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08 歯車の狂い



 エマがイブニングドレスに着替えて、社交用の笑顔でラウンジに降りると、馴染みの顔が待ち構えていた。


 グランスパ・シエンタの社交の主戦場はラウンジだ。ラウンジは寄木張りの床の美しさに定評があり、王室の所蔵絵画や王都で流行の新鋭画家の作品などを借りて壁に展示しているため、昼も夜も滞在客が絶えない。


 秋祭りの前後は、シノワズリの流行に合わせて、東方をイメージした大きなタペストリーを日替わりで掛け替えている。



 エマが降りてきたのを見つけたアンリが人混みをかき分けるようにやってくる。


 耳元でアンリが囁く。

「エマ、今日のタペストリーの説明できる?」

 エマは頷く。

「じゃあ、説明をお待ちのご夫人方を回ろうか」

 アンリの肘に手を絡めて、歩き出す。



 年に数回とは言え、こうした場が好きかどうかで言うと、好きにはなれない。去年までは義姉がご夫人方の相手を引き受けてくれたし、それよりも前は社交上手の姉もいた。姉が嫁ぎ、義姉が妊娠中の今年は、兄一人に任せるわけに行かず、引っ張りだこだ。


 王都に嫁いだ姉ユージェニーが心配して、秋祭りに戻ってくると言っていたが、体調が悪いようで取り止めになった。


 ホストなのだから仕方がないが、招待客が楽しめるよう施設、展示品、秋祭り、シエンタの歴史と同じような話をして回る。

 商人のいる夜会なら、商いの話で息抜きできるが、ここにはいない。

 隣にいるアンリとは、話してはいても仕事に関係のある話と、誰に聞かれても構わない話しかできない。二人でいる時と違うのはわかっているが、他人行儀すぎる。ラウンジに来てから、アンリと碌に目を合わせていない気もする。


 客の対応の合間に、アンリを見上げるが、彼の視線は客の方を向いたままだ。まだ、煙幕弾のことを根に持っているのだろうか。


 ため息を吐く隙すらなく、入れ替わる客たちに笑顔で同じような話を繰り返す。


 社交の場にはほとんど出て来なかったというアンリだが、全てを卒なくこなしていた。それは見事なほどに器用に。それは、エマには新鮮であると同時に、彼の才能の無駄使いにも感じた。



 途中でアンリとは別行動になり、ご夫人方の多くが部屋に戻るタイミングでエマも部屋に向かう。夜更けは場所を移して、男性はカードゲームをする。彼もそれに付き合っているのだろう。






 紳士の殆どが移動してしまったため、エマが部屋に戻るのは、ドポム領の騎士のカイルが付き添う。三ヶ月前に落馬し、まだ完全復帰には至らないが、主に屋内の酔客相手の護衛として復帰している。


「エマ嬢」

 カイルを伴って廊下を歩いていると、声を掛けられる。


「…ベントレ卿…」

 深夜の人気ない廊下では会いたくない相手だ。カイルが一歩エマに近づくが、暴漢ではなく賓客である。エマに危害を加える素ぶりがあれば別だが、貴族相手に大した役には立たない。国外の高位貴族ならなおさら。



「警戒しないで下さい。途中までご一緒に。君、私が恋の熱に浮かされて不埒な真似をしたら、腕の一本二本折ってくれて構わないよ」

 後半はカイルに言う。

 カイルがエマの顔を見る。


「信用がないと思いますから、こちらに証文を」

 カミーユが一枚のカードをエマに差し出す。


 カードには、今、カイルに言った言葉がそのまま記され、私信の結びに使う署名でなく、公文書用の署名と日付が書かれていた。

 くだらない誓約の内容とその署名の不釣り合いさ。子どもがもう悪さをしません、と書いて親に渡す誓文のようだ。


「…まあ、本当にぬかりのないお方ね…」

 エマが呆れる。カイルに承諾の意を示すと、カイルも一歩下がる。


「あなたの信頼を得るためなら、このぐらい何てことありません。では先に… 今日、あなたのご忠告を聞き入れず、あなたとアンリ殿を危険に晒したこと、改めてお詫び申し上げます」


