58 炎と風
穏やかな馬車の中、私とクリスチーナさんが思い思いの図柄を選んで針を持ち、黒布に刺繍をすすめている。私はラルフに最初にあげたのと同じ、スミレをモチーフにした風車の文様。これから向かうリントヴルムでは魔素の収束が始まっているとはいえいつまた危険な放出になるか分からない。ラルフたち魔法使いたちに少しでも辛い状況にならないように……そんな願いを込めて。一方クリスチーナさんは、いつも商品を収めるために訪れる村の人々に、希望を失って欲しくないという願いを込めて、星を象った図案を選んでいる。直線が多い図柄だから、一人で刺すのに丁度よさそうだった。
ラルフはというと、ただ目を伏せて脚を組み座席に収まっているけれど、寝ているわけではなさそう。
そんな私たちの後ろでは、相変わらずシュウさんが休むことなく手を動かして絵を描いていた。彼の脇には、ヤタが座っている。よっぽど絵が気に入ったのか、金色の目でじっと眺め続けている。彼の描く黒は、懐かしい気持ちになるのかもしれない。
「……ねえリズ、ここの始末はどうするのが良かったかしら」
ちょうど私が一枚目の風車柄を刺し終えた頃、クリスチーナさんが糸替えで躓いたみたい。私は自分の針を置き、彼女の手元を覗き込む。
「ああ、ここはですね、一度糸を反対側に……」
言いかけたところで、舌打ちが聞こえた。
それに反応して視線を向けると、目の前に座っていたラルフが顔を上げている。
どうしたのだろうか、彼はじっと真剣な眼差しで窓の外へ視線を向けている? そして同時に、目の前に黒い羽が広がった。
「……ヤタ?」
後ろからヤタが飛んできて、私の視界を塞ぐようにして両翼を広げていた。
「リズ、絶対に外に出るなよ」
驚いている私にラルフが言った。
どういうこと? そう聞き返すよりも早く、ラルフは馬車の扉を開けたのか、びゅうと風切り音が馬車の中に満ちた。
吹き付ける強い風に、目の前のヤタの羽が揺れる。その隙間から、ラルフが外へ飛び出していくのが見えた。
「ラルフ!」
伸ばした手を、後ろから掴まれた。
「駄目よ、リズ」
「でもクリスチーナさん」
振り返ると、クリスチーナさんが小さく首を横に振る。
「あなたに危険が及ぶと、ラルフェルト様が力を発揮できないわ」
「力をって……」
私は遮っていたヤタを抱きしめながら引き寄せて、窓へと目を移す。小さな窓から見えるのは、相変わらず山を覆う緑とその隙間から見える湿った灰色の空。アラッカを出た時には青かったはずが、今にも滴を落としてきそうなものに変わっている。
何があってラルフが外に出たのかくらい、もう私にだって予測がつく。
けれども炎を操るラルフにとって、あの空の状況は不利なのではないか。それに周囲を護衛している魔法騎士がいるとはいえ、自分たちを護りながらどうやって……そんな心配がすぐに湧き上がってくる。
それはクリスチーナさんもまた同じようで……。
「最悪っ、ですわね……馬車も停まったようですし」
やっぱり、追っ手……なのだろうか。
次の瞬間、馬車の座席に座っていながら異様な感覚に、身を固くした。
浮遊感だ。
「きゃっ」
次はズシンと音をたてて、馬車ごと落ちた。
私はいてもたってもいられず、窓へ身を寄せて外を覗く。そして目に入った景色に、私は息を呑む。
馬車を中心に、竜巻が起きたかのように風が渦巻いていた。風は砂埃や枯れ葉などを巻き込んで灰色に濁り、外の視界を遮る壁となっている。
その壁の前に立つのは……レオナルさん?
馬車の前にラルフが立ち、何か叫んでいるように見えた。
『リズ、迎えにきたよ。ちょっとこっちの番犬をどけてくれないかな』
馬車の中に声が響いた。
「……レオナル、さん?」
私とクリスチーナさんは驚きながら周囲を見回す。けれども声の主は確かに、馬車の外に立っている。
「風使いの念話か、ここまで使いこなせる者がいるとは思わなかったな」
シュウさんが私たちの元にやってきて言う。
「念話……」
そういえば、諜報活動や連絡手段にレオナルさんの能力は便利なのだと、ラルフに教わったことがあった。
ならば……。
「レオナルさん、リズです」
話しかける私に、クリスチーナさんがギョッとした顔をしてから、止めるように手を引かれた。
『やあ、リズ。きみには悪いけど、僕たちと一緒にリントヴルムに来てもらいたいんだよね、このままだとラルフとやり合わないといけなくなる……おい、危ないだろう』
窓の外では、ラルフが容赦なくレオナルさんに火の玉を降らせていた。でもそれはひとつもレオナルさんの元に届くことなく、ふいに消されていく。
ラルフの表情はこちらから見えないけれど、彼の怒りが分かる。足元から黄金の炎が立ち上がり、彼のハニーブロンドが煽られて揺れているから。
『リズ、きみも聞かされているだろうけれど、ラルフェルトでは僕には勝てない』
「ラルフェルト様を人質のように言わないで! それに彼をみくびらないでいただけますか、レオナル様!」
横から口を挟むのは、キッと目を吊り上げたクリスチーナさん。私を支えるように掴んだ手は、僅かに震えていた。それが怒りからなのか、それともこの状況に対する恐れからなのか……いえ、たぶん違う。寄せられた眉尻は、下がっていて『悲しい』と言わんばかり。
私もまた悲しくなって、問わずにはおれなかった。
「どうして……どうしてレオナルさんはそこに居るんですか?」
