05 Day0 グランホテル・シエンタの庭園
庭園に出ると、日は落ちていたが、あちこちの燭台に火が灯され、多くの宿泊客や給仕が行き交っている。
大きく開けた芝生の広場と、それを囲むように小道が作られ、生垣で仕切られた奥にガゼボや池、花壇などがある。また、芝生の広場の中にもところどころに石畳が敷かれ、人々は、小道と石畳みに沿って歩き、庭園を楽しんでいる。
小道や石畳みには、大小の燭台が置かれ、その道を明るく照らしていて、夕闇の中に幻想的に浮かび上がる。
「ずいぶんきれいに整備されたのね。前に来たときから、すっかり変わってる! それこそ、春なら、花々が美しかったでしょうに…」
ジェニーは喋りながら、給仕からシャンパンを受け取る。
「そうね。今回の式典のためにドポムも増資もして、整えたの。奥のガゼボも、新しくしたから、寄ってみよう。あと、一番奥の通りに面したところは、来週の式典用に、ステージも作ってるはずだから、完成したか見たいわ」
「もう、また仕事!」
古いガゼボがあった場所には、バーカウンターを中心にいくつも新設されたガゼボがあり、他にもテーブルがたくさん並んで、人が賑わっている。
ジェニーは、知り合いを探しているのか、辺りを見渡している。すると、中ほどのテーブルに一人で座っていた老紳士が手を上げ、こちらに近づいてくる。
エマは他の誰かを誘っているとは、聞いていない。もしかして、ジェニーが見合いの席を予め用意していたのか。あの風貌では、後家の話に違いない。
エマはジェニーに抗議の目を向けるが、姉は涼しい顔で微笑んでいる。
「こんばんは。 セヴィー伯爵夫人。このように素敵な場所にご招待いただけるとは、感謝いたします」
「ご機嫌よう。 ミュゲヴァリ伯爵ご無沙汰しています。昨秋、ラトゥリアの王都リールでお会いして以来ですね」
ジェニーはカーテシーと挨拶をし、エマをミュゲヴァリ伯爵レオン・キャスティアに紹介する。促されるまま、彼のテーブルに着くと、シャンパンが運ばれてくる。
「エマニュエル嬢、今日は私の孫のセオドアを紹介するつもりだったのだが、遅れていてね…」
老紳士は優しく微笑んだ。
ミュゲヴァリ伯領は、シエンタと国境を挟んで隣国シェラシア側に広がる地域だ。
姉の狙いは、キャスティア家の孫か。ジェニーをチラリと見ると、伯爵夫人用の笑顔で微笑み返された。
エマはふと、ジェニーでもミュゲヴァリ伯爵でもない視線を感じ、その方向に目を向ける。ジェニーと伯爵の間、奥のテーブルの男性の視線とぶつかった。男性はほんの一瞬の間の後、微笑みとともに軽く視線を下げる。
知り合いなのか、素性を探るべく、エマはさっと観察する。しかし、燭台の明るさではあまりわからない。
赤みを帯びた茶色、琥珀のような色の髪、装飾はないが仕立ての良さそうな白いシャツ。組んだ長い足の先には、質の良さそうな革靴。手元には、皮表紙の本。机の上には眼鏡。ティーカップ。肩幅は広く、恐らく背も平均よりかなり高いだろう。
こういった場でも、貴族男性は殆どジャケットを着ているのが普通だから
裕福な商家?年齢は、20代?
シエンタの商家を思い浮かべても、思い当たらない。嫌みのない笑みと、まとっている雰囲気、仕草、品々、全てが高位貴族を表しているのに、ジャケットを着ていない違和感。眼差しは優しいのに、鋭い。
本を片手に一人でここへ? 軍人とも言えるような体格で?
ジェニーと伯爵に気づかれない程度に、エマは視線を下げ、口角だけ上げておく。知り合いだとしても、そうでなかったとしても、これで角は立たないだろう。
ジェニーと伯爵の会話に相槌を打っていると、一人の男性がテーブルに案内されてきた。
「こんばんは。遅くなって申し訳ない」
「孫の、セオドア・キャスティアです」
エマよりも幼い顔の少年に挨拶される。身長も、同じぐらいだ。伯爵がエマたちを紹介すると、セオドアはエマの手を取り、指先に触れないキスをする。続けて、ジェニーにも。
年増の女性を紹介され、しかも片方は、何某かの候補者としての紹介。貴族らしい振る舞いはしているものの、その目は困惑している。貴族たるもの、この場面で困惑の感情を表に出すことは御法度だろう。
そのあからさまな動揺にエマは不快感を覚える。エマとて、同じように困惑しているのだ。
まるで、エマが捕食者であるかのような態度は失礼極まりない。
ジェニーと伯爵は、二人の戸惑いなどどこ吹く風で、共通の話題を次々と振ってくる。セオドアの様子を見て、すっかり白けてしまったエマだったが、この微妙な雰囲気に対する一切の感情をおくびにも出さずに、会話を続ける。
セオドア少年は、13歳。シェラシアの寄宿学校に通っていて、今日、ご学友と共にここを訪ねたという。
エマとは五歳差だ。適齢で難のない人物を探そうとすると、歳下になるのは仕方ない。しかし、声変わりしたばかりというような少年に捕食者扱いされては、前向きになれるわけがない。
エマはちらりと窺うが、ジェニーの顔色は変わらないように見える。セオドアの道中の話を中心に、さりげなくご学友の話を掘り下げている。
「ええ、同じ学園の五つ上の学年に、シェラシアの第三王子殿下がいまして、開通式典に参列するんです。それで、僕を含めて三人が同行させていただきました。」
「まあ、学園生活で素晴らしい人脈を築かれて、ミュゲヴァリ伯爵も安心なさったことでしょう」
「いえいえ! 僕は、入学したばかりで… お恥ずかしながら、里心がついてしまって… 帰郷の口実に、と殿下がお誘い下さったんです。寄宿舎が同じだったので、たまたま殿下のお耳に僕の話が入ったようで… 殿下の側近候補の最終学年の方々に混じっての馬車旅は、緊張してしまって…」
ジェニーの様子を見るに、セオドア少年は足掛かり扱いであるようだ。
セオドアも打ち解けてきたのか、次第に饒舌になって、学友たちのことを話し始めた。年齢、領地、家族構成、婚約者の有無、卒業後の進路。あからさまな関心を見せるわけでもなく、下心を悟られずに、自然と相手に語らせるジェニーの手口は巧妙だった。
「お疲れのところ、わざわざお越し下さってありがとうございます。私の配慮が足りなかったこと、お許しくださいね。私たち、ミュゲヴァリ伯爵家の皆様にご挨拶できて光栄ですわ。ドポム家とは、国境を挟んでお隣なのですもの、末永く、よいお付き合いをさせていただきたいと思います」
ジェニーは聞きたい話が済むと、慇懃に幕を引いた。王都で磨かれた姉の話術には恐れ入る。やはり、ジェニーの狙いは、馬車の同乗者の情報のようだった。
2023年4月改稿しました。