アイスミント
アイスミントは、ドキドキと動揺するのを悟られまいとした。
人化した龍に、ときめいてしまったのが自分で信じられない。
しかも、それにハヴィが気づいたらしい。目敏すぎる。止めて、茶化して来ないで。
赤い龍神が眠っているという伝説の洞窟を、今度はその龍を連れて地上に戻る。
そもそも、こんな風に簡単に味方になってくれるなんて驚きだった。
***
龍の話が出たのは、2週間前の事だ。
学者出身の魔獣使いのハヴィが、地図を見ながらこう言った。
「このあたり、赤龍伝説の洞窟があるんだよ。無理かなぁ。龍はさすがに無理でも、周辺に良い魔物がいたら仲間にできると強いんだけど」
野営で、ハヴィの結界の中で晩御飯の硬いハムを食いちぎりながら、今後の方針を相談する。
「ユナが抜けて3人でやってきたけど、そろそろ真面目に増員を考えた方が良いな」
と簡易スープを飲みながら頷くのはレンだ。
「ユナかぁ・・・」
抜けてしまった女弓士を思い出してアイスミントがしょんぼりするのを、ハヴィが冷静に指摘した。
「ユナが抜けたのはどっちにとっても正解だけどね。明らかに戦力不足だしいない方が良い。食費だけ無駄になる」
「冷たい・・・」
と呟くが、アイスミントにも分かっている。
ユナは気立ての良いお姉さんだった。アイスミントを心配してついて来てくれたのだが、戦力としてあっという間についていけなくなった。『ちょっと運動好きなお姉さん』レベルだったから、本気の野営や沼地行進などが彼女の負担になったし、メンバーにとっても彼女の存在が荷物になっていた。だから3か月前、泣く泣く別れたのだ。
女性メンバーが抜けたのは、アイスミントにとってかなり辛かった。彼女は精神的な頼りだったのに。
とはいえ、勇者として魔王討伐を命じられている身としては、そんな甘い事で泣きごとを言っている場合ではないのも事実だ。
実際、強い人間というのはなかなかいない。いたとしても、それまでの人間関係とはさよならして、魔王討伐のメンバーになってくれるなんてほとんどない。
レンは国からの支援メンバーだ。今も変わらずついてきてくれるし、実力もある。
ハヴィは知識を求めて立ち寄った国の研究棟で、実力を試そうかな、とか言ってついてきてくれた人だ。
他にもメンバーは9人ほどいたが、ユナよりも先に負傷と実力不足でどんどんリタイアしていった。泣きたい。
ハヴィの回復魔法をもってしても、恐怖心や、実力不足を痛感した際に出されてしまった『使命と命との天秤の結果』は覆せなかった。
「場所も場所だし、ハヴィに使役魔獣を増やしてもらうのが一番良いね」
アイスミントの言葉に、レンとハヴィは頷く。
こうして赤い龍神の眠ると言われる洞窟に行くことが決まった。
ただし、ハヴィは決まった途端、喜びをかみしめたようで浮かれだした。
「聞いて聞いて。この赤い龍の伝説は、随分古い書物に残っているんだ。昔の書物と言うのはその昔、邪悪龍に焼き払われて消失してしまったけれど、だからこそ残存する古書というものは非常に価値があって・・・」
いけないスイッチを押してしまったようだ。
その晩、浮かれたハヴィの喜々とした説明は終わらず、一つのテントで就寝するアイスミントもレンも全く眠れなかった。
そんな状態で魔物と遭遇しては命取りになるから、仕方なくそのままハヴィの熱が収まり、自分たちも安眠がとれるまでその野営地から動けなかったほどである。
***
レンは幼い頃にきかされて赤龍伝説を知っていたそうだ。
古い昔、古い王国で、戦いが起った。
戦いのために、王国は一人のまだ若い巫女を、赤い龍の眠る洞窟へと送った。
巫女は見事に赤龍を連れて地上に戻った。
赤龍は巫女の言葉をよく聞き、その力を王国のために振るった。
けれど巫女は戦いの中で命を落とす。
赤龍は嘆き悲しみ王国を去る。巫女がいてこそ、赤龍は力を与えてくれていたのだ。
ただし、その国は戦争には勝ったという。龍の力が突出していたためだ。
皆は龍と巫女を称えて祭ったという。
その、龍と巫女が出会ったという伝説がある洞窟が、そこにある。
赤龍がまた同じ場所で眠っている、なんて伝説もあるらしい。
***
洞窟は、魔物の住処となっていた。
吸血コウモリから始まり、腐りかけた色々とか、うねっている色々とか、ゴロゴロ落ちてくる色々とか、まぁいつもの1割増しで大変だった。
とはいえ、何かあればハヴィの結界で休息をとりながら進むことができるし、アイスミントも、なぜか自分を選んでしまった『戦乙女の剣』でこれまでに鍛えてきた剣技で敵を安定して屠っていく。レンも魔法をからめた威力有る剣技を放てるから、大量の敵が出てきても落ち着いて対応できていた。
道中、ハヴィは珍しいとか気に入ったとかの理由で何個体かを支配下に置いて、手ごまを増やした。
もっと大変な思いをするかと思ったら、予想を飛び越える苦労はする事も無く、アイスミントたちは大きな空間に至った。
