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扉を開ける日

作者: Aldith

扉をあける日


今は昔の ものがたり

夜空に浮かぶ 月ふたつ

その輝きは 麗しく

夜の静寂しじまに 照りはえる


青と白とに 輝きて

暗き夜空に 映える様

何にたとえば いいのだろう

たとえるものは 無しがごと


ああ麗しき その姿

常に変わらず あるものと

思うことこそ 幻か

時は無情に 流れゆく


どちらがそれを 願ったか

空に浮かぶは 月ひとつ

隠されたるは いか方か

今は昔の ものがたり


◇◆◇◆◇


 広場に響く竪琴の音と歌声。それは広場だけではなく、あたり一面にも響いていたのだろう。その歌声に引き付けられたかのように人々が集まっていた。


 そんな中、歌は余韻という名の響きを残し、終わりを告げる。そして、広場を埋め尽くしていた人々からは、惜しみない感嘆の声とご祝儀の雨が降り注がれていた。


 そのご祝儀を馴れた手つきで手際よく集めていた詩人。その彼は、自分のことをじっと見つめている視線にも気がついていた。


 もっとも、職業柄こういった類の視線に彼は慣れている。しかし、それはいつものものとは違うような気がしていたのだ。


「何か用でもあるの」


 その相手が誰なのかすぐにわかる。詩人は相手の前に立つと、そう問い掛けていた。その彼は、人々が絶賛する歌を奏でるには、少々若いようにみえる。


 明るい茶色の髪にくるくるとよく動く榛色の瞳。それらが彼を詩人というよりは、どこにでもいる若者のようにみせている。


 そして、彼が問い掛けた相手。その相手は、黒髪に黒い瞳をした18歳くらいの娘だった。しかし、彼女は詩人の問い掛けに応えようとはしていない。ただ、じっと詩人の顔をみているだけ。


「名前をきいてもいいかい」


 そういう詩人の声は明るい。しかし、それに娘は眉をひそめている。そこに浮かんでいるのは、不信の念でしかない。


 彼女にすれば、どうして見ず知らずの相手に名前を言わなければならないのか、という思いがあるのだろう。しかし、彼女と一緒にいた友人らしい相手は、すっかり興奮したように叫んでいるのだった。


「ティーナったら、どうして黙っているのよ。こんな素敵な人に声をかけられてるっていうのに」


 友人がそう言ってまくしたてるのに、ティーナはこれといって反応を示す様子はない。友人にすれば、そんな彼女の姿が信じられない。思わず頬を膨らませながら文句を盛大に並べようとしている。


 しかし、詩人の方はそんなティーナの態度を気にした様子もない。彼は、穏やかな表情を崩さないまま、ティーナに改めて声をかけていた。


「やっぱり、人に名前を聞く時は自分から先に名乗るべきだよね。僕はリオン。見ての通りの吟遊詩人だよ。これで、信用してくれたかな?」


 そう言いつつ、極上ともいえる笑顔をリオンはティーナに向けている。そんな彼の様子に、彼女はどこかドギマギしたような表情を浮かべていた。


「リオンさんですか? ごめんなさい、じろじろ見たりして……あ、私はティーナっていいます。実は、さっきの歌を聴いていたら、ここから動いちゃいけないような気がして……それから……」


「それから?」


 ティーナの言葉にリオンが再度、問い掛けている。そんな彼の様子にティーナは首を傾げていた。それでも、彼女自身も聞いてほしいという思いがあったのだろう。ティーナは思っていることを口にしていた。


「笑わないでくださいね。リオンさんが歌ったのは、昔からある歌ですよね?」


「そうだよ。あの歌は昔っからいろいろな詩人が歌っているよ」


 リオンのその言葉に、ティーナはコクリと頷いていた。


「そうですよね。それなのに、あれを聴いていたらなんだか物凄く胸が締め付けられて……なんだか、涙が出てきそうな気持ちになったんです」


「そうなんだ」


 ティーナの言葉に、リオンはちょっと興味を引かれたような顔をしている。そんな彼に、ティーナは慌てたような調子で言葉を続けていた。


「でも、それっておかしいですよね。だって、さっきの歌は、いろいろな人が歌っているんですものね」


「そうだよ。あの歌は昔から語り継がれているからね。どんな詩人でもあれは歌っているよ。でも、僕の歌でそう思ってくれたのは光栄だな」


 そういうなり、リオンはティーナに笑いかけている。そんな彼の様子に、ティーナは思わず顔を赤くしていた。そのことを気まずく思った彼女は、すっかり慌ててしまっていた。


「あ、変なことを言って、本当にすみませんでした。私、用事があるので失礼します」


 そう言うなり、ティーナは頭をペコリと下げている。そして、まだリオンにみとれている友人を促すと、その場から立ち去っていた。


 そんな彼女の姿をリオンは害のない笑顔を浮かべて見送っている。そんな彼のそばに、一人の男が近寄ってきていた。


 広場を埋め尽くしていた人々は、すでにほとんどが散らばっている。先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った広場。どこか閑散とした空気がそこには流れている。そして、近寄ってきた男の姿を認めるなり、リオンの雰囲気も変化していた。


