1―2 亡国のナイト
少女は荷物をまとめて、たき火を消しながら、照れくさそうに言いました。
「じつは今、家出をしているところなんです。もう戻らなくちゃ。ついてきてくれますか」
暗い森の中を少女と一緒に歩いて行き、寝静まった街へ向かいました。少女は鼻歌を歌い始めました。この国の古い民謡だといいます。少女はとっても歌が上手であり、歌っている間はとても気持ちよさそうでした。
街は大きく、城から離れるにつれて家は貧しくなっているようです。少女の家は城から一番遠い地区にありました。少女が家の戸を小さくノックすると、すぐに少女のお父さんが飛び出してきました。
「今まで何をしていたんだ、脱ぎなさい」
少女は玄関の前で来ていたシャツを脱ぐと、お父さんにはだかの背中を向けうずくまりました。お父さんは鞭で少女の背中を何度も打ち、鞭が空を切る音と肌を打つ音が交互に響きました。近所の人たちが家から出てきて、その様子を遠巻きに眺めています。少女の背中が腫れあがったとき、お父さんはこちらを見て、笑顔を浮かべました。
「いや、見慣れない旅人さん、あなたがこの家出娘を連れ戻してくれたのですね。この通りしっかりしつけをしましたから、どうぞ街にお触れ回りなきよう、内密に。ああ、ご近所のみなさんも、どうかこれに免じてお忘れください」
お父さんは周囲を見回して言うと、少女の背中を鞭でもう一度打ちました。
「おい、この恩人を宿屋までお連れしろ。なにかあったらタダじゃ済まさないぞ」
少女は震えながら起き上がってシャツを着ると、「こちらへ」と言って歩き始めました。少女について行くと、城に近い大きな宿屋に着きました。部屋には大きなベットがあり、暖炉やきれいな模様のじゅうたんが敷かれています。少女は部屋に入るとすぐ、ベットのすぐそばに座り込み、掛けふとんに顔を埋めて震えだしました。泣いているのです。
「お願いです、本を読んでくれませんか」
少女に促され、手短に何か本がないか探します。化粧台の引き出しに、二つの本があります。宗教の本と、客が自由に書き込める日記帳です。ふしぎな事に、どちらの本を開いても書いてある内容が一緒でした。
「どちらの本でも同じですよ。あなたが本を開けば、同じ内容になるのです。さあ、聞かせて下さい」
少女は掛け布団に体を伏せたまま、顔だけをこちらに向けています。ふしぎな本に戸惑いながら、おずおずと、その文字を読みあげていきます。
『母は、自分が何か悪さをするとすぐに頬を叩き、明かりを消した和室へ閉じ込めた。リビングからは見たかったクイズ番組のにぎやかな声が聞こえる。泣き止まないでいると、母が飛んできてまた頬を叩いた。ごめんなさいが言えるまで何度も繰り返されるのだけれど、なぜだかすぐに謝る事が出来なかった。やがて父と母が喧嘩をし始め、上の兄弟たちもリビングから立ち去って行く。もうクイズ番組の声は聞こえなかった』
読んでいて、気がめいる内容でした。でも、少女はこちらを眺めつつ、淡く微笑んでいます。懐かしそうな、憐れむような、ふしぎな笑い方です。ほどなく、少女は眠りにつきました。お父さんから受けた鞭打ちの悲しみが和らいだかのような、穏やかな顔でした。
本をそれ以上読む気にはなれませんでした。おそらく、この世界とは別の出来事なのでしょう。あるいは、この少女こそが、この世界の住人ではないのかも。分かっているのは、少女に本を読み聞かせると、少女が安らいだようくつろぐということだけでした。