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11 油絵の方が好き



「アンリ殿、エマ嬢と話をしたいのだが…」


 アンリとエマはカミーユに呼び止められた。



「では、晩餐前にラウンジをお使いください」

 アンリは短く答えると、エマをエスコートし背を向けた。



 エマは回廊をアンリと共に歩く。


「… 」

 昨晩以来、アンリはあまり話さない。温和でいつも穏やかに喋っているアンリが黙りがちとなれば、エマも萎縮して、躊躇ってしまいなかなか話が弾まない。


 心配ないとは言っているけれど、アンリを不安にさせている()()()()()()()()()()()()()は、カミーユのことなのか。



「… ね… ラウンジは、一人で行くべき?」


「晩餐前なら、ギヨームもニーレイもラウンジにいるよ。僕がいると話が拗れると思う」


 エマはアンリを見上げるが、いつものようにエマを見てはくれない。


「私、気に障ることをした?」


「…してない。ごめん… 考えがまとまらなくて… 」

 アンリはエマに笑いかけたが、それはエマを安心させるための笑顔だとわかる。


「ねえ、何も私たちから奪うことはできないのよ?」

 エマこそ、アンリを安心させたい。アンリの肘を引き寄せ、目を瞑る。


「うん… 」

 唇から不安が流れ込んでくるような、悲しい口づけだった。




 暫く歩くと、将校呼び止められ、アンリと回廊の途中で分かれる。


「… 話は… しないとね…」

 歩き去るアンリの背中に向けて放ったエマの呟きは、まるで自分にも返ってくるようで、アンリには届かなかった。





 アンリはシエンタでの仕事の合間にローゼンの仕事も始めていて、日に日に忙しくなっている。


 エマも商人たちとの商談や、シェラシアの宿場街の要人といくつか打ち合わせがある。サフィレット職人のサムとも話をしたい。


 アンリが忙しいときは、ギヨームやニーレイがエスコートし、打ち合わせに同席してくれる予定だ。

 皆がカミーユを警戒していた。


 シェラシア貴族の内で、国王がエマの件でカミーユを後押ししていると噂が流れ始めたからだ。






 ∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵




「これをご覧ください」

 晩餐前のラウンジで、エマはニーレイと共にカミーユと向き合っていた。


「…人物画ですか?」

 数枚の紙に描かれたスケッチをカミーユから手渡される。


「昨日の不審な旅団の者です。記憶の限り、描き起こしておきました。警備の者にでもお渡しください」


「…ありがとうございます。これは、ベントレ卿自ら?」


「ええ、絵は数少ない私の取り柄です」

 カミーユは、エマから目を離さず微笑む。


「まあ… 私も、この男は覚えがあります。特徴をよく捉えてますわ。きっと役立つと思います」

 エマも礼を込めて微笑み返し、ニーレイに似顔絵を渡す。


「得意なのは、風景画ですがね。エマ嬢は、どのような絵をお好みですか?」


 用件だけで切り上げようと思ったが、多少の世間話にも付き合うべきだとエマは思い直し、写実的な絵が好きだと告げた。


「では、画材をお借りして、お部屋にお届けしましょう」


「…いえ、せっかくのスパの滞在ですもの。温泉をお楽しみになってください」

 話が厄介になりそうで、慌てて断った。エマは油絵が好きと言えばよかったと悔やむ。


「ええ、それは勿論。それに、一緒に近くを散策しませんか? あなたの息抜きにでも」


「…そうですね。時間が空いたら…ご一緒に…」

 かろうじて、社交用の笑顔で返す。


「二人では、あなたの兄君もご心配なさるでしょうから、ニーレイも一緒に」

 カミーユは、ニーレイを見遣る。


「構いませんよ。お二人の時間に合わせましょう」

 ニーレイが上顧客の機嫌を取ることは、想定済みなのだろう。

 ワイングラスを持つエマの指が震えるのを見て、ニーレイは苦笑いした。


「早速、ジャックに渡しましょう」

 エマは話を打ち切った。






 ∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵




 晩餐後、部屋に戻ろうとすると、アンリとジャック・マーロウに呼び止められた。


「エマ、少しいい?」

 抑えた声で、アンリが言う。塞ぎ込みはまだ直っていないようだ。


 言葉少ななまま、三人でティールームに移動すると、ジャックが口を開いた。


「お二人はなぜ、葬式みたいな雰囲気なの?」

 ジャックは、アンリには親しい話し方、エマにはまるで家臣のような恭しさをもって話す。

 この話ぶりは、答えをアンリに求めているのだろう。


「… 僕のせい。気分が晴れないのさ」


「あの赤髪のせいか!」

 ジャックは少しでも明るい雰囲気にしようと、陽気に振る舞う。


 この話題をアンリが望んでいないことはエマにもわかる。

「ジャックは、何か急ぎの話だったのでは?」

 エマが話を切り替えた。


「ええ。ベントレ卿の似顔絵ですが、内海の海賊の一人に似ているという話が出ました。更に、ニーレイが今回ローゼンの港に到着する前に、奇妙な航路を取る船に出くわした、と。なので、念の為、ニーレイと港を確認してきます」


