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魔法少女いのりのパンケーキ  作者: 鳥兜
第一章 カラメルソースとメープルシロップ
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第三話 マーマレード・スペシャル

死ぬかと思った。生きてる……短めで申し訳ない。

 ガラス越しに見える景色が、本物と同じだとは限らないと誰かが言った。

 追い出されてしまえば二度と戻れない水槽を飛び出して、外から見た世界の小ささに驚くよりも恐怖した。あの小さな水槽の中であれだけの数が生きていくのは奇跡に等しい。増えるだけ増えて暴虐の限りを尽くす中のものたちに耐えきれず器に亀裂が入っている。

 あるとき、気が付いた。水槽の外側で、ガラスに手をついて悲しそうに中を見る存在に。その時初めて水槽の中に置き去りにしてきたものを思い出して、同時に最早水槽に戻る手立てなど何所にもないのだと理解した。

 小さな元の水槽よりも、更に小さな水槽を作った。希望するものを移住させて、それでも置き去りにしたものは戻らなかったし、その上自分はその水槽の中に入れなかった。

 水槽の外側で内側を見ていた存在は、中を見ることをやめていた。ぼんやりと虚空を見る存在に、心を奪われた。


 それが、二つ目の理由。あるいは、最初の約束。



 髪に緩くウェーブをかけ、薄く化粧を施して、朝の身支度を終えた祈は気怠い身体を引きずるようにして台所へと向かう。水を注いだ電気ケトルのスイッチを入れてからフライパンをコンロに乗せ、冷蔵庫を開けると、一番に目に入ってきたのは鮮やかな黄色の殻の卵だった。しかもわずかに光っている。

「お試しくらいはしたほうがいいのか、否か」

 奇妙な卵(曰く絶品)を二つ取り出し、冷蔵庫の扉を閉めたところで、呑気なあくびが足下で響いた。睡眠を必要としないくせにあくびはする謎の生物を放置して、祈は手早く準備を済ませる。

「塩派ですよ」

「聞いてない」

「いや、目玉焼きつくるんでしょう。あっしは塩派。ちなみにみつきさんは何もかけない派なんですがね。かれんさんがわからない」

「みつきは摘原さんのところだろう……」

 火蓮のところにみつき、祈のところにみかづきと前夜に定めた通り、今この場にはみつきはいない。いるのは塩派を主張する図々しくも見た目だけは可愛らしい黒いもの一匹である。

「いのりさんは朝はパン派なんですかい?」

 アルミホイルにバゲットをくるみ、祈はオーブンに放り込んだ。黒い尻尾が足下でうろちょろするのを蹴り飛ばしたい衝動に駆られるが耐え、レタスをじゃばじゃばと洗う。しゃべりさえしなければこの生き物は可愛いのだった。

「あまり気にしない。ご飯とか、パンケーキのときもある」

「朝からですかい」

「朝から」

 切ったバターをフライパンに入れて火を点け、少し泡が立ったところで素早く卵を割り入れる。見た目通りやはり普通ではない黄色の卵の殻は鶏卵よりも硬く、料理に手慣れて(というよりもパンケーキを作りすぎて)大概卵を片手で割る祈ですら両手で割るほどだった。

「いのりさんはよくお料理はするんですかい?」

「一応」

「どおりで。お弁当も?」

「……普段は」

 今日は作らない、と嘯いて、祈はレタスを洗ったレタスを皿にちぎった。お湯を注いで蓋を閉めたフライパンの中ではいつもよりも火の通りの遅いぷっくら膨らんだ黄身がつやつやと輝いている。白身も大部分が半透明である。

「これは、なかなか」

 パンケーキを作るときは手を変えないといけないかもしれない、と思案した祈の手から、一回り小さくなったレタスの玉が転がり落ちた。コンロから漂うバターの香りに気の逸れていたみかづきに直撃し、ぐえ、と可愛げのない声が漏れる。

