追体験のデジャブ
ーーーまた守れなかった----。
目覚めたのは、床だった。タイルが背の熱を奪う感覚が右腕の焼ける裂傷を際立たせた。肘の窪みから指先にかけて浅くなる傷口は脈を打ち、床を染めていた。咄嗟に止血の為と白衣の左袖を引きちぎる。薄くなった肩口の布は存外にたやすく、力を込め振りぬいた腕からは血栓が飛び、無為に血だまりを増やした。
口と手とで布を結び止血を終えると、噛みしめていた奥歯がきしむのを覚えて、肩の力を抜く。広いタイル張りの床には散乱する大量の書類が、背丈ほどに並べられた幾つかのモニターには「404 Not Found」「No Signal」が表示され、徐々に音に慣れた耳にはサイレンがうるさく響く。先に見える廊下はハザードが光っていた。立ち上がろうと腰を浮かせると、軽いめまいが襲い寸刻立ちすくむ。視界に走る光を振り切り、確かな足取りで廊下へと歩みを進める。袖を失い、血を吸った服が足に絡みつく不快感は、立ち止まりそれを脱ぎ捨てるには、十分だった。腕の傷に触れないようそっと裾を広げると、その先、白衣のポケットに一枚の紙が丸まって入っている事に気づく。乾いた血の付いたそれは、何かの資料だった。
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A373 Original 時間制御区画仕様書
3.圧縮限界による保存領域の不足とその対処。
従来の手法による制御機構の圧縮、解凍は、送信時にデータ破損の可能性が高く、また精度維持のための演算領域が十分に確保できない事から今回「A373 Original」の使用が決定した。前プロジェクトから試作されていた「A373 Original」はデータ送信日時にすでに雛型が完成していた事から、データの破損時、復旧が可能であると考えられる。(詳細はAP373.original仕様書を参照)
送信データに対し、受信先で操作を行うことは出来ない以上、受け取り側での展開、実行が必須であるため、当時から存在している「aa245.original」の自己修復機能(abduction=retroduction)を使用する、加えて演算用ソフトウェア(イベントハンドラVer1.01)(3.827<x Lbi/pS+)を搭載している事から送信要領の大幅な削減(Ver2.01 2.30 4.0+ のパッチデータのみ)が可能となる。
4.AP373.original(ver1.01)への(ver4.0+)実装に伴う誤差。
本プロジェクトでは、128bit 4倍精度浮動小数点*(16オクテット)を前提としていた為(Ver1.01)時の3倍精度(12オクテット)への端数丸めが必要である。しかしながら、3倍精度のデータを、(4.0+ パッチ)の導入後では4倍精度で演算処理するため、送信時に端数を一度丸めると、4倍精度での展開時に32bit分のゼロを再び端数処理として理論シフトしてしまう可能性がある。よってこの点の追加検証が必要がある。
*16オクテットモデルについてはIEEE745(アイトリプルイー745)binary128を参照。
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「A373 Original…」その言葉の強い既視感に、曖昧な走馬灯が駆け抜ける。遠くへ去っていく他人を、こことよく似た場所で見つめていた。未体験の過去をデジャブする感覚が、不明瞭な記憶に強い不快感を与えた。それを振り払うように、ポケットの資料と白衣を脱ぎ捨て、非常灯に沿って廊下を進む。階段までの幾つかの部屋は、散らばった資料や壊された電子機器を除けば、地震や火災の痕跡といった物は感じられなかった。むしろ、何らかの事態に備えて、逃げ出す前に意図的に破壊し持ち去ったように感じられた。高い天井と窓がない事に違和感を覚えつつも、頭上の灯りを追い、廊下を抜けた。階段へ続く戸を覗き込むと、下り階段の踊り場につけられた案内が、ここが8階であり、屋上を除く最上階でもあることを示していた。外へ出るため、一階へと向かう。長い折り返し階段を手すりにつかまりながら一段ずつ下る。幾つかの階を通り過ぎた時、金属を打ち付ける甲高い音が4階の扉から鳴り響く。