タイムトラベル入門 その四(終)
ひとまずここらで風呂敷畳み。
これ以降続けられるかどうかはわかりません。
※ ※ ※
空っ風舞う荒地を乗り越えて、辿り着きたるは背の低い草木が茂る大広場。指図め更地に根付くオアシスと言ったところか。2003年に来て初めて目にした緑色。
車を降り、辺りを見回す。周囲に敵の気配は無し。レコンキスタの連中はあれで最後のようだ。
「困りましたね。これじゃあまるでスイスチーズだ」
「チーズ?」
「乳牛を発酵させて作った食べ物です。半世紀前までは未だ残っていたのですが……。知りませんか」
ここまで無傷で越えられたはいいが、車の方はそうはゆかない。空爆ドローンの雨を抜け、どこもかしこも穴だらけ。元の位置に置いて返すことを考えると気が重い。
こうも死線を彷徨えば、少々のことでは動じなくなるというもの。イリーナは暢気な添乗員に呆れ嘆息する。
「ここで……あってるんですか?」
「ええ。史実では、ここだと」
辺りはしんと静まり返っており、物音と言えば野鳥がげぇげぇ嗄れた声を上げるくらい。連れ去られた挙げ句見当違いでしたでは釣り合わぬ。
そんな気持ちを察してか、ビノはご安心下さいと前置いて、右の指で床を視るよう促した。
「本当に誰もいないなら、足跡が土に残るわけがない。同じブーツが五・六人。行き先はこの茂みの中……」
そこで待つよう手で御し、抜き差し・差し足・忍び足。茂みの中を平手で探り、この場所に不釣り合いな鉄の取っ手を掴み取る。
後はそれを開くだけ。片手だけで軽く持ち上げ、地下への入り口御開帳。
「とまあ、こんな具合です。さあさ、お手を拝借」
優しげな言葉で手を差し出してなお、その顔に浮かぶのは無表情。白と黒が反転した瞳と、あの強さが相まって、如何なる所作も恐ろしい。
「お、お願いします……」
なれど、ここで立ち止まる訳にはゆかない。イリーナは唇をぎゅっと結び、その手を取って粗末な階段に足をかける。
「ぎりぎりヒトが通れるレベルです。くれぐれもご注意を」
硬い砂埃が鼻につく竪穴だ。くしゃみを抑えるのに苦心する。行き交うヒトが多く、周囲の土が乾き切ってしまったのだろう。
降りた先も、ヒトふたりがやっと通れる程度の狭苦しい通用口だ。明かりと言えばぼんやりした紅いLEDだけ。ここを出入りして任務に向かうのか。行き交う姿はまるでモグラかミミズ。ビノは心中そう一人ごちる。
その先にも幾つもの横穴。蟻の巣のような各種居室。兵士たちの詰め所だろう。更に奥で響く怒号。うまくゆかない窮状に当たり散らしているのだろうか。頭目はあそこで間違いない。
「もう間もなくです。今一度、手筈の確認を……」
背中越しに合図を送るも、背後からの応答は無。不審に思い振り向くビノに、突きつけられるは黄色い閃光。
「こ、れ、は」
全身の筋肉が互い違いに動くような感覚。痺れた手は言うことを聞かず、絶えず弱い痙攣を繰り返している。一体誰がこんなことを? 考える間でもない。自分の背後に居るのは彼女ひとり。
「じっとしてればこれ以上危害は加えない。安心して、三十分もすれば元通りになるから」
イリーナの手に握られていたのは、掌に収まるほど小さなスタンガン。正規品ではないのだろうか、留め具の端々は浮ついており、機器そのものが黄の明滅を繰り返している。
「やはり……そちら側でしたか」
「知っていたの」
「何分仕事が仕事ですから。誰だって疑います」
もう一歩も動けないというのに、ビノはそれでも不敵な態度を崩さない。やはりこのヒトは苦手だ。彼女は怜悧な眼で不快の意を示す。
「理由を……お聞かせ願えませんか。55000クレジットという大枚を叩けるあなたが、こんな愚行に手を出すワケを」
「訳、ね」イリーナは唇を噛んで震える手に喝を入れ、「"ヴァルカ"は婿養子の父方の姓。私の名前はイリーナ・グエラマ・アガルタ」
成る程。話がだいぶ読めてきた。「ゲリラの頭目は、死んだものとお聞きしましたが」
「死ぬ前に身籠った彼の妻が、血縁を隠して難民キャンプに保護されたの。それからずっと素性を隠し、他に取り入って財を成してきた」
表から歴史を変えんとし、事実爪痕を残した一族が、息を潜めて二百年。そのまま闇に消える筈だったところに、伸べられてしまった救いの手。
「私は私の、いや私『たち』の歴史を無駄にしたくないの。あの車にアガルタを乗せて、騙し討ちしたロリシカに報復してやる」
それで歴史は変わる。世界最大の強国は屋台骨を揺らされ、空いた椅子に滑り込む。自分たちはもう日陰者じゃない。グエラマ・アガルタの一族は世界を変革させたのだ。