もわっと熱気が立ち込めている。熱い場所だった。
ハヴィが珍しく酷く緊張して、
「いる」
と乾いた声で一声告げた。
「いるって、赤龍様か!?」
小さな声ながら、レンも驚いて確認する。
「待って、確認させる」
ハヴィが偵察にコウモリを放つ。パサパサ、という羽音がして、
「間違いない。赤い龍が、眠っている」
とハヴィの声が興奮で震えていた。
「どうしたらいい」
アイスミントはハヴィに尋ねた。まさか本当にいるとは思わなかったので、いた場合の行動をきちんと決めていなかった。
三人で目くばせする。どうしたら良いかを皆考えている。
「ねぇ」
切り出したのはアイスミントだ。
「昨日、教えてくれた伝説だと、巫女の女の子についてきてくれたんでしょう」
「そうだね。ついでに男嫌いっていう言い伝えも書いてあった気がする」
とハヴィ。
「じゃあ決まりね。私が行ってくる」
「分かった。でも無理するな」
とレンが頷く。
「僕たちは、対応できるギリギリの距離で、離れたところで息を殺して待ってる」
とハヴィ。
「分かった」
アイスミントは頷いて、勇気をもって一人で歩んだ。
緊張する。ドキドキと高鳴る。落ち着いて。
辿り着いて見上げたのは、赤くゴツゴツした肌を持つ、大きな龍の鼻だった。
人間など、自分どころか十数人を一度にペロリと食べてしまいそうな大きさだ。
だけど、危害を加えられそうな気がしなかった。
自分を受け入れてくれそうに思う。どうしてだろう。
妙な安心感に戸惑う。
龍だから、妙な精神的作用を持っているのだろうか。安心させておいてパクリと一飲み、とか。
とにかく、話をするために起きてもらおう。
アイスミントは、赤龍の肌に触れてから、手に持っていた『戦乙女の剣』を構えた。
きっと、これぐらいしないと気づかないと思えたからだ。
とはいえ、本気で怒らせない程度に注意しないと。
「やぁやぁ!」
声をかけながら、アイスミントは剣先で、龍の鼻先をつつく。
***
赤龍は酷く穏やかな性格だった。
レンやハヴィの話では、酷く気性が荒く、巫女にしか従わなかったと言っていたのに。
やはり女には甘いのかな、などと思う。
ただし、会話の中で、自分と誰かを重ね合わせているかのような言葉が出てくるのがアイスミントには不思議だった。
ひょっとして、巫女さんと自分を重ねているのだろうか。違うんだけどな。
「時にアイスミントよ。この良識ある人間の、どちらがお前の想い人なのか聞いて良いだろうか」
「えっ!」
「え」
「ぶ」
突然の言葉にアイスミントは面食らった。
一体この龍は何を言い出すのか。レンも面食らっているようだが、ハヴィなどは面白そうに笑みを抑えようとしている。
なのに赤龍グランドルはじっとアイスミントを見つめてくる。
神様みたいな存在らしいから、女の子の恋の応援もするんだろうか。そうかもしれない。
だから女好きとか言われているとか。
そしてハヴィとグランドルが妙に楽しそうに言葉を交わすのを見て、複雑な気分になった。
さすがハヴィは魔獣使いだから、龍ともすぐ仲良くなれるのだろうけれど・・・。
自分が変な嫉妬を持っているのに気付く。変だ。
そりゃ、一番初めに、声をかけたのは自分だけど・・・変な優越感を持つつもりは無かったし、そんな性格は嫌いなのに。
「アイスミント。私はお前の助けになろう。何でも良い、言うのだぞ」
龍の言葉に調子が狂う。
そして妙にドキドキした。焦る。
なんだっていうんだ、落ち着け自分!
***
赤い龍が、人間の姿になったのを、アイスミントは見惚れてしまった。
美しい。
赤い龍だったのに、真っ白い顔で真っ白い長い髪で、真っ白い服を着ていた。
言葉が出ない。
神様のようなものだと言われているのも納得できる。
なのに、龍のグランドルは自分の姿を酷く恥じている様子だった。
昔何かあったのかな、なんて思う。
「えっ、待って、大丈夫よ、すごく、あの、驚いただけ。格好良くてむしろ人気者になるわ、大丈夫!」
急いで告げた。
なんだろう。酷くドキドキする。
一目惚れしたかもしれない、とアイスミントは思った。
「アイスミント、きみの理想、グランドルだろ」
ハヴィの指摘に慌てる。
でもそうだ。旅の間、それぞれの理想の恋人について話す事もあった。
アイスミントの理想は、頼りがいがあって、安心できて、強くて、でも顔立ちは男っぽいというより中性的で。なにより自分を大事にしてくれて。親に似ているっていうわけじゃなくて、でも親みたいな安心感さえあるような。
まだ8人はいた当時のメンバーは、「希望が多すぎな上に抽象的すぎる!」と盛大に笑っていたが。
まずいまずい、駄目だ自分、落ち着け。
とアイスミントは思った。
相手は龍、人じゃなくて、龍だから。キレイすぎるからって動揺し過ぎだ。
幸い、心の動揺が事故につながることなく、アイスミントたちは洞窟を順調に戻って地上についた。