続けざまに数度殴りつけた後、音が止み、こぶしで戸を殴りつけたような低く鈍い音が鳴る。「ここから出してよ…」その弱い呟きに、我に帰る。扉へ駆け寄り、声を掛けた。「そこに誰かいるのか!」そういって、ノブに手を掛け強く引くと、思いの他勢い良くあいた扉に体を煽られる。戸に掛け強く握った左手に引かれ、怪我をした手をかばったが為に、強く尻もちをつく。暫くつぶりこんだ目をゆっくりと開くと、そこには同じ姿勢で座り込む少女の姿があった。扉を開いた先にへたり込む顔は悲しみを基底とする安堵が感じられ、絶望の先に安堵したか、或いは新たな絶望に対面したかのような表情は、助けた身には腑に落ちないものだった。
「生きてる」少女は唇に指を当てそうつぶやくと、我に返ったように立ち上がり、駆け寄ってくる「急いで逃げるよ!」そういって腕を引くと、歳性別にしては強い力で体を引き起こされた。有無をいわせず腕を引く彼女を制止するように振り払い、問いかける。「君は誰だ、何故こんな所にいる。」口をついて出た疑問に、彼女はまったく唖然とした。「覚えてないの…?」ゆっくりと振り返った彼女は、ほどかれた手で虚を握り潰した。「それは…後で話す。だから今はついてきて」懇願するようなまなざしを向けてくる彼女の瞳には、乾いた黒が不相応に浮いていた。何かを知っている口ぶりに湧き上がる疑問を抑え、ただ一つだけ問う。「なら、せめて君の名前を教えてくれ」「…!」再び見開かれた瞳にはやはり乾いた瞳孔がこちらを見つめていた。「そんなの酷いよ…だってあなたは私の…」思いを握り潰したような語気の後、すぐに笑みを貼り付け「私はオリ、あなたをここから出すために、今は言う事を聞いて。」と絞り出すように放った。「オリ」声に出し自らに問いかけるもやはり記憶に思い当たる節はない、それどころか、湧き上がる自身が何者であるかという問いの答えを握っている彼女が、これほどに急く現実が、より一層の疑問を掻き立てた。しかし、なおも懇願する瞳を向ける彼女にこれ以上質問を投げかける事が憚られ、それに蓋を閉じる。「わかった。だが、ここを出たら話してもらう。だから逃げ出すのは二人一緒だ。」彼女の言葉を諫めるように続けた一言に、苦い顔を無理やり笑みへと変えると「わかりました、約束です」そう返事をし、脱出の方法と現状を話た。階段を上りながら早口で述べた内容はこうだった。戦時の技術開発競争の末、形勢を一転するようなブレイクスルーが発生した事をきっかけに、戦争は威嚇から攻撃へと主を移し、研究の幾つかの要所のうち一つであったここは、例に漏れず攻撃を受ける事となった。そして今がまさにその時であり破壊兵器が接近しているとのことだった。またそれから逃れる為、屋上に設備されているヘリコプターを利用するのだという。故に我々は今、階段を上っていた。額に汗かく自身を尻目に、呼吸一つ上げず淡々と説明をしながら階を上る彼女からは、その乾いた瞳と同じ違和感をうけた。元居た8階を超え、先にある屋上の戸へ彼女が手を掛ける。しかしながら、先へ続く扉には錠が施され、そこが行き止まりであることを示していた。「出口はここしかないのか?」その投げかけに、唇を甘く噛むオリは、無言を回答とした。「なら、この錠を壊す道具を見つけるか?」という問いに対しても渋い表情とともに、壊すことは出来ないと告げた。「この建物には階段は一つしかないのか?それかエレベーターは」と思い立った疑問をぶつけると、彼女は思い出したかのように小さく「そうだ」と呟き、階段を八階まで降りた。「あります。階段では出来ませんが、エレベーターでなら屋上階に出ることが出来ます。」そういうと8階のフロアに続く戸を開け、中に入るように促した。引かれて中に入ると、戸が閉まらぬよう、戸にドア止めを挟みこむ。「この建物は一度フロアに入ると、出るときにはID認証をしなくてはいけないのです。外からは簡単に開けられるので、こうしてドアを止めを挟んでおけば、万が一の退路を確保できます。まあ、屋上に出られなければ、どのみちおじゃんですけど。」言い終えてエレベーターの前に立つと、その細い指を溝へ滑らせるように入れ、エレベーターの扉を開く。「この中を上って外へ出ます、上がって来れますか?」