「私たちは間違いなく『ここにいた』。それを今、証明してやる」
動けないビノから銃を奪い、決意に上気した顔で彼を見下ろす。如何に不可思議な武器を使おうが、自分が動けなければ意味がない。彼女は三十分で動けるようになると言った。アシがあってそれだけ猶予を持たせれば、追い掛けるのは極めて困難。
「事情は何となくお察しします。けれど」
「何を言っても無駄よ。私はもう、止まらないから」
でないと、みんなが報われない。小うるさいビノに背を向けて、イリーナは奥へと進み行く。
彼女は自分だけでなく、自らを形作った一族の為に動いているのだ。男ひとりが何を言おうと、その歩みは止められない。
だから、身を以て体感するしかないのだ。過去は変えられないと。自分たちは『それ』を覗き見ることしか出来ない旅行者なのだと。
「うそ」
今まさに最奥の扉に手を掛けた瞬間、音のない弾丸がイリーナのこめかみに突き刺さり、脳漿を赤土の上に撒き散らす。蒼の瞳から生気が失せ、その身体はドアを塞ぐように仰向いた。
アガルタらが音に気付き、敵襲なのかと騒ぎ出す。だがドアの前には物言わぬ死体。彼らは出られず怒号だけがこの場所にこだまする。
「馬鹿な女。こんなことしたって、何にもならないのに」
怒号と死体を踏み越えて、『イリーナ』が此方に戻って来た。最初に着ていたジャンパースカートでも、偽装で纏った布切れでもなく、ビノと同じ銀色のボディースーツを着込んだ上で。
「あなたが、彼女を此処に呼んだの?」
その冷たい怒りに震えた瞳が、今なお突っ伏すビノに向いた。髪も、声も、無論顔も。寸分違わずイリーナ自身だ。自分で自分を殺し、ガイドたる彼にその矛先をすり替えて。
「あまり、良くない未来だったようですね」
「ご想像の通り。だから、その発端を消してやった」
時間とは『紐』のようなものだ。構成するなにかが解れると、薄く柔い横道に分派する。
過去の出来事を弄ればその先に連なるものは確かに変わるだろう。しかしそれは主観的なものだ。大局的に物を見れば、彼女たちに取って今この瞬間が『現在』。変わるのはその先に続く"未来"のみ。
「とんでもない大馬鹿者よ。その先に何が待ってるか、分かりもしないで」
2003年。予告無き空爆を回避したグエラマ・アガルタ二十五世は、死を装い軍備を整え、以降無差別テロで世界に恐怖をもたらし続けた。
ヒトは、一度死んで甦ると神に成るという。真偽はさておき、現代に奇跡を起こした頭目は、あっという間に中東全土を制圧。リコリスの教えと共に、国中の若者を死をも恐れぬ軍団に作り変えた。
大国ロリシカはこの悪行を許さず、各国の非難を無視してエオリアへの核攻撃を決断。2018年十月、グエラマ政権はエオリアという名前と共に世界地図から姿を消した。
「核によって地球の五分の一はヒトの住めない場所になって、世界はアガルタが悪いと決め付けた。どういうことか貴方に解かる? 私たち一族は産まれながらに罪を背負って生きてきたのよ」
あとはどこかで聞いたような理由が続くばかり。タイムワープの技術を得て、その発端が『此処』にあると気付き、元を正しに来たのだと。
「これで歴史は元通り。後はそうね……」
"自分"を殺したのと同じ銃をビノに向け、冷徹な微笑で獲物を見下す。どう転んでも、痺れたガイドを助けてくれるものとは思えない。
「ケジメを付けさせて貰うわ。一族八代に渡る恨み、その発端である貴方に」
酷い逆恨みだ。元はと言えば自らの依頼だと言うのに。などと言っても通じないか。彼からすればぽっと出なれど、向こうにとっては『それ』が本流。迫害の歴史を積み重ねたものだと思い込んでいる。
「汲むべき事情無し。戦闘員としても不適格。殺害が妥当……」
震える左手に喝を入れ、掌を上にし"時計"の液晶を地面に叩き付ける。有事の際の強制発動。秒計と共に彼『だけ』が時を遡り、先程貰った痺れが消えた。
「なッ?!」
死体のイリーナが持っていた銃が塵と消え、ビノの手に同じものが召喚される。否、戻って来たというべきか。ほんの一分前まで、それは彼の腰に差してあったのだから。
「イリーナ・グエラマ・アガルタ。タイム・キーパーの名に於いて、貴方を『本線』から削除します」
服装ごと『向こうの』自分から奪って来たのか。それとも腹に一物抱えてタイム・キーパーになったのか。今となってはどうでも良いか。ビノの放つ弾丸がイリーナの鳩尾に突き刺さる。
肉と骨の間に挟まった溶岩弾が真っ赤に燃える。三千度の熱が彼女を焦がし、その身体は二秒と持たず灰となった。