 それまでの彼を印象付けていた陽気な詩人。そういった気配が跡形もなく消え去っている。それどころか今の彼は、どこか冷たい印象を与えるような表情を浮かべていた。


「若、先ほど話されていたのは、かの御方ではありませんか」


 リオンに対して恭しい感じがあるような男の声。そんな相手の声に、リオンは当然という顔をして応えていた。


「間違いない。さっきの歌に反応したからね。あやうく、時間切れになるところだった。でも、まだ間に合うよね。それはそうと、彼女の家がどこにあるのか調べてもらうからね」


 見ず知らずの相手の家を探す。


 それはどう考えても、雲をつかむようなものだろう。しかし、そう言われた男は、リオンのそんな様子を当たり前のように受け止めている。


「この先の住宅街の方に歩いていっておりました。それは、あの御方でしたら当たり前のことです。しかし、本当に間違いないのでしょうか」


「レックス、僕を疑うのかい」


 傲慢という言葉が今のリオンの声には相応しいのだろう。どうみても、年上の相手であるレックスを恫喝するような声。


 そして、リオンのそんな声を耳にしたレックスは、思わず身震いしていた。そんな彼の様子をみながら、リオンは言葉を続けている。


「彼女はあの歌に反応した。あれは、かの人の本質に呼び掛けたものだ。他の誰がきいても、さっきの彼女のような反応を示すはずがない」


「そのことは重々、承知しておりますが……」


 レックスの言葉は、どこか煮え切らないものを感じさせる。その様子に、リオンは冷やかな視線を向けているだけ。


「わかっているなら、反論するのはおかしいな。僕が彼女を間違えるはずがない。そのこともわからないとでも?」


 リオンのその言葉に、レックスが再度、反論する気配はない。そんな彼の姿に、リオンは冷笑を浮かべている。


「まあ、いい。ここで問答を繰り返すことこそ時間の無駄だ。そうだろう? それよりも、この先の住宅街とか言ったな。行ってみようじゃないか」


 先ほどまでの陽気な吟遊詩人と、今のどこか威圧的な態度。どちらがリオン本来の姿なのだろうか。もっとも、レックスは気にした様子もなく、胸に手を当てると、深々と腰を折っている。


「かしこまりました。しかし、本当によくぞみつかったものです。今日がその時ではありませんでしたか」


「そうだよ。今日がその時だ。でも、ようやくだ。ようやく、かの人を迎え入れることができる。今日までの時間は本当に長かったよね」


「御意」


 リオンの声は、どこか遠くを見ているような感じがしないでもない。そして、こうやっている姿を見ると、陽気な吟遊詩人というのは仮の姿なのではないかと思わせる。


 まるで、何かを確認するかのように呟かれるリオンの声。そして、それに応じるレックスの声には、リオンを敬う気配が漂っている。


「それはそうと、お前はかの人の預けられた家がどこかは知っているのだろうな」


「はい。そのことに関しましては、わたしが先代より固く命じられたことです。行方を見逃すということはございません」


「それでは、案内を頼もうか。今日、今日が我らにとって新しい時代の始まりになる」


 そう言いきるリオンの姿に、レックスはどこか心酔しきった表情をみせている。どうみても親子ほどの年の差がある二人だが、力はリオンの方が上。そのことを如実に物語るような姿。


「この時が来るとことを信じられなかった者もいるだろうね」


「仕方がございません。あまりにも不確かな要素ばかりがあることでしたから」


「そうだね。そして、いくら我らでも己の未来をみることは許されない。だが、この時がくることをひたすら信じていた。それが無駄ではなかったというのは間違いないことだ」


 どこか、感慨深げに語られる言葉。それに、レックスは応えようとはしない。しかし、そこに浮かぶ表情はリオンの言葉を肯定するもの。


 そして、竪琴をもった若い詩人と壮年の男。この、ある意味で不釣り合いな二人は、連れだって住宅街の中に足を踏み入れていた。




◇◆◇◆◇




 リオンがレックスと一緒に住宅街に入っていた頃。


 その同じ一角にたる家の一つ。その中で、深刻そうな表情で話しこんでいる中年夫婦の姿があった。


 今日は彼らの娘であるティーナが18歳の誕生日を迎える。そして、18の誕生日は成人になったとみなされる祝いの日。しかし、彼らの表情はそのような祝いの日を迎えたものではない。二人はお互いに顔を見合わせ、ため息をついているだけだった。


