Case.2 絶望希望犯⑤
事件発生から二日目、夕刻。鑑識の撮った現場写真で山井の言っていた粉チーズを確認した夕姫と佐藤は、その出どころを捜査していた。件の粉チーズの容器は緑と白、赤を使用したトリコロールのデザインになっており、国内においてはイタリアからの輸入品として流通しているものだった。しかし都内でこの粉チーズを販売している店舗はまだ見つかっておらず、かなり希少なものである可能性が高いとの見解に至った。捜査に同行していた涼はふと思い、夕姫に話しかけた。
「なぁ、あの粉チーズ、例えばレストランで販売しているんじゃないか?」
「レストラン?」
「ん?レストラン?」
夕姫の応対に佐藤が反応する。
「あ、涼くんがレストランで販売してるんじゃないかって」
「…なるほど、その可能性はあるな」
「そうなると被害者が懇意にしていたイタリアンレストランがあるかどうかを周囲に聞けば…」
「粉チーズの出どころはわかるかもしれない」
被害者の私生活や人間関係の捜査が進展すれば、そこから容疑者が見つかる可能性は高くなる。今回の事件は猟奇的とは言え、犯人と被害者は顔見知りである可能性が高い。何しろ被害者が自分の家にあげているくらいの間柄だ。殺害現場が玄関などではなく浴室であることを加味すれば、そう考えるのが妥当だろう。
「明日大原陽子の勤めていた会社で話を聞いてみよう」
佐藤がそう切り出し、今日は一度本庁に戻る運びとなった。ちなみに第二回捜査会議はまだ開かれていない。捜査一課総動員で聞き込みをおこなっているようだが、事件に関する重要な証言を得られていないのだろう。
* * * * * *
事件が進展を見せたのは、事件発生から三日目の昼前のことだった。夕姫たちは被害者である大原陽子の職場で、イタリアンレストランに関して同僚から話を聞いていた。
「大原さんがよく行ってたパスタ屋さんって、たぶんあそこじゃないかな」
女性の同僚の一人に思い当たる節があったようだ。
「駅に向かって大通り沿いに歩いて、途中でちょっとだけ横に入ったところのお店だと思います。確か名前は…」
その時、佐藤に電話がかかってきた。
「佐藤です。…ああ、班長…………了解しました、直行します」
事件が起きたのだろうか。察した夕姫が同僚の女性に話を促す。
「お店の名前、わかりますか?」
「はい、確かスペランツァだったと思います」
「スペランツァ…ありがとうございます」
夕姫がメモを取る。スペランツァは確かイタリア語で希望を意味する単語だ。女性にお礼を伝え、三人は会社を後にした。
「事件ですか?」
「そうだ、このまま現場に直行する。まぁ連続殺人かどうかは不明だけどな。とりあえずそのなんとかってレストランは後回しだ」
連続殺人かどうかは不明…同一犯による犯行かどうかわからないということだろうか。ただ異捜研に連絡入ったという事は、ただの殺人事件ではないのだろう。
* * * * * *
現場は今回も都内のマンションだった。すでに多くの捜査員が到着しており、マンションの外には班長である長尾のほかに水沢と大野の姿もあった。もう一通り現場を検証した後なのだろう。
「あ、佐藤さん、お疲れ様です。今回も今回とて刺激強めですよ」
水沢が言う。刺激強め…水沢と大野は今回も吐いたのだろうか。部屋の中に足を踏み入れる。
「なに、この匂い…?」
夕姫が呟く。涼は匂いを感じられないが、おそらく不快な匂いが部屋に充満しているのだろう。そして部屋の中央にはブルーシートが置かれている。あの下に遺体があるのか。佐藤がブルーシートをめくる。
「これは…火傷…?」
ブルーシートの下には全裸の女性の遺体が横たわっていた。体中の皮膚が赤くただれている。夕姫が言うように、確かに火傷の跡のように見えるが…。
「死因は絞殺。殺害された後に熱湯にぶち込まれてる」
聞いたことがある声がした。捜査一課の五十嵐が立っていた。
「熱湯?殺害された後に?」
「そうだ、まったく意味がわからんねぇ。殺害現場は台所、それから風呂場に遺体を運び熱湯へ、そんで最後は部屋の中央だ」
「浴室から部屋の中央へ…大原陽子の事件と似ていますが、同一犯ですか?」
「それはまだなんとも。予断を許さないってやつだ」
佐藤の質問に五十嵐が答える。そしてそこにまた別の声がした。
「いーやこれは同一犯による連続殺人だ」
山井だった。文乃も一緒だ。また臨場に来ているところを見ると、意外と働くのか。
「どういう意味だ?」
「遅かったな、佐藤要警部補。ほれ、見てみろ」
山井がキッチンに視線を送る。そこには例の粉チーズの容器が並んでいた。