「さて。そろそろ時間ですね」
"クルマ"の言い訳はリリアに考えて貰うか。そう独り言ち、タイムスタンプを再度起動。彼の身体は砂鉄めいた塵となり、アガルタのアジトから消え失せる。
彼が再び生を受けたのは、レコンキスタの攻撃に遭ったあの地点。砂埃に覆われた空を鈍色の戦闘機が横切った。
積まれていたミサイルが解き放たれ、荒れ地の緑をその地下ごと刳り取る。大地が震え、灰色の爆炎が砂埃を纏めて吹き飛ばす。
「歴史に一切の揺らぎ無し。後片付けは此方の皆様に任せますか」
依頼人が死に、歴史の転換点は今過ぎた。最早此処に居残る理由はない。ビノは偽りの衣服を脱ぎ捨て、右手を天に突き上げる。
「2222。マイナス1.056789。ゼロキュー・イチゼロ」
年代と時刻を口頭で伝えると、眼前の空間が僅かにぼやけ、数百のブロックノイズを描き出す。その先に拡がるのは燈に輝くオルトニウムの光。
さよなら2003年。ビノは心中そう独り言ち、ワームホールに身を投げた。
※ ※ ※
「おかえりなさい。大荒れだったみたいね」
ブロックノイズから身体を再構成し、帰還後最初に目に入ったのは、上目遣いの金と銀のオッドアイ。上司リリアは執務室で机に向かい、先んじで転送されたビノの『活動ログ』に目を走らせていた。
眉は逆への字に吊り上がり、目元の皺が二本ほど余計に多い。ご立腹なのはひと目で解った。続く言葉を想像し、ビノは小さく嘆息する。
「あのね。うちは一応サービス業なの。信頼と信用が総てだって話は何度もしたでしょう」
「そう仰られるのなら、たまにはきちんと身辺調査をしてくださいリリア。私じゃなければ殺されてました」
「違う。そうじゃない」上司は長い黒髪を後ろ手でさっと掻き上げて。「"パラレルワールド"が産まれるのを解ってて止めなかった。あの後大変だったのよ。『リコリス聖戦士』とかいう連中がやって来て、今しがた全滅させたとこ」
「タイムトラベル可能な勢力とは珍しい」
「分岐が"ここ"からなら自然とそうなるでしょ。貴方のお蔭で軽傷者が二人出たわ。うちの戦力だってタダじゃないのよ」
過去は変えられないが、その先に連なる未来は変わる。
歴史を変えるということは、本軸とは別の世界をまるごと創り出してしまうということだ。タイムマシンが発明されて百年近く。愚かな為政者やカネに明かした馬鹿たちのせいで、今この宇宙には観測出来る範囲で65350ものパラレルワールドが存在し続けている。
だが、所詮は本軸という毛糸から解れた縮れ毛の一本。創造の発端が消えれば、繋がりを無くしてセカイごと消滅してしまう。イリーナが目的を果たした時点で、2222に攻めてきた連中は行き場を無くし、取り残されて命を落とした。
たったひとりが私利私欲のため、歴史を捻じ曲げたそのせいで。
「答えなさいビノ。貴方ならあの子が歴史を変える前に抹殺出来た。職務怠慢の理由は何。どうしてみすみす見逃したの」
「別に、理由なんて大それたものはありません」
ビノはやる気のない顔と声でそう返し。「羨ましいなと思っただけで」
「羨ましい?」
「『過去』の為、なりふり構わず突き進んだ彼女が」
何もない自分とは違う。その先に破滅があろうとも、希望のため一族の為。自らを犠牲に道を拓かんとしたその姿が。ビノにとっては眩しく見えたのだろう。
「貴方。『あれから』元に戻ってしまったわね……」
リリアはそれを咎めることなく嘆息し、美しい黒髪をくしゃくしゃと掻き上げる。『相棒』を得て気持ちが上向いたと思っていたのに、死んでしまえばまたこれか。
「忘れろとは言わないわ。けれどもう半年よ。いい加減切り替えて」
「私は。別に何も言っていませんが」
「そのウジウジが目障りだって言ってるの。何なら仕事を回してあげましょうか。とびきりきつくて、貴方好みのえぐいのを」
「勘弁して下さい。こちとら戻りたてなんですから……」
本日も曇天なり。厚い灰色の雲が空を覆い、その先に拡がる太陽光を包み隠して居座っている。
2222を生きる大人たちは、誰もその輝きを知らない。その恩恵に預かることも出来ず、滅びゆくセカイをただ指を咥えて視ていることしかできない。
だからこそヒトは過去に希望を求める。あの時あぁしていたら。もしこうだったなら。曲がり角を逆走し、こうあってほしいと願いを込めて。
故に彼らは存在する。他の願いで産まれた宇宙を砕くため。『本線』たるこの時間軸を守るため。
タイム・キーパー。ひとりの指揮官と十人のエージェント。彼らの戦いは、永遠に終わらない。
・EP.16 『タイムトラベル入門』Fin.