「レベッカ、いくら悩んでも答えはもう出ている」


「どうして、そのように言うことができますの」


 レベッカは夫であるウォルターの言葉に、思わず反論していた。しかし、そんな彼女にもウォルターの言いたいことは分かっているのだろう。彼女は涙がこぼれるのを堪えるかのように、キッと唇を噛みしめている。


「レベッカ、気持ちは分かる。俺もお前と同じだからな。しかし、これはいつまでも隠しておけることじゃない」


「では、すべてを話すというのですか」


「そうしないといけない。そして、それが早い方がいいこともわかるだろう。なんといっても、今日からあの子も大人だ。そして、あの子には知る権利がある」


「でも、あまりにもあの子がかわいそうです。あの子は何も知らないんですよ。そして、このことは考えられないほどの大きな責任を背負うことではありませんか」


 そう言うと、レベッカはついに堪えきれなくなったように泣きだしていた。そんな彼女の髪をウォルターは優しく撫でている。


「しかし、このままでいることはできない。そのことは、お前もよくわかっているだろう」


「それはそうですが……」


 ウォルターの言葉に、レベッカは反発しか感じていない。その彼女は、あることを思いついたように表情を明るくしていた。


「まだ、時間はありますでしょう。だって、あの一族はまだ動いていませんわ。それでしたら、急ぐ必要はどこにもありませんわ」


「お前がそう言うのは、現実を見ていないからだ。あの一族が、今日という日に動かないはずがない。それくらいわかっているだろう」


「でも、あの日から何年が経ったと思っているんです。そして、彼らが我が家を訪れたことは一度もありませんもの。絶対に、まだ動いていませんわ」


 何かを思いついたように、レベッカは顔を輝かせている。しかし、そんな妻の様子にウォルターは微かに首を振っていた。そんな時、家の扉を叩く音と案内を請う声が聞こえている。


「今頃、どなたでしょうね。ティーナのお友だちはほとんど集まっているはずなのに」


 今日のパーティーに娘が招待した相手は揃っているはず。それは、レベッカにはよくわかっていることだった。それでも、来客である以上、応対をしなければならない。そう思った彼女は、静かに扉を開けている。


 そこに立っていたのは、今までみたことのない二人連れ。しかし、奥にいる年嵩の男をどこかで見たことがある。どうやら、二人連れの方の一人は、レベッカの記憶の隅に残っている相手のようだった。


「あなたは……」


 玄関に立っていたのは、若い男と中年風の相手。この二人がリオンとレックスなのは間違いがない。


「レベッカ、どうかしたのか」


 妻が玄関に出たきり、戻ってこない。そのことを不思議に思ったウォルターも玄関に出てきていた。その彼も玄関にいる二人を見たとたん、凍りついたようになっている。


「あなた方は……」


 それ以外の言葉がウォルターの口から洩れることはない。そして、そんな夫婦の様子にリオンとレックスは何の感慨も持っていない。


 しかし、いつまでもこのままではいられない。そう判断したのだろう。リオンの後ろに控えていたレックスが、二人にグイッと近寄っていた。


「我々のことを覚えていて下さったのですね。それでしたら、話は早いです。今まで、どうもありがとうございました。本日をもちまして、かの御方は本来の場に戻られます」


「そんな大切なことを急に言われても困ります。私たちにも、心の準備というものがあります」


 レックスの言葉に、レベッカは思わず叫んでいた。そんな彼女の様子を二人は冷やかにみつめているだけ。


「心の準備というのはおかしいのではありませんか。このことは、最初から申し上げていたはずです。それも、忘れたとおっしゃるのですか」


 レックスのその声に、レベッカは思わず唇を噛んでいる。そんな彼女に追い打ちをかけるように、レックスは言葉を続けていた。


「我々が今日までこちらに来なかったのは当然ですよ。我々は、かの御方を危険にさらすわけにはいかないのですから」


「レックス、もういい。これ以上、時間を無駄にすることはできない。かの人に残されている時間はあと僅か。今は、一刻も早く覚醒の時を迎えさせないといけない」


 そう言うなり、リオンは家の中に入ろうとしている。そんな彼を押しとどめようとするレベッカ。しかし、そんな彼女をレックスが容赦のない力で押さえこんでいる。


「あなたのお気持ちはよく分かります。しかし、これは最初から決まっていたこと。我らも今まで待ちました。そして、これ以上待つということは、危険と隣り合わせなのです」


「待って下さい!」


 躊躇いもなく入っていこうとするリオンを止めようとする叫び声。しかし、それに彼が心を動かされた様子はない。それを見たレベッカは、力なく崩れ落ちていっている。


「レベッカ、これは最初からの約束だった」


 慰めるようなウォルターの声。それも彼女の耳には入っていないのだろう。レベッカは呆然とした表情で、家の中に入るリオンの後ろ姿を見つめている。そんな二人をレックスはじっとみつめているだけだった。




