第5話 山下公園:素敵……プロポーズの光…にかこつけて
〈蒼弓の飛天使〉と呼ばれる藍色の戦衣に身を包んだ女の子がその翼で空を駆ける。
剣を振るうと細い輪が出現し、シュッと収束して敵である双剣使いの回転を補足した。
双剣使いの体に青く細い光の輪が食い込み、目に見えてその機動力を削いでいく。
頭上に表示された体力と魂力のゲージのうち魂力がみるみると減っていった。
「でた! 〈蒼弓の飛天使〉リカエルの魂力吸収ぅ!エナジードレインだぁ!」
実況アナウンサー神童力也の声が響く。
聳え立つ緑の巨大な建物の前には巨大なスクリーンがあり、中で行われているイベントのリアルタイム実況が行われている。
CHINA TOWNを北に行けばYOKOHAMAコロセウムがあった。eスポーツやイベントが開かれる施設で、現実の横浜スタジアムに当たる。
YAMATOのそれは野毛の場外馬券売り場とも融合し、住宅と同じようにレイヤーを変えることで色々なイベントが同時に行われていた。
e野球のベイホエールズの本拠地であり、eサッカーのベイマリナーズの本拠地でもあるが、つばさの認識は璃花子がやっている対人戦闘ゲームのバトルスタジアムとしての場所だ。仮想通貨を用いた賭博を横浜市が過去に頓挫したカジノの代わりに公認を得て試験運用しているそれでもある。
もちろん、未成年のつばさが踏み入ることは出来ない。璃花子もそのネームバリューから特例で出場者として入れているのだ。
「リカエル……まさかね」
そんなことを説明しながら、入り口だけ見て二人は東の港の方に向かった。
YAMASHITA PARKはYOKOHAMAでも格別綺麗な場所だ。海は鮮やかな青基調で虹の色合いが混ざり合っている。潮騒が心を落ち着けてくれるし、イベントも多いエリアだ。
この日も七色に光る透明なクラゲが長い脚を優雅にたなびかせながら空中を漂っていた。
暗い空に漂う光るクラゲは現実の水族館のそれのように美しい。
「綺麗だねっ」
としひこに腕を回しながら一緒に歩きつつ、実際どうして良いのやら途方に暮れていたつばさであったが、山下公園の美しい光景には心を奪われた。
「そうだ! としひこ君、昼にしてみようよ」
「昼?」
YOKOHAMAの標準はグローバルタイムJAPANで夜ではあったが、設定で視覚時間のエフェクトをいじることが出来る。
つばさが説明して、2人で視覚を12時間ずらすと、どこまでも続く青い空と紺碧の海が広がった。
夜の設定では暗さのため、遠くまでは見えず、近くの明るいものばかりが目に飛び込んできてしまうのだ。
「わぁ」
その様変わりように感嘆の声をあげるとしひこであった。
風が吹き抜けていく。バーチャルでは感じることはできないが、つばさの肩までの髪がサラリと浮き上がり、気持ちの良さそうな風が吹いていることがわかった。
陽光を反射して光る海、無限を感じさせる青い空、空を飛ぶ海鳥たち、ここがバーチャルの世界であることを忘れさせてくれる景色がここにある。イベントでもない限り、YAMATOのYOKOHAMAには雨は降らないのだ。
港のOOSANBASHIには変わりなく空からの虹色の光が降り続けていた。
YAMATOの入口としてだけではなく、ここのところYOKOHAMA自体を訪れる人も増えているとつばさは聞いていた。
OOSANBASHIでバーチャル旅行システムのテストを行っているからだ。
その初期型は海外に人形デバイスを持ち込んで、リアルタイムに同期することでバーチャルに海外旅行を楽しもうという女の子の発想からテストされたものであった。
そこまでのスペックは高価なため難しいが、実際の運用としてはYAMATOにログインして、専用の施設から現実世界に全方位見ることができる陸上型ドローンへと接続して、海外にいながら横浜や鎌倉、東京を楽しんでもらおうという趣旨のシステム運用のベータ版が始まっているのである。
そのため、現実世界では元町や山下公園、みなとみらいに車輪で動く陸上型ドローンが散見される。石川町の学校に通っているつばさも、もう見慣れ始めていた。
「あ、あれは何?」
としひこが海際を指さすと、そこには色とりどりの花弁の渦巻が巻き起こっていた。
花びらが消えて行くに連れ、天上の雲の切れ間から光がスポットライトのようにいく筋も降り注いでくるのが見える。
光が太く収束した時には、その光の下に一組の男女がいる。