腕に向けられた視線は、その確認があくまで形式的な物であることをかたっていた。「私が先に上って引き上げますので、後から来てください。」そういうと躊躇なく、開いた先に飛び込むようにして入っていった。地上八階のエレベータシャフトに最悪な妄想を広げながら、すぐさま覗き込む。すると、向かい側の点検梯子を器用に上り、すでに屋上階の戸に指を掛ける姿がそこにあった。両開きエレベーターの唯一の欠点がこれであったかと感心しながら、先ほどの妄想を振り払い、梯子へ飛ぶ。案外に近く、勢いよく飛びついた梯子を、是が非でも落ちまいと脇で抱え込む。先の光を見上げながら徐々に段を上がる。彼女の差し出された手を握ると、またも人並外れた力で、屋上階へと引き上げられた。その腕力に驚きながらも、空からさした、記憶にある限り初めての陽光にちょっとした感動を覚える。未知との再会を懐かしみつつ、目を慣らしその先を見たとき、晴天が霹靂する。音を知覚するのとほぼ同刻、強い衝撃にエレベーターへ押し返される。咄嗟に指をドアへ掛けたのも虚しく、シャフトの闇へ落ちていく自分を見たような気がしたが。彼女が私の服を掴み、寸での所で死を免れた。落ちるから死ぬのではない、ぶつかった時死ぬのだとは、誰が言った言葉だっただろうかと、間の抜けた思議を巡らせながら、再び彼女に引き上げてもらった。服が締め上げた喉をさすりながら再び外を見ると、先ほど太陽があった場所は、黒煙が巻きあがっていた。話半分だった彼女の情報からは、それに倍は上乗せしないと採算のとれないような異様な光景だった。黒煙の出所へ続く荒野の赤土はそのまま地平線へと広がり、自身の背側に返ってくるような感覚すら覚えた。大地の丸みを感じるほど先の出来事が、この場まで熱と共につたわって来る恐怖に自然と足は震えていた。呆然とそれを眺めていると、物陰まで進んでいた彼女がせかすように声を掛けてきた。「早くいかないと、次が来るよ!」巻きあがる砂埃から肺を守るように口を覆う彼女のくぐもった声を処理するには、幾分か時間が掛かったが、”次が来る”その言葉に自然と震えは止まり、体は言う事を聞くようになった。現金な肉体だと思いつつも、今はそこに感謝し、物陰に駆け寄る。「これからどうする?」と声を掛け、身を乗り出すと。そこには彼女が注視するヘリコプターがあった。非常に小さく、あからさまに積載量が一人の代物が一台だった。質問しておきながら、その回答に被せるように「やだ」と言う。遮られ怪訝そうな顔をする彼女に、約束は守るようにと、暗に言う。逡巡の後、目を見開き私に掴みかかると、今までになく語気を強めた。「何言ってるの!あなたが乗って逃げないと、私たちは負けてしまう。いえ、それどころかこの世界が滅んでしまうのよ!それにあなたが死んだら私は…生きる意味が無くなっちゃうの。だからお願い、あれに乗って逃げて。お願い…」糸が切れたように座り込み、すがるように肩を掴む彼女の手を強く握る。「約束は守る、俺も君も一緒に逃げる、それが約束だ。生きる意味がないから死んでいい訳じゃ無いし、生きる理由の為に死んでいいわけでもない。だから考えよう。」握りしめた手の感覚に確信を持ち、少しの間をおいてから続ける。「君は僕が作ったんだろ、差し詰め僕は科学者で、君はAI。違うかい?」着ていた白衣に、厳重な研究施設、作為的に入れられていた、ポケットの資料。そして彼女の瞳や態度。妥当な推論だった。受け入れ難い前提は、ただの一つもなかった。私には、彼女の所作に覚えに近い何かがあった、血塗られた資料の表現が当然のように読み解けた。今、目の前にあるヘリだって、仕組みのレベルから理解している。だからこそ再び問いかける。「君は僕が作ったんだね?」彼女は無言で頷くと、少しの間、存在しない肺で呼吸を整えた後、ゆっくりと口を開いた。「私は貴方に作られました。目的を果たすための装置として。しかし貴方はそんな私に人格という物をお与えになりました。それは目的とは関係ない、貴方の遊び心から来るものでした。私は人格のモデルと、その分野で最初の試みであった事からこう名づけられました。Artificial Personality 373.original 通称人工パーソナリティ、美並 オリ。