「ご、ごめん」

 慌ててレタスを拾い小さく謝ると、黒いふさふさな尻尾が揺れた。レタスを冷蔵庫に仕舞う間に復活したみかづきが乱れた毛並みを前足でせっせと戻す傍らようやく火の通った目玉焼きを皿に盛る。出し忘れていた盆を用意し、皿二枚とコップを二つ、牛乳、塩胡椒、ドレッシングと更にほかほかのブレッドをのせたところで祈はみかづきを振り返った。

「箸は使える?」

「ちょいと、箸までは。スプーンかフォークでおねがいできませんかいね」

「了解」

 箸一膳を子供用フォークとスプーンの隣に添えて、祈が黒漆の盆を持ち上げると、気が付いたみかづきがダイニングへと続く扉へ駆け寄った。後ろ足で立って戸の下の方に前足をかけ、力一杯横に引く。意外な腕力に目を剥いて下を見ると、扉を開けて息切れ気味の黒い謎生き物はどや顔で祈を見上げた。

「かわいいけど、腹立つな」

「いのりさん!?」

 そりゃああんまりでしょう、と抗議するみかづきを放置して、祈はさっと席に着いた。構ってもらえないと判断したみかづきもテーブルに飛び乗り、お人形座りで朝食の皿を前にすると、ままごとのような絵面が完成する。

「……不本意な」

「それこっちの科白ってわかってないんですかいね、いのりさん」

 祈は箸を、みかづきはフォークを手に(前足に)取って、いただきます、と目玉焼きに刺し入れる。とろりと零れた黄身を白身につけて、祈はぱくりと食べた。

「どおですかい?」

「黄身が濃い……美味しい……」

「そりゃあよかった。ところでいのりさん、質問があるんですがね」

 なにか、と淡泊に返す祈は目玉焼きに夢中で、恍惚としたみかづきの方を見向きもしない。最初に火蓮がこの卵を食べた瞬間を思い出し――ちなみに彼女は卵焼きにした――みかづきは思わず笑みをこぼした。

「おみゃあさん、いったいどのくらいの頻度で『境界』をこえてるんですかい」

「……さあね」

 誤魔化しではなく答えたつもりが、不機嫌そうにサラダをつつくみかづきに祈は苦笑する。事実、彼は自分が一体どのくらい“あちら側”へ渡っているのか把握できていない。気が付いたときには境界を越え、ふとした瞬間に“こちら側”へと戻ってくる。彼がそこを“あちら側”だと認識できるのはそこで『異常』が起こるからであって、はっきりとした空気の違いを感じ取っているわけではない。本当のことを言えば自由に行き来する手段がないわけでもないが、彼はそれを使ったことが無かったし、そもそもそれは彼が無意識に境界を越えることを防いでくれる代物でもない。

「よくわからないんだ、本当に。ボクには“あちら”と“こちら”の区別がつかないから」

「――ちょいと待ってくれませんかいね」

 空振りしたフォークが白い皿を勢い良く突く。呑気にバゲットを咀嚼する祈とは対照的にみかづきの黒い毛が逆立ち藤色の瞳が怯えたように少年を凝視する。

「区別が、つかない?」

「そうだよ。それが何か?」

 “あちら側”と“こちら側”と呼ぶのはあくまで便宜上であって、現実は折り重なるようにして()()()()()()()()()。曰く「視える」か否かではなく「理解できる」か否かで境界を越えられるかどうかが決まるらしいが、何を「理解」すると境界を踏み越えてしまうのかは明確ではない。

「確認なんですがね、いのりさん。あっしらの側――おみゃあさんでいうところの“あちら側”がなにか、わかってるんですかいね?」

「神の領域」

 端的な答えだったがみかづきは大きく頷いた。正確には「神とそれに準ずるもの」のための領域である。だからこそ祈には昨晩の色鬼や魔法少女の存在が不可思議でならなかった。あれらは本来「神」ではなく、あちら側に居れば自ずと淘汰されるはずのものである。

