タイムトラベル入門 その二
この物語はフィクションです。実在の地名・国・人物とは関係ありません。
ということを最初に表記しておくべきだった。
エオリアは西暦1978年、東欧より独立し、中東の内陸部に建国された小国である。
国民の多くは熱心なアガルタ教信者であり、東欧の強国が信ずるリコリス教とは相容れず、半世紀に渡り宗教戦争を繰り返している。アガルタ系武装組織は自らの人民こそが頂点であるという考えを崩さず、リコリスを含め他の宗教派を滅ぼさんとし、世界中で無差別テロを繰り返していた。
西暦2003年はその大きな転機である。この年の夏に大国ロリシカが軍事介入を行い、大規模な空爆を敢行。戦乱の中心人物、グエラマ・アガルタ二十五世(自称)が殺害されたからだ。
これにより戦乱は沈静化し、エオリアの聖地ウラルはロリシカの占領下に置かれ、武装組織は解体、投降を余儀なくされた。
少なくとも、表向きは。
※ ※ ※
「良かったですね。ポータルの前にトイレがあって」
案内役の青年・ビノは、簡易トイレに籠り、苦しそうにえずく依頼人に気遣いの言葉を投げかける。
オルトニウムを利用したポータル移動には向き不向きがあり、到着後に体の不調を訴える利用者も多い。一旦意識と肉体を分離させ、過去に至ってそれを再構成・再統合するのだ。このくらいで済んでマシともいえる。
「ハンカチをどうぞ。落ち着かれましたか」
「ええ……。まあ、なんとか」
黄緑色の吐しゃ物をハンカチで拭い、依頼人イリーナがビノに支えられ、ゆっくりと立ち上がる。ロリシカ軍が難民キャンプに仮設した粗末なトイレを出、視界に広がる荒涼地帯に目をやった。
「ここが……2003年、なの?」
「ええ。戦闘は小康状態、空爆直前のエオリアに間違いありません」
土煙で薄っすら霞んだ視界。凸凹とした赤茶の大地。航空機のエンジン音がそこらかしこで鳴り響く。横並びになった住宅はどれも簡素な作りであり、風に吹かれて屋根がかたかたと鳴っている。
どれもこれも、2222年には無かった光景だ。
「そのままでは目を傷めますよ」
ビノは持参した巾着型の布鞄から赤色のゴーグルを取り出し、イリーナの顔に被せて言った。
同時に『服』の胸元に人差し指を触れ、☓印を作って軽く押し込む。服を構成する粒子が波打ち、ジャンパースカートから肌の殆どを覆い隠す布へと変化した。
「どうも……ありがとう」
「いえいえ」
言って、彼は左手に嵌めた時計のダイヤルを右に一回転。更に左に二周させ、真中のボタンを押し込んだ。
「それは……?」
否、これを時計と言ってよいものか。握り拳大の文字盤に短針ひとつ。面積の殆どを円状の三重リングが締めている。リングの外側には細かな数字がびっしりと刻まれ、内側には一から二十四までの漢数字、その奥に六十秒計が備えられたもの。とても時刻を報せるものとは思えない。
「ああ、これですか」
ビノは下手な愛想笑いを浮かべ、文字盤を右手で覆うと。
「お守りですよ。仕事の時は肌身はなさず持ち歩いているんです」
バラック小屋の並木道を歩くこと数分。耳に届く老若男女のやかましい声を契機とし、居住区が市場へと切り替わる。
羊の肉特有の乳臭い匂いが鼻腔に広がり、舞い飛ぶ砂埃がくしゃみを呼ぶ。行き交う人々は誰しも汗と血に塗れ、据えた臭いを漂わせている。
市場といっても粗末なもので、ロリシカの軍用トラックに継ぎ接ぎの幌を括り付けたもの、家屋の入口を切り抜いて、板を即席の商品台としたもの。台車に布を敷いてすぐに移動出来るもの。など、など。少ない資材を無駄にしてなるものかという気概の表れか。
戦火の只中にあり、他に行きどころが無いながら、集まる人々の顔はどれもにこやかだ。温かい飯が振る舞われるからか。集団心理がそうさせるのか。あるいは笑ってなければ耐えられないからか。
ここから数日以内に空爆で街ごと無くなると知ってなお、彼らは同じように笑えるだろうか――。
「では。速やかに移動を始めましょう。離れず付いてきてください」