女性の方は、つばさたちと同じくあっけにとられているようだ。
しかし、男性の方は織り込み済みのようだ。
彼が右手を高く上にあげると、そこに光がより強く集まった。
そして、その手にはダイヤモンドのついた指輪が現れていた。
スポットライトの中、男性が何か女性に言うと、女性は頷き、その指輪をつけてもらって、男性の胸へと飛び込んだ。
「わぁ! 初めて見た!」
つばさが興奮して声を出す。
「素敵! あれって、プロポーズの光よ!」
としひこも興味深げにそちらを見ていたが、また、透明なドローンを操作している感じだった。
「外から見れば、あんな感じだけど、花びらや光の中にいると、その体験は格別だね。ほら」
つばさの目の前にスクリーンが180度展開された。
目の前を埋め尽くして舞う花びら。
その隙間から差し込んでくる光。
さすがはYAMATOだと、つばさは思った。にしても、としひこ君はいつの間にこんな映像を獲得していたのだろう、と感心する。
有料ではあるが、このようなサービスエフェクトも売られているのがバーチャル世界ならではだ。もとはニューヨークのサーバーから始まったサービスであると聞くが、一昔前のフラッシュモブのお手軽バーチャル版らしい。
もちろん、指輪は現実の物と寸分違わないものとするのがマナーだ。
その場で花火が打ち上がり、祝福のファンファーレがなって、空を天使が舞った。
画一的でなく、オーダーメイドで作られる一点もののエフェクトだが、申し込んだ男性もだいぶ凝った作りが好きらしい。
周辺の人たちから拍手が巻き起こった。
「もっと良い景色を見に行こ!」
先程のプロポーズも上手くいったようなので、良い流れだと、つばさはとしひこを引っ張った。
そのまま同じYAMASHITA PARKを南へと連れて行く。緑の参道の中をくねりながら登る赤煉瓦の階段が丘の上に続いている。
丘の上にあるのは薔薇園。
そして、そこからは高い丘の上からYOKOHAMAの海と街を一望することができた。
この奥の方の住宅地につばさのYAMATOでの家があったので、見慣れた景色ではあったが、やはり家の中からと薔薇の園の公園からの景色では特別感がちがう。
他にもこの景色を楽しむカップルだらけだったので、つばさは組んだ腕をグイグイと引っ張って、としひこと公園の際の空いているベンチシートを確保した。
こういうことは積極的にいかないと!
つばさ渾身のアタックだった。
「とても綺麗だね」
その景色に目を奪われ、としひこがそう漏らす。
「気に入ってもらえれば嬉しいな、えへへ」
「みなとの見える丘公園がベースなんだろうけど、YAMATOの景色は『すべての一瞬が美しい』という売り文句通り現実の余計なものがないし、本当に美しいね」
「え? 行ったことあるの?」
「うん、ぼくがいるところは変な名前の坂の横の高台で、横浜の海が木の間から見えるんだ。埋立地の倉庫がなければもっときれいな海が見えるんだろうけどなぁ、と思ってた」
「へぇ、じゃあ、私の学校から近いね! リアルでも会えちゃうよ」
「あ、う、うん……」
しまった。としひこ君が引いちゃった!
つばさは急ぎすぎた自分の迂闊さを呪った。
しかし、口に出してしまったものは仕方ない。
つばさは話題を逸らすことにした。
「あ、でも、リアルだとなかなか難しいかな? 私も高校になると塾が大変になりそうなんだよ、ね……」
その言葉でとしひこもホッとしたようだった。
「もう塾が始まるの?」
「うん、私、医学部を目指してるから!」
「すごいな!」
「でも、大変! ほら、うちの学校は近くのエリスと違って、文系主体だから科目の選択一つ取っても難しいし…」
学校のことを思い出してついつい口が尖ってしまう。
「サッカー同好会の先輩は才色兼備で、この前医学部に入ったし、過去には東大に入ってプログラミングでここYAMATOの製作にも携わったって言う超天才もいるらしいけど、私、全然そんなんじゃないから!」
その時、つばさはとしひこがこの話に興味を持ったように感じた。
いや、むしろ、その話をしたかったのかもしれない。
そんな目の色をした。
「その先輩って、もしかして、……小松崎美里さんって女性?」
本人は都度に冷静を装って、何気ない会話を続けている風ではあったが、その声がどこか震えている。何かある! つばさの女の勘が告げていた。