第27話 YAMATO:シンギュラリティの始まり
「と、いうことは……その子がハッカーX!?」
俊彦が驚きの声を上げた。
それを見て小松崎女史は何か気がついたらしく自分の目の前の端末に目を向け直した。流れるようなタイピングで目の前の画面に意味不明の文字列が流れるように浮かんでくる。
「Great……那由多、あなた、YAMATOのYOKOHAMAサーバーをハックして、私に外部からの干渉妨害をさせたのね」
小松崎女史は怒るどころか、感動しているようだった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
思わずつばさが前に出た。
「そこは怒るところじゃないですか!?」
他の皆はスーパー有機コンピュータ“那由多”が自我を持った事自体に衝撃を覚えている間に、つばさだけはハッカーXとして今回の騒動を起こしたことに怒っていた。
「あんたねぇ!自分が悪いことしたってわかってる!? 良いことと悪いことの区別くらい、ちゃんと判断しなさい!!」
「!!!」
那由多は目を丸くして、つばさの言葉に驚いて、また美里の影に隠れてしまった。
「お母さん……つばさお姉ちゃん、怖い」
那由多はか細い声で小松崎美里にしがみついて喋った。
ぽかんと口を開けていた鎗田部長がサングラスを外してまじまじと那由多を見る。
それはAIによる動きというよりも人間が操作しているいわゆる中身入りの小学生の子供にしか見えない。
「つ、つまり、なんか! サトラレに感染した有機コンピュータ“那由多”に自我が生まれて、母と認識した小松崎女史をここに留め置くためにひと芝居打ったってことやったのか!?」
「Yeah! I guess so. つばさちゃん、怒らないでいてあげてくれる?」
美里さんはつばさをじっと見て名前まで見極め、ゆっくりと言葉を発した。那由多は優しく引き寄せてあげている。
「そうっス! 今年は2029年だったっス!!」
ルドラが興奮して身を乗り出した。
「人工知能研究の第一人者レイ・カーツワイル博士はかつて提唱したっス。2029年にAIが人間並みの知能を備え、2045年に技術的特異点が来る、と」
美里さんがニッコリ笑う。
「I agree! ルドラなら、理解してくれると思っていたわ」
那由多を優しく抱き寄せて美里は続けた。
「人間の脳を模した有機スーパーコンピュータに、優秀なAI技術者の関与、そして人間の感情を汲み取るウィルスの漏出、様々は事が重なって生まれたのが彼。見つけたときには驚いた。そして、守らないといけないと思ったの」
つばさだけは納得できなかった。
「でも、その子は貴女を騙してここに閉じ込め、世の中に迷惑をかけたんですよ?」
と、食い下がる。
その両肩に後ろから†てぃふぇす†が手をおいて押し留めた。
「Foe this kid, it was just a game. 嘘をつくというのは知性の証拠よ! 素晴らしいと思わない!? コンピューターが知性を持ったの」
つばさには理解できていなかった。
でも、†てぃふぇす†の手が優しく押し留めてくれていたので、暴発はせずに済んでいた。
「あなたの言っていることは正しいわ。でも那由多はまだ生まれたばかりの子供。頭は良くとも、倫理観を持ち合わせていないの。この子には教育が必要なのよ」
確かに見た目通りの子供なのだとつばさは思った。
そう、肩に手を置いてつばさを押し留めた†てぃふぇす†は子供を思いやる母の手のそれだった。
どうして、今まで気が付かなかったのだろう?