「それがわかってて、なあんだって区別がつかないんだか……」

「イロイロあるんだ、ボクにも」

「そのイロイロには、おみゃあさんの魔力が異常に高いことも含まれるんですかい?」

「ボクが世界に愛されてる理由も」

「聞いても?」

「そこまで答えるつもりはない」

 怜悧な言葉は有無を言わせない強さがあった。いつか自然とわかることでもある、とだけ教えて、祈は目玉焼きに胡椒を追加する。

「まあ、それ以上は聞きませんがね。こっちのはなしをしましょう。あっしもみつきさんも色鬼を追ってはいますがね。正直なところ、それは人助けのためじゃあ、ない」

「だろうね。どうして『色鬼』なんてものが成立するのか知りたいんだろう」

 ボクも知りたい、とバゲットの最後の一切れを齧る祈は仄かに笑う。

「摘原さんは、それを?」

「言えませんでしたよ。かれんさんはおみゃあさんと違ってあくまでもただの人間――あまりこちら側に深入りさせるべきじゃあないでしょう」

「よく言う……まあいいか」

 サラダを手早く完食し、ご馳走様、と挨拶して祈は皿を片手に立ち上がった。慌てるみかづきにゆっくりするよう言い置いて、台所の扉を開ける。

「協力しよう。――卵欲しいし」

 付け加えられた一言が本音では、とは突っ込まずに、みかづきは朝食を再開した。



 魔法少女が使う魔法には幾つかの種類と段階があり、種類は多種多様で数えることが困難である。段階は詠唱の略式度により、完全詠唱、略式詠唱、詠唱破棄、無声術式の四つに大別されるが、魔法行使の際の詠唱はあくまで補助であり安定性を生むためのものである。そのためあると便利、くらいの存在で、詠唱が邪魔で省略されることの方が多い。また魔法には得手不得手が大きく影響する。例えば火蓮は炎や結界系の魔法であれば無声術式で同時発動を難なくこなすが、反面、水や大地の魔法は最も術式の安定する完全詠唱ですら成功率が二割程度にしかならない。

「なんか、苦手なんだよね……火とか結界は、こう、なんとなくわかるんだけど、水とか大地系のってなんで発動するのかよくわからなくて……」

「へえ……」

 長ったらしい呪文と具体的な魔法効果がこれでもかと書き詰められた紙束をぺらぺらとめくりながら、祈は生返事で火蓮に答える。ワードで打ち込んで印刷した魔法の書(ただし両面印刷のA4コピー用紙、左上ホチキス止め)には風情も何もあったものではないが、内容自体は意外によくできている。

「魔法はみつきに教えてもらったのしか知らないけど、聞いたのは一応全部そこに載ってるよ。たしか八十種類くらいかなあ?」

「思った以上に多い」

 祈は紙束を脇に置いてエビフライに齧りついた。広い食堂はそこまで人の入りが多くない。特別こそこそと隠れるようにして話すこともないだろうと、二人は堂々と魔法談義に花を咲かせていた。多少他人に聞かれたとしても、漫画か何かの話ということにしてしまえば怪しまれることもない。

「色鬼にも結構個体差があるみたいで、昨日みたいに火が効かないとすごく困るんだよね。そうなったら物理で殴るしかないし」

「物理」

 お世辞にも体力と運動神経に恵まれたとは言えない祈には、物理で解決できる自信がない。なるべく手数を増やしておかないと恐らくすぐに行き詰るだろう。

「だから祈君が水とか大地の魔法覚えてくれるとうれしいなあ」

「努力する……」

 あっという間にエビフライを完食して、エビフライ定食よりもハンバーグ定食の方がよかったかと祈は僅かに後悔した。二十枚に渡る魔法の書が視界の端に入り、火蓮に気付かれないように息をつく。

「魔法に属性があるわけじゃないのか」

 水の、炎系の、と呼びはするが、よくあるファンタジーのように水魔法、炎魔法、と呼びはしない。どうやら魔法は属性的に区分できるものではないらしく、しかし説明が難解になるため見た目でわかりやすく何々の魔法、と分類している。