そして貴方の妹、美並 唯の人格模倣プログラム、それが私の正体です。ですが私は数時間前まで与えられた本来の目的を認識することが出来ませんでした。恐らくは何らかの計算もしくは推定されていた前提と異なる事があったのでしょう。ですからもう一度やり直す為に今度こそ貴方は逃げてください。私は単なるプログラムです。私がどうなろうと構いません、だからヘリコプターへ行ってください、操縦の仕方は理解して…」彼女の言葉を遮るように声を張る「なら、尚更置いていく訳には行かなくなったな」「何でですか、私はプログラミングだって言って!」「いいやそれでも君は僕の妹であり、娘でもあるんだ、置いて行ってたまるか。それに今は思い出せないけど、君に人格を与えたのも、君のその表情を作ったのにも何か意味があるはずだ。科学者は作品に、意味の無い要素は与えない。仮に何か無意味なものがあるとすれば、それが唯一無意味である事が意味となる。たとえば君の言葉を借りるなら、その遊び心だ。それは恐らく僕が僕に宛てた君を通したメッセージだ。さっき君は言った、もともと与えられた目的があったと、しかしそれは最近まで思い出せなかった。それはなぜなんだ?」「私の人格プログラムには、既存の人格情報と、新たに得たデータを比較して幾つか妥当な推論を立て検証することが出来るようになっています。しかしながらつい最近まで、その人格プログラム本体が凍結されていたので、その機能が使えませんでした。だから私は…」「それは変だな。何故それまで私は実行しなかった。何故わざわざ人格を凍結した…仮にだ、私がその目的とやらを与えてから、記憶を失ったとしたら、それなら辻褄があうが。人格が凍結されていた期間の私がどうしていたかわかるか?」「はい、私には非常に高い演算能力が組み込まれていたので、人格凍結後も高機能な計算装置として研究所のデーターベースには常に接続されていました。ですが、少なくとも私が開発されてから、貴方が記憶を失ったような形跡はありません。」「だとすると…この瞬間にさえ君が起動出来ていれば問題なかったのか。いや、やはり変だ、さっき君は、推定された前提もしくは計算が異なっていた。だからもう一度やり直す。と言った、君を作り直すでもなく、別の方法を考えるでもなく、やり直すと言った。あたかももう一度出来るかのように、これだけ大規模な施設の演算を一機で賄える代物が、そう簡単に何度も作れるはずはない。だとすれば…さっき君は最近まで目的を認識できなかったといった。その目的はいったいいつ与えられた!」「それは…」手首から空中に映写されたモニターに大量のログが表示される。それが流れ切ったあと、二人は唖然とする。「今から5分後、10年前に送られている…。過去にデータを送っている…過去に記憶を失ったんじゃない、今のまま戻っていないだけだ。だから昔にデータを送った。」自らの出した結論の異様さに背筋が冷える「異常だ…だが今は信じるしかない。君が起動されたのは数時間前だったはず…では、何故わざわざそんなに昔に送ったんだ、そのことを知っていれば…。そうか!このデータを送った時、僕は君が最近再導入された事を知らなかった。だから、そんな昔にまで送ったんだ。つまり少なくともこのデータを送った時と今とで状況が異なっている。データ送られた事によって未来が変わったんだ、それによって僕は君が…壊れる前に、その真実にたどり着いた。そして恐らく前回の僕は君を失ってからその事実に気づいた為に、人格が最近導入しなおされた事を知ら無かった。そうだ、さっきの資料には(Ver4.0+)というパッチデータがあった。それについて何か知らないか。」「ええそれは人格が凍結される15年前、送信されてきたデータです。ですが送り主不明な上、データの破損が酷くファイル自体は残ってはいるものの、半数がエラーを起こす状態です。とてもではありませんが、データの復旧は出来ないでしょう。」「データの復旧…それは、仮にだが、もし仮にそのデータに対して、君の人格にもとづいた妥当な推論を練り上げるアルゴリズムを適用したらどうなる」「それは…可能かも知れないです。」「恐らくはそこに答えがある、急いでくれ!データが未来から送られるまではあと3分、それまでのどこかで君は破壊、ないしは何らかの故障に近い状態に陥る可能性が有る。」