その昔、お父さんのアバターであるフェリンスは†てぃふぇす†の守護者だった、ということは†てぃふぇす†はつばさの母に他ならないではないか。
リアルとバーチャルの性格があまりに違うので今までは考えてもいなかった。
その母がつばさを諭すように肩に手をかけてくれていたのだ。
思いやりを持って。
「DeepMindの研究に携わったオーストラリア国立大学のマーカス・フッターらの研究チームが、高度に発達したAIが社会に及ぼす影響を評価するため一連の思考実験を行ったっスが、AIはやがて人類とエネルギーの奪い合いになり、そうなれば人類に勝ち目はないと結論付けたっス」
ルドラが皆に聞こえるように話す。
「その時にAIが人類の敵になるか味方になるかは、教育を行う存在とその教えによるかもしれないっスね」
その言葉を聞いて、つばさはゴクリとつばを飲んだ。
今、目の前にいる存在は将来人を超える存在へと変わっていく可能性のあるものなのだと。
「那由多。お姉さんと仲直りしなさい。叱ってくれる存在はあなたにとっても必要よ」
母と認識されているらしい美里さんから言われて、こわごわと那由多は前に出てきた。
つばさもどうして良いかわからなかったが取り敢えずニッコリと笑う。
「怒ってごめんね、那由多」
つばさがそう言うと、†てぃふぇす†も肩の手を離してくれた。
那由多の怖がっている目が安心の光を帯び、ニッコリと笑う。
「ぼくもごめんなさい、つばさお姉ちゃん」
そう言って那由多はつばさに抱きついてきた。
素直で愛らしい子供らしい仕草はここまで一緒にいた小松崎美里の教育の賜物だろうか。
「ぼくを負かしたお姉ちゃんとずっと仲良くしたい!」
そう耳元で那由多が言うのを聞いて、魔皇としての記憶もちゃんと持っているのだと、少々つばさはたじろいたのであった。
…………
「カクオン報道部によれば、YAMATOのYOKOHAMAサーバーで起きていた障害はすべて解消し、サトラレに対するワクチンソフトにより被害はなくなったとのことです」
テレビでYAMATOの騒動がカクオンの対応によって落ち着いた旨が報道されている。
あれほど大変だった決戦も過ぎてしまえば一晩の夢のようで、今をもって現実にあったことだとは思えなかった。もちろんバーチャルのそれが現実というかどうかは微妙な問題だが。
ハッカーXの正体と那由多の自我については然るべき時期が来るまで公開かれることは見送られた。正確な情報は政府に伝えられたが、当然、その旨緘口令が敷かれ、公式な発表ではハッカーXは逃亡し、囚われの姫となっていた小松崎美里嬢が救出されたことになっている。
正体はロシアや中国のハッカーだろうというまことしやかな推測がそれらしく流布され、コンピューターが自我を持ったなどという荒唐無稽な一部の噂話は一笑に伏された。
アリスリデルの魔王城攻略動画は全世界的に凄まじい再生回数を誇り、彼女の生活は安泰となったらしい。もっとも、彼氏に関してはなかなかできないという不思議があった。
ラストセブンのうちの3人が親子であることは、両親が『クリハン』の有名人であったためにそれとなく一部の人に推測され、つばさの学校にも一時期は報道陣が通い詰めていたが、YAMATOで授業は滞りなく行われたし、しばらくすると世間は別な話題に興味が移っていき、落ち着いた日常が戻ってきた。
ただ、つばさ、綾音、璃花子の所属するサッカー同好会には、有名人に憧れてか、入会希望者が押し寄せてくれて、同好会が正式な部に昇格しそうで、うれしい悲鳴を上げることになった。
忙しい毎日があっという間に過ぎ去っていき、高校へと進学したつばさ達は尊敬する先輩らと涙の別れをつげ、一学年上の高2の一人しかいない先輩が同好会長職を固辞したため、璃花子が同好会長、つばさが副会長、学生の中でも優秀な綾音は生徒会書記を兼務して頑張っている。
そんな時につばさはお父さんのクリニックに来ていた。
電動車椅子に乗っている奥俊彦と従姉妹で保護者となっている橘真希が受診している。
つばさの父である院長の小野口貴義は俊彦を注意深く診察し、ワシン坂リハビリテーション病院からの紹介状や画像データをじっくりと見てから口を開いた。
「今現在の俊彦君の脊髄損傷の度合いは、我々運動器外科医がよく使うフランケル分類でいえば不全麻痺のCだが、受傷直後はフランケルAの運動・知覚の完全麻痺だったそうなので、ここまで回復したのは術者やその後のリハビリのスタッフの優秀さ、そして君自信の若さと努力の賜物だね」
そして、診察机の上のスクリーンに下半身をカバーするような装具の画像を掲示する。軽量でデザイン製が高いものた。
「うちの大原教授とぼくで立ち上げたパワーアシストスーツはYAMATOでなしえた脳神経の命令の伝達信号を感知する技術を応用している。リアルでも自身の足をサポートして健常と遜色ない歩行を君に約束できるだろう」