ビノはすれ違う人々には目もくれず、その視線を市場の外へと彷徨わす。彼の油断無き白の瞳は奇異の目で見る者を萎縮させ、近寄る者総てを威嚇する。
二人の纏う装束はアガルタの戒律に従い、肌の露出を極力避けた民族衣装となっている。無論カタチだけ真似たものだが、他に紛れるにはこれで十分だ。
「ああ、ありました。これなら問題ないでしょう」
急に人の波から外れ、一台の軽自動車の前で足を止める。誰かがここに乗り付けたのだろうか。土煙で薄汚れてはいるが未だ十分に新しい。
「それでは失礼して……」誰も見ていないことを確認し、懐から回転ダイヤル式の小さな鍵を取り出す。それを運転席の鍵穴に挿し込み、左に一回、右に二回。
鍵の方が穴に対して形を変え、この車上荒らしを受け入れる。次いで同じ鍵でエンジンオン。万能ロックオープナー、彼らタイム・キーパーの常用装備のひとつだ。
「アシは確保出来ました。お客様、此方へどうぞ」
と言い掛け、彼女の目が自分にではなく、市場で発せられるスパイスの香りに引き寄せられているのに気が付いた。
イリーナの目線の先にあるのは食事を供するあの屋台か。薄汚れた大鍋の中で蒸された黄色い焼き飯。強烈な香辛料の匂いに口元から涎を垂らし、店先で飯にありつく人々を眺めている。
「ビノさんお願い。私も、その」
「はあ?」
自分の任務は彼女の護衛だ。小康状態とは言えここは戦時下。いつ何時危険が及ぶかもわからない。
断るべきか? 任務遂行を考えればそうだろう。しかしこの切実な瞳。無理矢理引き剥がせば溝を生み、この後の行動に支障を来たすのは目に見えている。
「仕方がありませんね。帰還後の報酬に加算させてもらいますよ」
再び懐に手を入れ、くしゃくしゃになった紙幣を一枚、イリーナに手渡す。『職場』から任務遂行の為持たされたものの一つ。
金持ちなら自前で紙幣を準備するが、今回は食事自体がイレギュラー。ビノ自身が持参したものからの支払いだ。ちゃんと徴収出来れば良いのだが。彼は心中そう独りごちる。
「お待ちどうさん。そちらのお客人は……」
「いえ。私は結構」
ビリヤーニを、と頼むと先の焼き飯がが粗末な紙皿に乗ってやって来た。羊肉を細かく刻み、臭みをスパイスでかき消した赤黄色。
イリーナは一緒に供されたスプーンを『握り込み』、食べにくそうに口元へと持ってゆく。普段使う機会が無いのだろう。飯粒がこぼれ、靴に貼り付いて固まった。
「あぁ……うまい……。うまい……」
そんなことなど気にも留めず、往来なのにも関わらず。時に異様な辛さにむせながら。イリーナは涙を流して飯を口に運んでゆく。コメが絶滅して三十年。牛豚羊が”博物館”入りしてから四十年。人類の主食がラット・プレス・サンド(※1)になって以降、包みを解いて口に放る食事など、ほぼ歴史の教科書にしか存在しない。
「ねえ、案内人さん」紙皿をゴミ箱に放り、涙を拭ったイリーナがビノに問う。「本当に、歴史は変えちゃ行けないんですか? こんな美味しい料理を、皆食べられずにいるなんて間違ってるとは思いませんか」
「その質問に答える意味を感じません」涙ながらに語る彼女の言葉を、ビノは即座に拒絶する。「もう少し踏み込んだ話をしましょう。我々が今、ここで何をしようが、私たちの2222年には何の揺らぎも無いのです。お客様の優しさを否定するつもりはありませんが」
「でも……!」
不器用なフォローが却って癪に障る。睨みを利かせて再度迫るも、案内役は素知らぬ顔。
「私の仕事は貴方を武装勢力の頭目のところまで安全にお連れすること。食事がお済みになられたのなら、そろそろ車まで移動していただけますか」
白目と黒目が反転した瞳からは、喜怒哀楽のどの感情も読み取れない。あの顔自体が仮面のようだ。イリーナはそれ以上の問答を諦め、苦虫を噛み潰したような顔で首を縦に振る。
「そんなこと。やってみなきゃわからないのに」
潜めた声で呟いた不穏な言葉に、背中で聞き流しながら。
◆ ◆ ◆
※1
・精肉工場で量産されたドブネズミの皮を剥ぎ、滅菌処理を施した上で人体に必要な栄養素を詰め込んだ食物。2222年における人類の主食。