◇◆◇◆◇




 そこは、リオンにとっては初めての場所。それにも拘わらず、彼は自信のある様子で家の中を歩いていた。


 その様子は、まるで何かに導かれているかのよう。そして、一つの部屋の前で彼はその歩みを止めているのだった。


 コン、コン――。


「どなた?」


 遠慮がちに叩かれる部屋の扉。そして、それに応じる声。それは、明るい少女のものである。そして、それを耳にしたリオンは安心したような表情を浮かべているのだった。


 しかし、そうではあってもリオンはその声に応じようとはしていない。そして、扉が叩かれたのに、開く気配がない。そのことを不思議に思ったティーナは恐る恐る部屋の扉を開いていた。


「えっ? リオンさんでしたよね?」


 部屋の前に立っていたのが、先ほど広場で会った詩人であったことにティーナは驚いている。そんな彼女に、リオンは極上の笑顔で応えているのだった。


「僕のことを覚えていてくれたんだね。こうやって会いに来たのは、君に用があるんだよ、ティーナ」


「私に? でも、さっき会ったばかりですよ」


 リオンの言葉に、ティーナは思わず首をかしげている。それもそうだろう。何しろリオンという存在を彼女は今まで知らなかったのだ。それなのに、彼は自分に用があるという。驚くのは当然だといえただろう。


「君にはわからないかもしれないね。でも、これは決められていたことだよ」


「決められていたこと?」


 リオンの言葉にティーナはますます訳のわからない顔をしている。そんな彼女にリオンは態度を変えることなく、言葉を続けていた。


「君にはわからないかもしれないね。でも、これは決められていたことだよ。そう。僕はトゥーレの一族の一員だからね」


「トゥーレの一族……」


 リオンの言葉に、ティーナは思わず呆然としてしまっていた。それも不思議なことではない。なぜなら、トゥーレの一族、というのが特殊な一族なのだから。


 彼らは予言を生業とし、世界に起こる様々なことを読み解くことができると言われている。そして、その力というものは権力者の誰もが欲しがるものでもある。彼らは一様に、この一族を己の支配下に置こうと血眼になっている。だからこそ、トゥーレの一族は己の存在というものを隠して生活をするしかないといえる。


 しかし、そんな中でティーナに己の素性を告げたリオン。彼は持っていた竪琴の弦を弾くと、歌とも呪文ともつかぬ言葉を口にのせていた。


『時は来た。今こそ、封印を破る時。時は来た。今こそ、目覚めの時。記憶の扉を開く時。今こそ、すべてを思い出す時。プリンセス・アフローデ、あなたこそ我らの希望。今こそ、故郷に戻る時』


 リオンのその声に、思わず嫌々をするようにティーナは首を振っている。その彼女の瞳には二つの色が宿っている。それは、何かを恐れるようなものと、安心するかのような光。そんな相反する二つのものが、彼女の瞳には宿っている。