つばさの父は一呼吸おいてにこやかに笑みを浮かべた。
「どうかな。言い方は悪いが、その被験者の一人になってくれないか」
俊彦が前のめりになり、つばさもそれを聞いて目が潤んだ。
「ぼ、ぼくはまた歩けるのですか?」
俊彦が震える声でそう尋ねると、つばさの父は俊彦の膝に手を置いた。
「もちろん、当面はパワーアシストスーツで歩けるようにして、iPS細胞による脊髄再生技術も試していけば、パワーアシストスーツすら要らなくなる可能性だってあるさ」
「やります! 実験だってなんだって受けます。ぼくを使ってください!」
一緒に聞いていたつばさの肩を隣の真希が喜びのあまり抱く。
「ありがとう、つばさちゃん」
つばさも涙ぐんでうなづいた。
医学の素晴らしい可能性に、改めて医学部受験に向けての気持ちが高揚してくるのであった。
しばらくした後の夜に、YAMATOでつばさは俊彦と会っていた。
塾も増えて忙しい毎日の合間、久々のデートである。
YOKOHAMAの港に浮かぶクルーズ船は夜のYOKOHAMAの夜景を海側から存分に楽しめた。
「今は大原教授と一緒にパワーアシストスーツのプログラムを頑張ってる」
のんびりと船の側面のデッキにもたれかかり、俊彦は近況報告していた。
「大学入学までの間には十分な成果が出せそうだよ。それが終わったら受験。大学に入ったら、『マイライブラリー』を全世界で日本のコミックを売るためのツールにするため起業を考えてるんだ」
「え?大学生でそれをしちゃうの?」
受験の勉強の話をすっ飛ばしているので、取るに足らないことと俊彦は考えているのだろう。どれだけ頭がいいのかと、つばさは苦笑した。
「うん。日本には漫画の文化が世界に突出して出来ているのに、それを売り込まない手はないと思ってるんだよね」
美しい夜景でロマンティックなはずなのに、どうしてこんな話しをしているのかとちょっと考える。
「バーチャルで十分出来ることだし、文化や禁止事項のチェックなどは各国のエージェントにしてもらって、出版社の利益を十分に確保できるようやれば、乗ってくる出版社も多いと思うんだよね」
「忙しくなるね」
「あ、でも、つばさちゃんとは定期的にリアルでも会いたいな」
「え?それって…」
「うん」
俊彦が言葉を飲み込んで何かを言いかけた。
しかし、その言葉が発せられるよりも先に、つばさが後ろにぐいっと引っ張られる。
「つばさお姉ちゃん、みんなが呼んでるよ!」
いつのまにか那由多が後ろにいて、クルーズ船中央のパーティースペースに連れて行こうとしていたのだ。
そう、二人きりのデートではなく、この日はカクオンの槍田部長招待のYAMATOでのクルーズであった。
特別参加の小松崎美里にくっついてきた那由多からするとつばさは、魔王城攻略戦の敗北と美里お母さんの言いつけもあって、どうやら頭の上がらない姉として認識されているようであった。
たまに会っているが、その精神面の成長スピードは著しい。
雨の降らない、降っても濡れたりしないYAMATOだから、クルーズ船に屋根はない。
リアルと違って豪勢にしても費用がかかるわけではないクルーズ船の上は、ルドラのジェネレイティブAIのデザイナーによって派手派手しく飾り立てられていた。
パーティースペースには魔王城攻略レイドの面々が久々の再会に旧交を温めあっていた。もっとも、『クリハン』のアバターではなく、YAMATOのアバターで集合しているので、誰が誰やら分からない面もあったが。
リアルの方でもオフ会として集まっているらしく、すでにお酒を飲んで酔っ払っている面子も多い。Hartzと表示されている男性などはアバターが地面に突っ伏してゲロゲロしていた。YAMATO内ではアバターがその格好をしているだけである。
「行こうか」
俊彦からつばさの手を取って、二人は船中央のパーティースペースへと戻り始める。
そこには忘れることのできない仲間達がいた。
「あーあ、愛の告白かと思ったのに」
と、つばさは思っていても言わなかった。それは次にリアルで会った時に取っておこう。
もっと素敵なこともしてもらえるかもしれないから。
「えー、お集まりの皆様、せわしないとこご参集いただき、ほんまおおきに」
鎗田部長の挨拶が始まると共にクルーズ船は海面から浮き上がり、夜の光で溢れたYOKOHAMAの街を上から見渡せるようになっていった。
海外からインする人たちの光であると言われる漏斗状の光が鯨の形をしたOOSANBASHIへと吸い込まれていく。YOKOHAMAは平常化して、その美しい光景が元に戻っているのだ。
YAMATO、そこはもう一つの現実。
ちょっとしたことで大きく変えられることもあるバーチャルの世界。
でも、現実の世界だって、きっと良い方向に変えていける。
つばさは俊彦と走りながら、そう考えていた。