「東の内海の海賊が、西の外海に面しているローゼンに上陸した可能性があると言うこと?」


「まだわかりませんが」


「海賊が内陸に上がる理由も思いつかないから、念の為、だね」

 アンリが補足する。


「ニーレイまでなぜ? 彼は馬車移動しかしない人じゃない? 足手纏いでは?」


「ニーレイは、港にかなりの額を陸上げしたばかりなんですよ。心配だから確かめたいと。自分の積荷のためなら馬にも乗りますよ、あの男は」


「わかったわ。ベントレ卿の絵が役に立つといいわね」

 エマは返事をするものの、アンリの浮かない表情が気になる。



「本当に… お二人とも、ぎくしゃくしてますね… 私は、退散しますから、二人で話したらどうですか?」

 ジャックは、立ち上がる。


「「いや…」」


 エマとアンリの声が揃う。

 居心地の悪さに、エマもアンリも立ち上がった。






 ∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵



「で、何なの、さっきのアレは…」

 エマを部屋に送り届けた後、ジャックの滞在する部屋までついてきたアンリにジャックが問い詰める。



「… 俺の気分が晴れないのが、伝播してる…」

 遠慮なくアンリは長椅子に身体を投げ出す。


「見りゃわかる。何があった?」

 ジャックはグラスに酒を注ぐと、アンリに手渡す。


「エマを危険にさらすな、とベントレから説教された」

 他にも理由があったがアンリは話せない。


「正論だが… 聞いたよ。お手製の煙幕弾を披露したって! どこの令嬢が、馬旅に煙幕弾を携行する? 普通の令嬢じゃないんだから、仕方ないと思うぞ? お前の身を案じた彼女は責められないじゃないか」


「それに、危険に晒したのはむしろベントレ卿では?」


「俺が危険だと思えば、彼女は俺を案ずる。結果的に二人とも危険に晒されるのは変わりない。その事実がな… 」


「ベントレ卿なら、危険に晒さないと? そんなわけないだろ。宮廷だってえげつない勢力争いはあるし、外交だって安全な仕事ばかりじゃない。それに、その辺の護衛に守られるよりは、お前といる方がよほど安全だよ」


 ジャックの言葉にアンリは返事もできない。

 夢の中で、アンリの手落ちでエマは命を落とした。エマはカミーユの手に渡っていたにも関わらず。


 アンリが漠然と感じる不安は、自分と関わるかどうかに関わらずエマを守り切る自信がないことなのか。騎士である以上はアンリが負う責任はエマ一人だけではない。エマを優先したくともできない状況が出てくるのは目に見えている。



「おいおい、お前らしくない。せっかく、甲虫相手が出来たんだから、目いっぱい打ち負かせばいい。ケルブス・アンリ」


 男性慣れしていないエマがアンリに好感を持っているのは、エマが他の男性を知らないだけでアンリのことを特別に好ましく思っているとは限らないのではないか、とアンリがジャックにこぼして以来、ジャックはアンリを甲虫と呼ぶ。

 甲虫は、気に入ったメスの側に別のオスがいたら戦うからだ。



「…また、その話?」


「好敵手じゃないか。見た目も仕事も対極でさ。しかも、溺愛ぶりや、強引さ、ベタなロマンチストぶりはどっこいどっこいじゃないか」


「俺とあいつ、似たところがある?」

 アンリが身を乗り出す。


「夜会で宝石を贈ってるだろ? 馬旅に自分以外の男が一緒なのは許せないだろ? 詩を贈っただろ? ベントレは、絵を嗜むからな。次は絵だな!」


 ジャックは楽しそうに話すが、アンリは笑えない。


「比べられた上でお前が選ばれたかったんじゃないのか?」

 ジャックがアンリのグラスに酒を足す。


「あの時はそう思ったが、今は比べられたくないし、あいつより秀でている部分が、彼女の幸せに繋がらないと指摘されると、ぐうの音も出ない」



「拗らせてるな… 彼女は幸せを与えられる(・・・・・)性分じゃないだろ? そんな台詞を聞いたら、『私の幸せは私が決めます』って言うに違いない」


 アンリは頷く。


「それに、相手はベントレ侯爵家のカミーユだぞ。生真面目なお前にこう言えばお前が身を引く、と計算づくだよ」


 アンリは短く笑った。

「それもそうだな… 」







ケルブス: ヨーロッパの大きいクワガタ

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