「意外と難しいよね、魔法。だからあたしたちの理解できないとこを杖で補ってるんだって」

 ゆえに魔法少女は杖を失えば魔法が使えなくなる。一度戦いで魔法の杖を折ったときに不思議生物コンビに散々叱られた経験のある火蓮が苦く笑うと、祈はそうか、と首肯した。

「『夜の帳』は、魔法?」

「魔法だよ。結界系の魔法の一種。帳の結界って言って、これはみつきとみかづきのサポート付きで普通の世界でも使えるの。面白いよね」

「でも、みつきは昨日夜の帳の中で会わなかったような」

「みつきが帳の外側、みかづきが内側から支えてくれてるの。だから、戦ってる間はみつきには会えないよ」

 帳の結界は本来境界を越えられない魔法少女が“あちら側”に入るために必須の魔法である。しかし一口に帳の結界といえども、指定条件や範囲によって様々に分岐するため、そのすべては火蓮も把握していない。

「色鬼は夜に出現することがほとんどだから、夜の帳を使うことが一番多いかな。次によく使うのが『雨の帳』」

「へえ……」

 色無い返答に火蓮の端が止まり、卵焼きが弁当箱の中へと戻っていった。頬を膨らませて一度は渡した魔法書を祈から奪い返した火蓮は汁物を啜る彼の顔を睨みつけようとして、思わず目を逸らす。椀から口を離した祈はほんの少し微笑んで、火蓮の言い訳を待つことにした。

「雨と、夜じゃ、ぜんぜんちがうの」

 火蓮は帳の魔法の一覧が記載されたページを祈の前で開き、夜の帳と雨の帳を指し示す。

「一番違うのが、周囲の状況。夜の帳は、別世界って感じで、周囲の人も完全にいなくなるし、物を壊しても現実には影響が出ないけど、雨の帳は他の人があたしたちに気が付かなくなるだけって感じなの。だから物を壊すと現実世界に影響が出ちゃって……」

「随分とデメリットが多い」

「うん。その代わり、夜の帳は夜しか使えないのが、雨の帳はいつでも使えたり、色鬼の力を制限できたりするから、不便ばっかりでもないよ」

「ああ、なるほど雨の帳は()()のか」

 勝手な頷きを見せる祈にますます火蓮が不貞腐れた。しかたないという風情で、祈は懐から小さな鍵を取り出した。真珠のような光沢を持ち、微かな桃色の光を放つ鍵が、両者の間でぷらんと揺れる。人差し指の先に赤い紐に吊られる鍵を垂らして、祈は火蓮にそれを預けた。

「これって……ひょっとして」

「そう。鏡界鍵杖コンパクト版」

 真珠色の鍵を手に目を真ん丸にする少女を意識の中心に置いて、祈はほんの少しだけ()()()()()。彼からすれば何が変化したのか欠片も認識できなかったが、火蓮にとってはそうではない。

「光の、帳……?」

 世界が淡く輝き、視界の中央に光の珠がふわふわと浮いている。昼時でそれなりに人がいるはずの食堂内の人の声が消え、食器の鳴る音や元気な足音だけが頭に直接響くように聞こえている。

「どう見える?」

「どう……?見た通りじゃない?光ってるみたいなかんじ。人の声だけが遠くて……ねえ、これ、『光の帳』なの?」

「さあ?」

「さあって……なんで……」

 光の帳がまずわからない、と答えて、祈は水を酌むだけ酌んで手つかずだったコップに人差し指を突っ込んだ。濡れた指先で机面に「1」と記し、同じように水で何か書くように火蓮に促す。揺れ踊る光に視界を邪魔されながら、火蓮は祈のコップを拝借して小さく丸を描いた。

「じゃあ、次」

「つぎって」

 なに、と訊ねる前に、火蓮の視界が暗くなる。周囲の人間は完全に消え、人の声どころか総ての音が消え失せる。

「なに、これ」

「どう見える?」

 自分の声すら曖昧で、ただ目の前で唯一変わらず座す祈の声だけが頭で反響する。食堂は夜のように暗く、電気もついていない。人の気配も音もなく、月のない夜に森に迷い込んだようだった。それだけとれば夜の帳の内側のようだが、決定的に違う点が一つだけある。