 歩き始める前に、カミーユはエマに丁重に謝罪した。


「聞き入れて頂けなかったことには腹を立てましたけれど、結果として、真正面から遭遇しなかったことは不幸中の幸いです。それについて、礼を申し上げる気にはなりませんが」


 いつまでも立ち止まっていては、何時間付き合わされるかわからない。エマは一歩踏み出して、カミーユを促す。


「仰る通りです。許して頂けますか?」

「… 許さないとは申し上げにくいではありませんか?」


「謝罪を受け入れて頂いた、と理解して、私の心の重荷を一つを取り除かせて頂きますよ」


 どうぞ、とカミーユが肘を差し出す。

 エマは首を横に振って歩き出す。


「歩きながらで申し訳ない。もう一つ、お許し頂きたいことが」

「はい」


「部屋のことです。あなたに最上階を使って頂きたくお譲りしましたが、お気に召さなかったようで、お詫び申し上げます」

「ええ」


「そもそも、前日に急に同行を願い出たのは私で、部屋も押さえていませんでしたから、あなたに用意された部屋、アンリ殿に用意された部屋はそのままに、と」


「ええ」

 エマはこれも立腹していたが、女中頭の話しか聞いていない。話を聞く前に怒るのはやめておくべきだと思い、堪える。


「そこで、私はどうすべきかと」

「ええ」


「続きの部屋は相互に鍵を掛けられると聞いて、続きの部屋を使うと申し出ました」

「ええ」


「私の護衛をあなたの続き部屋にするのは気が引けたもので、私が、と」

「はあ」


「結果的に、あなたはアンリ殿との続き部屋を選ばれましたが、私でもアンリ殿では、違いはないのでは?」

「え?」

 エマの相槌も段々とおざなりになる。


「全く違います」

 気を取り直して否定する。

「あなたとアンリ殿は婚約者同士でもない」


「…そうですね」

「では、あなたに好意を抱いているという点で、私とアンリ殿に違いはないでしょう」


「私が、どちらに好意を抱いているか、という点で明確な違いがありますわ」

 平静を保ちながら、エマが答える。カミーユはわざとこんな屁理屈を言っているのだ。いちいち間に受けて腹を立てても仕方ない。


「では、エマ嬢、あなたはアンリ殿のどんなところに惹かれているのですか?」


「…唐突に、無遠慮な質問では?」

 エマが不快感を示す。


「時間には限りがあります。私はあなたを知りたいし、私のことも知って頂きたい」

 エマの不快感などお構いなしに笑顔でカミーユが答える。


「その必要が私には無いと思いますが?」

「いずれ、シェラシアの社交界に出る機会が訪れるのでは?私はお役に立てます。友人付き合いをしておいて、あなたに損はないと思います」


「異性の友人とは、続き部屋を使いません」

 危うくカミーユの土俵に持って行かれそうになるのを、引き止める。


「友人になるには、互いを知る必要がありますよ?」

「それと、続き部屋の話は別です!」


「続き部屋の件は、僅かな期待がなかったとは言えないので、全面的に謝罪いたします」


「わかりました。受け入れます」

「それとは別に… 友人として、もう少しあなたと知り合いたい」


「…友人付き合いを逸脱しようとなさる方を私は、友人にはしません」

「では… 今は友人として。逸脱したくなったら、前もってお伝えするとお約束します」


 エマは、その誠実なのか不誠実なのかわからない言い草に呆れる。

 一つ一つの会話のやりとりは噛み合っていたはずなのに、結局、カミーユの思い通りの展開に持って行かれた。狐につままれたような気分だ。


「私の問いには?」

 隣を歩くカミーユが微笑む。


「間もなく、私の部屋に着きます。分別ある質問なら一つお答えします」

「では…遠慮なく。チョコレートはお好きですか?」


 先ほどの踏み込んだ質問から、一気に気軽に答えられる質問に切り替えられて、拍子抜けする。


「ええ、好きです」


「食べ物で釣ろうという訳ではないのですが… ローゼン市内に、薔薇の花の形のチョコレートを作る店があります。ご存知ですか?」

「話には聞いたことがあります」


「シエンタに来る途中で立ち寄りました。後で届けさせますよ。おやすみなさい。エマ嬢。よい夢を」


「おやすみなさい」

 

 カミーユは礼儀正しく、膝を折り去って行った。





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