ラルフとともに、ずっと町の人たちを護ってきた人だと思っていたのに。クヌートさんと対峙した時のことも、誤解だったと告げてくれるんじゃないかって思っていたのに。
ラルフが、あの彼が、一番信頼していた人なのに。
『僕のことなんか気にしている場合じゃないだろう、リズ? きみがリントヴルム……しいては世界の命運を握っているのだから』
「私一人じゃないわ、魔法紡ぎは誰もがもつ力じゃないけれど、私以外にだってたくさんいるもの。それに紡ぐ糸を撚るコンファーロ商会だって……」
『だがリントヴルムの主が求めるのも、君だ』
前世と魂の記憶は、彼らに知られてはいけない。けれども私の口にしたことだって、間違いじゃない。皆が力を合わせてくれるから、私はここに居られる。
そして何より、と窓の外で実際にレオナルさんの動きを阻止してくれているラルフ、それから風の壁を崩して応援に駆けつけてくれた魔法騎士たちを見る。
「ラルフが居てくれるから、私は存在する意味があるの。私が必要なら、彼を傷つけないで」
『……ラルフェルトを護りたい?』
「当たり前よ! 私の魔法紡ぎは彼を護りたいという思いから始まったんですもの」
『そうだったね、ならちゃんと護らないと。レギオンは、きみだけじゃなくてラルフェルトも利用するつもりだから』
「……え?」
私が言葉を失っていると、隣からクリスチーナさんが叫ぶ。
「あなたたちの目的は何なのですか?! リントヴルムの主に触れて魔素を溢れさせたら、民を混乱させるだけですわ。まさかそれに乗じて国でも乗っ取りでもするつもりですの?」
『まさか、そんな面倒なこと……もしかして村の状況を知らされてないのかな?』
「村が、どうかしたんですかレオナルさん?」
私がすぐさま聞き返すのだけれど、返事が返ってこない。
慌てて窓の外に意識を向けると、ラルフたちに追い詰められているレオナルさんの姿があった。魔法だけでは風使いには全て防がれてしまうのだろう、ラルフが長い槍のような武器を手にして、物理攻撃で攻め立てている。
ラルフが持つ槍の先端が、マグマのような赤く強い光を帯びていた。もしかして炎ではすぐに消されてしまうから、灼熱のように熱せられているのだろうか。あれは当たれば確実にダメージを与えるのではないだろうか……。
『どうやら無駄話はしている暇はなくなったようだ。残念だけど続きは次の機会にしようかリズ』
「まって、村のことを教えて!」
『それはラルフェルトが知っているよ』
馬車の中に響いていた声は、それを最後に途切れてしまう。
ラルフは軽やかに風を操りながら逃げるレオナルさんを追い詰めていく。普段、魔法以外はあまり見たことがないラルフの身のこなしに、目を奪われる。
弧を描くように赤い光りが舞い、周囲に飛ぶ木の葉を焦がして白い煙を巻き込みながら、ついに壁を作る風の嵐を切り裂いていた。風を斬ったその摩擦からか、まるで雷のような稲妻と轟音が当たりに響く。
しかしその最中、レオナルさんは高く跳躍して新たに作った小さな竜巻の中に身を投じてしまう。その竜巻が空に昇っていくと周囲を覆っていた嵐の壁が跡形もなく消えて、空からは巻き上げられていた小石や木くずが、パラパラと馬車の屋根や街道に降ってきた。
「逃げたようですわね」
クリスチーナさんのホッと息をつくような言葉に、無意識に入っていた力が全身から抜けていく。
「大丈夫、リズ?」
「あ、はい……」
大丈夫と言いたいけれど、身体の芯がカクカクと震えて止まらない。
魔法が使えない田舎で育った私にとって、魔法騎士たちの使う魔法は刺激が強い。それが対人との戦闘となると、こんなに恐ろしいものだと思わなかった。しかもラルフとレオナルさん……。
ため息をついていると、抱きしめていたヤタが私を見上げて心配そうにしている。
「大丈夫、ヤタもありがとう。すぐに側に来てくれて……クリスチーナさんとシュウさんも大丈夫ですか、怪我は?」
二人とも大丈夫だと告げて安心させてくれた。
馬車が持ち上げられたときに落ちた針を拾い、針山に戻しているところで、馬車の扉が開いた。
「無事か?」
ハニーブロンドに煤をつけたまま厳しい表情をしたラルフが、私たちを見てホッとしたような顔に変わる。
そんなラルフを見て、改めて彼が無事でよかったと安心し、鼻の奥がつんとする。護ってもらっている私が心配させてしまっては駄目だと、泣かないよう堪える。
「周囲の安全を確認し次第、すぐに出発する。もう少し我慢していてくれリズ」
「うん……大丈夫だよ。ラルフこそ気をつけてね」
そう答えると、ラルフは再び扉を閉めて外の様子を確認しに行く。
ヤタの緊張もすっかり解けて、背もたれの枠に留まって羽つくろいをしている。シュウさんは散らばった鉛筆を拾いに行き、クリスチーナさんは荷物が崩れていないかチェックに行った。
私は、膝に置いたままだった風車のヴィオラの刺繍を手にして、螺旋を描く糸の並びを指で撫でる。
──レギオンは、きみだけじゃなくてラルフェルトも利用するつもりだから。
私の中で芯が凍るような言葉だった。
村のことも気になるけれど、私にとって今では何よりも大切な存在。ラルフが私を見つけてくれなかったら、今でもふわふわとしたまま前世とリーゼロッテがひとつにならずに過ごしていたかもしれない。
ラルフが居るから、私は私でいられるのに。
どうしたら、ラルフを護れるのだろう……途方に暮れながら風車の刺繍を握りしめることしかできなかった。