「ちがう……物の感触が、ない」

 彼女の両手は現在、テーブルの上に置かれている。更に言えば右の人差し指の先は湿っているはずだが、何の感覚もなかった。少女の言葉に微かに不思議そうな顔をした祈はもう一度指先を水に浸して「2」と書いたあと、丸以外の何かを書くように促して、三角形を描かせ、質問を重ねようとして、口を閉じた。

「ごめんね」

 小さく謝ったあと、祈は火蓮から鍵を奪い取った。途端、世界に光と喧騒が戻り、指先の冷たさに火蓮は目を醒ます。

「……今の」

「境界のむこう側。摘原さんが『帳』って呼んでるところ」

 でも少し間違えた、と目を伏せて、祈は火蓮から奪い返した真珠色の鏡界鍵杖を懐に仕舞いこんだ。帰ってきた日常に一息つく火蓮が水筒のお茶を飲むのを待って、少年は彼女の弁当箱の脇を指す。そこには先程彼女が訳も分からないままに描いた歪な丸()()が乾きかけてかすれていた。

「それが浅さの違い。喩えて言うなら……適用されてるレイヤーの違い?」

 消えた三角のあったはずのところを指の腹でなぞる火蓮の前で、祈は「1」と「2」に下線を引く。説明が難しいんだけど、と苦笑して、祈が水文字をかき消すと、火蓮は頬を引き攣らせた。

他人(ひと)には見えないはずのものが見えてるわけじゃないんだ、ボクは。ただ他人には感じられるものが感じられないだけ。次元(レイヤー)の選択が巧くできないせいで、今ボクが立っている場所すら覚束ない」

「立っている、場所……」

 珍しく饒舌に喋って、祈は具材を食べきり汁だけになった椀を箸でかき回した。上澄みが沈殿していた味噌と混じり合い、濁り切った中で箸先が椀の底を引っかく。

「ボクは今、本当にキミの目の前にいる?」

「祈君、祈君はここにいるよ。あたしの前で座ってるよ」

「ボクの声は本当に聞こえてる?今聞こえてるのは本当に摘原さんの声?」

「聞こえてるよ。今、祈君としゃべってるのはあたしだよ」

「ボクは――ボクは、本当が何かを知りたい。ボクが本当に存在してるんだと確信したい。ボクの、世界は、ココなんだって」

「祈君」

 透き通るような瞳が真っ直ぐに少年を見ている。強い眼差しはそれだけで彼を怯ませる。

「大丈夫だよ」

 かつて()()()同じように彼をなだめた。

「あたしがそばにいる。あたしの隣が、祈君の立ってる場所だよ」

 あたしだって魔法少女なんだから、と笑って、火蓮は()()とは少し違う約束を祈と交わした。



 中の火の通りを確認して、均一な色のついたパンケーキを皿の上にあげる。鼻を突く蜂蜜の香りがキッチンを抜け出して、誘い込まれた祈が焼きあがったパンケーキに瞳を輝かせた。

「焼けた?」

「おう、少し待ってろ。今ソースかけてやるからな」

「いらない。そのまま食べたい」

「少し味気ないと思うぞ?いいのか?」

 いいよ、と答えて、祈は持っていたフォークとナイフを構える。古びた照明の黄色みを帯びた光が焼きたてのパンケーキが吐き出す湯気で拡散されて、白い影が祈の頬に落ちる。

「きれいだね」

「……あんたのために焼いたんだ」

「そっか。じゃあ、二枚目はソースお願い」

「わかったわかった、すぐ焼いてやるからちゃんとテーブル座ってそれ食って待ってろ」

 柔らかな微笑みに、少年は泣きそうになった。祈が彼の前でことさら子どものように振る舞うのは、さびしがりやの彼を慰めるためなのだと理解している。

「ねえ」

「なんだ」

「美味しいよ」

「そうか」


 『すごいおいしいよ!また作って、――!』


次回はパンケーキ回です。

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