第7話 黒服:デートからまさかの逃走!!!!!
不安に怯えるつばさと違って、としひこは意外に冷静なようで、周囲を慎重に観察していた。
その目は自分には危害が及ぶことはないと思っている観察者のそれだった。
はっ、と、つばさはそれに気がついて不思議に思った。
そう言えば、デートできるということに浮かれて忘れていたが、としひことの出会いそのものからして、彼が普通ではないことに気がついたことを発端としていたのであった。
「としひこ……くん?」
つばさがしがみついていたとしひこの腕から、視線を上に上げてその顔を見た。
そこにあるのは冷静な顔のとしひこでしかない。そして、つばさの声かけに気がついて、ニッコリと笑いかけてきた。
いったい、自分は何を怖がっていたのだろう?
安心させようというとしひこの笑顔につばさの不安が氷解していく。
「ウィルス、だと思う」
としひこがつばさの耳元でそう言った。
「ええっ!? リアルだけじゃなくて、YAMATOでも?!」
つばさをグイととしひこがひっぱって、通路を走り始めた。
「ど、どうしたの!?」
つばさもつられて走り始める。
気がつけば、通路の後ろの方に、この施設には似つかわしくない、黒服がウロウロとしていた。
明らかに怪しい。
逃亡中の黒服と一緒じゃない!? なんでこんなところに?
リアルと違って、走っても疲れないのがバーチャルの世界の良いところだ。
「YOKOHAMA CUBE内に非常事態が宣言されました。皆さん、その場から動かないでください」
優しい女性の声でアナウンスが流れる。
ただでさえ混んでいた通路であったが、アナウンスが聞こえて立ち止まる人、聞こえずにそのまま歩く人など様々だ。
としひこが立ち止まる雰囲気はない。
「YOKOHAMA CUBE内が格闘戦モードのエリアに指定されました」
先ほどとは違うYAMATOのシステムのアナウンスが響いた。
「え?」
つばさがその声に驚くと共に、ドン!という衝撃が身体に伝わってくる。
通路を歩いている他の通行人に当たったのだとわかったのは、ほんの数瞬後のことであった。
視界の端に赤いヒットポイントと青いメンタルポイントのゲージが現れている!?
普通であれば通行人同士が余計な接触をしないよう自然にすり抜けるような設定がなされているはずであった。
それが切られている。
おまけにゲージがあるってことは、この場で周辺の人と格闘ゲームができてしまう、ということ。コロッセウムにいるかのように。
人にぶつかってしまうので走りにくい!
そんな中、つばさはとしひこはウィルスに感染しないよう外を目指しているのだと気が付いた。
気になって、移動のウインドウをだしてみたが、そこにはヤタが動作不能になっている表示が出ていた。
もしかして、閉じ込められてるの?
確かに、ウィルス伝播の阻止には感染者の隔離が必要だね。
にしても、それはYOKOHAMA CUBE内だけではすまないんじゃ? 先ほどのYAMASHITA PARKのあれもウィルスの仕業だとすれば、もう、ここだけ隔離しても意味ないんじゃないの?
「隔離、されてるの? 私たち」
つばさがそう言うと、としひこがうなづいた。
そして、交差点に差し掛かった。
前後左右、そして上下。キューブの交差点は6方向に進むことが可能だ。
そこで角から急に黒服が現れた。
後ろのだけではなく、他の通路にもいたのだ。
としひことつばさは黒服に当たって立ち止まった。
「ご、ごめんなさい!」
つばさがついそう口にしたが、黒服の反応は意外なものだった。
彼はサングラスを外すと、柔和な笑みを浮かべた。
「いえ、気になさらないで下さい」
『逃亡中』の鬼とは全く違う大人の対応だった。
しかし、彼は言葉とは裏腹に、二人をここから動かないように進行方向に立ち塞がっている。
「ですが、緊急事態が発令されましたので、ここから動かない方がいいですよ、魔王としひこさん」
としひこがとしひこであるということを最初から知っていたかのようなタイムラグのない呼びかけ。
それを聞いた途端、としひこは通路を出口の方に向かって走り出した。もちろん、
引っ張られるように手を繋いでいたつばさも走り出す。
「ちょ!」
つばさも動転して一緒に逃げ出す形になっていた。
通路には立ち止まったり、そのまま歩いている人も多い。
逃げるように走る二人であったが、当たり判定があるために、その人たちに当たってしまって走りづらい。そしてわずかにヒットポイントが減っているのもきになる。
もっとも、それは黒服にとっても同じことのようだった。
黒服達が通信をしながら追いかけてくるのが視界の端に見える。
そう言えば、YAMATOでこんな事件っぽい騒動なんて、初めてのことかも。
鬼ごっこのような逃走。
それもお父さんとではなく、男の子と!!
不謹慎ではあったが、つばさの胸にわくわくとした気分が湧き上がってきたのは間違いない。
つばさは中高一貫のお嬢さん学校に通う中でも副リーダーをよく務める実務型で実直なタイプの女の子だった。
どちらかというと横断歩道のない道路を渡るお父さんを注意するくらいの真面目さだ。
他の人達にぶつからないように通路を駆け抜け、出口を目指す。
その間も、ウイルスによる混乱の声が怒声のように巻き起こっているのが聞いて取れる。
もう一区画で出口だというところで、目の前から回り込んできた黒服が交差点で行く手を塞いできた。
慌てて二人が立ち止まる。
「君たち危ないよ。走るの早めたほうがいい」
行く手を塞いだ黒服の口調は穏やかだ。
しかし後ろ手に何らかの拘束器具を隠しているのが見てわかる。
気がつけば、通路のどの方向からも黒服が来ていて二人を取り囲んでいる。
その時、つばさは見た。
黒服の胸にはアルファベットだけの社名ロゴであるカクオンの金色のバッチが光っているではないか。
違う! これ、まさかとしひこ君を捕まえに来たんじゃない!?
ここにきて、さすがのつばさもそう思った。
まさかと思うけど、としひこ君が何かこのウイルス騒動の件に関与しているのかも…。
つばさがそう思って観念した時、としひこがぐっとつばさを引っ張って、上の通路へと踏み出した。
その途端、世界の色合いが変わった気がした。