解析が始まり、それを待つ間、屋上の物陰で赤い砂の巻きあがる光景を眺めていた。「なあ、解析中に話すことは出来るか」「はい、問題ありません」そういうとオリはすこし肩をよせ、二人は微かに触れ合った。「もしよかったらさ、少しのあいだ、君が知ってる僕と、妹について教えてくれないかな」下げた肩に、オリが頭を預ける。「はい。お二人の生まれは、裕福なご家庭でした。妹の唯さんとは特に仲が良かった様で、私の人格データには、その頃の映像も組み込まれています。」そう言うと、空中にその様子を映しだす。そこにはスモックを着てしゃがみ込むオリと、少年の姿があった。小さな手を互いに握り、カメラに向く視線は、幼稚園の前で取られた映像だった。「これが一番最初のデータです。この後にも、お二人の成長の記録が残っています。」切り替わった映像は、紅白の帽子をかぶり、二人三脚をしている様子だった。時折ぶれるカメラには、唯と薫を呼ぶ声が入っていた。「このオリにそっくりな子が唯で、となりが僕なのか。」「そうです、正確には唯ちゃんにそっくりなのが私なんですけどね」そしてまた切り替わる。中学への入学を称える垂れ幕に並び、目を腫らすオリと、制服を着た自分の姿が映っていた。「この頃になるとオリにだいぶ似てくるな」今そこへ映る少女に3つ4つ足せば、ちょうど同じくらいの見た目になるだろうか。そう思いを巡らせていると、そこで映像は止まった。そしてオリがゆっくりと口を開く。「この日の帰り、唯ちゃんは交通事故で無くなりました。それから4年後、ちょうどその頃の見た目を想像して作られたのが、私でした。貴方の優れた才は、これほどまでに精巧な人格と、見た目で私を作り上げました。それが意味の無い行為だと分かっていても、与えられた才能は、私をこの世に生んでしまいました。そして、それから暫くは共に生活を送りました。しかし、完璧なクローンは完全な代わりには成れなかったのです。日に日に壊れていく自分を自覚した貴方は、唯ちゃんの死を受け入れるように私の人格データを削除しました。あとは先ほど話した通りです。さて!」声音を明るく戻し、さっと立ち上がりこちらを振り向くと、わざとらしく腕を後ろでくみ、腰を傾ける。「データを解析したら解決策がわかりました。ヘリコプターを起動してください。」後ろに隠した腕に一瞬メッセージテキストが表示された気がした。それに触れられまいとしたか、或いは単に急いでいるだけか、せかすようにヘリコプターへ私を引っ張る。「私には起動の仕方分からないんで、よろしくお願いします!」中を覗き込む、手が覚えた順を頼りに起動シーケンスを実行し、モニターに明かりがつく。「起動するのはいいが、これに乗るならちゃんと、オリも一緒だぞ、装備を外して軽くできないか、試してみるから手伝ってくれ」「その必要は無いですよ!先にオートパイロットで、ここから北に一キロの場所を設定してください。安心してください、ちゃんと乗りますから。」指示の通りに、目的地を設定する。後はボタン一つで飛ぶことが出来る。「設定したぞ次は?」コックピットから顔を出し向き直ると、オリが手をとり、そっと自分の顔に寄せる。「どうしてこんなにも温かいんでしょうね、わたし機械なのに…」数秒温もりを確かめるように目をつぶった後、急に腕を引く。人力をはるかに超えるその力に、視界は暗転し、再び目を開けるころには、オリはすでにヘリに乗り込んでいた。圧された肺に息が入らず声が出ない。もがくようにジェスチャをするが、その切迫とは裏腹に彼女は、穏やかな笑みを浮かべる。「本当に優しいんですね。未来からのメッセージはこうでした。”私は失敗してしまった。標的は彼女だ、次は絶対に妹を守れ。”私が機械だって気づいていたのに”妹を守れ”だなんて。大好きです、薫お兄ちゃん」彼女はまた、自身の絶望の先で安堵するような表情を浮かべた。ヘリの戸が閉まり、自動操縦が始まる。詰まる息に呼吸を諦め、どうにか立ち上がり軽く浮いたそれを追いかける。必死のジャンプで掴み掛けた薄い金属製のヘリの足は、風に煽られ、腕を肘から手首へと切り裂いた。すでに手の届かなくなったヘリを呆然と眺めながら呟く。「ああ、また守れなかった。」