・ボエーム、冬の演目はぜひ劇場で。王都にいらしたら、ご招待しますよ」
カミーユが言っているのは、侯爵家のボックスシートのことだろう。
ジルがちらりとエマを見遣る。
「劇場で見れたらいいですね。野外だと、どうしても音が散ってしまって…」
「シェラシアの王都は、私が案内するわ。一緒に行きましょう」
「是非!」
「その折は侯爵家に滞在ください。王都のホテルは、グランホテル・シエンタと比べると見劣りしますから…」
「ドランジュ家で貸家を借りますからお気になさらず。それに、アンリたちが王都に行くなら、タウンハウスを持ってもいいわね?エマ嬢?」
「ええ… 頻繁には行かないでしょうから、貸家で十分かと…」
「では、滞在はどちらでも。しかし、お二人が来たら、オペラは行きましょう。アデニシャン夫人、あなただけだとしても、忘れずに私に連絡をくださいよ。エマ嬢だけをお誘いしているわけではないですから」
「ふふ、そうですね。オペラにお招き頂かないとね」
「そうですよ。ボックスシートを持つものは、席を埋める責任がある。それだけ歌劇場に援助しているので、見ないと損なのです」
「あら、だから、毎夜、違う女性と入り浸っているのかしら?」
ジルがすかさず切り込んだ。ボックスシートの高位貴族たちが、舞台そっちのけで何をしているかは言わずもがなだ。
「是非観たいと仰る女性がいればお連れします。しかし、このように私からお招きすることはありません」
「まあ、どなたにもそう仰るのでは?」
ジルも引かない。
「目の前に花を差し出されたら受け取ります。しかし、いくら欲していたとしても、自ら手折る真似はしませんよ」
カミーユはエマを見つめて言った。
「エマ嬢、それではね、思う壺よ」
カミーユが席を外したため、ジルが耳元で囁く。
「ジル様… 穏便に躱わす方法を教えてくださいませ」
「そうね… シェラシア男に穏便じゃ通じないわ。話が長くなるから、戻ってから秘密会議しましょう」
ジルがエマに微笑みかけると、ちょうどカミーユが戻ってきた。
オペラのことを書こうとすると、時代が…汗