 ティーナの中では、二つの力がせめぎあっているのだろう。そして、そのことで彼女は不安しか感じない。目を床に落とし、自分の体をギュッと抱きしめている。


 その様子は、こうすれば何も見ないでする、と言っているかのようでもある。しかし、そんな彼女の頭をリオンはグイッと持ち上げていた。


「拒否は許されない。あなたは間違いなく我らの求める御方。今日、僕の歌に反応したのはあなただけだ。つまり、あなたこそ、我らの至高の女神」


 リオンのそんな声がティーナの耳に入っている様子はない。それを証明するように、リオンが彼女のことを『あなた』と呼ぶことも気がついてはいないのだろう。


 何も聞きたくない。


 ティーナの全身からは、そんな拒否の姿勢だけしか感じられない。彼女のそんな様子に、リオンはどこか呆れたような調子で言葉を続けていた。


「信じられないと? でも、僕は嘘を言ってはいない。そして、あなたも我々トゥーレの一族のことは知っているはずだ」


「そりゃ、トゥーレの一族のことは知っているわ。でも、あなたがその中の一人だなんて思ってもいなかった。そして、あなたの言ったことが信じられるはずないじゃない」


 リオンの声に、ティーナはようやく返事をすることができている。もっとも、そんな彼女の答えにリオンは肩をすくめているだけ。


「信じられないのなら訊ねればいい。でも、あなただって薄々は気がついていたことじゃないのかな。だって、あなたは彼らに似ているところはほとんどないんだから」


「あなたは、私にどうしろというの。それよりも、そのあなたって呼び方やめてよ。なんだか気持ち悪いわ」


「僕にとって、なによりも大切な方だからあなたと呼ぶんだけれども。でも、そう言うのなら呼び方は変えようかな」


 そう言いながら、リオンの手はスッとティーナの黒髪に伸ばされている。そんな彼の様子にティーナは思わず身を固くしている。それでも、自分の思っていることは言わないといけないとばかりに、彼女は感情をぶつけ始めていた。


「私はティーナだわ。それ以外のものであるはずないじゃない。プリンセス? それが何だっていうのよ。私は私よ。それ以外じゃないわ」


 リオンの先ほどの言葉。それの持つ意味がぼんやりとではあるが、ティーナには分かってきている。


 だが、それを認めた時。


 その時には、何があるというのか。それは、ティーナの居場所がなくなるということ。


 それを彼女は本能的に察しているのだろう。頑なに、リオンの言葉を認めようとはしていない。そんな彼女の様子に、リオンは仕方がない、というような表情を浮かべている。


「認めたくない?」


「当たり前じゃない。私がそんな大層なものじゃないのは、自分が一番よく知っているわ」


 話しているうちに、いつもの調子が戻ってきたのだろう。ティーナの態度は先ほどまでのものとは異なり、どこか挑戦的なものになっている。そんな彼女の姿に、リオンはどこか楽しそうな表情をみせていた。


「でも、君が僕の歌に反応したのも事実だよ。あの歌にあんな反応を示すのは、かの人だけだから」


「あの歌って、さっき広場で歌っていたやつでしょう。でも、あれっていろいろな人が歌っているわ」


 リオンの言葉にティーナは納得いく様子ではない。しかし、彼女のそんな反論にリオンは動じる様子もない。彼は淡々と事実だけを口にしている。


「たしかに、あの歌はいろいろな詩人が歌っているよ。なんといっても、昔からある歌だからね。でも、僕はあの時、かの人の存在そのものに呼び掛けたんだよ」


「だから、そのかの人って誰なのよ」


 ティーナにはリオンの言うことがわかったようでわからない。だからこそ、その言葉は棘のあるものになっている。


「かの人はかの人。我らの至高の存在であるプリンセス・アフローデ。そして、それは君のことだ。だって、18年前に僕の父が君をここの夫婦に預けたんだから」


 リオンのその言葉に、ティーナはどう反論したらいいのかわからなくなっている。そんな彼女の様子をみたリオン。彼は、彼女の手を取ると、その目を覗き込んでいる。


「認めたくない? その気持ちもわからないでもないな」


 リオンはポツリとそう呟いている。そうしながらも、彼はどうすればティーナの気持ちが落ち着くかと考えてもいるようだった。


 そうしているうちに、何かを思いついたのだろう。リオンはティーナの目をみつめながら、一つの提案をしていた。


「じゃあ、こうしよう。今すぐに認めろというのはしないよ。そのかわりにしばらく一緒に行動しよう」


「どうして、そうなるのよ」


 リオンの提案にティーナはビックリしたような声を上げている。そんな彼女を無視するように、リオンは言葉を続けていた。


「どうして? それが一番分かりやすいからだよ。そうすれば、君が君であるという意味もわかるだろう。そして、何よりも君が何をしなければいけないかということも分かってくると思うよ」


「……」


 そんなリオンの言葉に、ティーナは返事もせずに黙りこくっている。そんな彼女の様子をリオンは了承と判断したようだった。竪琴を抱え直した彼は、極上の笑みを浮かべてティーナの顔を見ている。


「君はプリンセス・アフローデ。それは間違いない。だって、僕が君を間違えるはずがない。その意味も、わかってくれると思うよ。だから、明日から一緒に旅をしようね」


 いつの間にか決められてしまったこと。そのことに反発しようにも、そんな気力すら湧いてこない。


 これは、どういうことだろう。


 そう、首を傾げるティーナ。すべてはまだ深い霧の中にある。しかし、一つだけわかったことがあった。


 それは、この強引ともいえるトゥーレの一族の一員であるリオン。彼との付き合いが、短いものになるはずがないということを。


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