55 二人の能力
王都グラナートの一角で突如たちあがった青い炎は、三日三晩にわたって家屋と人を燃やし尽くして鎮火したという。
魔法による炎は、その魔法を発動した者の意思または魔力が尽きるまで、止める術はない。騎士団は炎に巻き込まれた市民を救助しながら、炎が広がらないよう結界を張り続けることしかできなかった。犠牲者は十数名、負傷者は膨大だったという。
鎮火後に発火元にいたのが、ディート団長の相棒として市民にも知られていたアバタールだった。
人々の糾弾もあり、すぐさまディート団長とアバタールは拘束されることとなったという。
「ディートは悪くない……あの事件の責任は、すべて俺にあるんだ」
吐き出すようにそう言ったシュウさんは、苦悩の表情を浮かべていた。
どうしてアバタールの暴走に、シュウさんが関係するのだろう?
その疑問に答えるには、彼が魔道具店を営む理由を話さなければならないと言われた。
シュウさんが魔道具屋を始めるきっかけとなったのは、暴走事件。彼が持つ特殊な能力を活かすのにそれが最も良いという判断だったという。
そもそも彼が何故、元の世界で視力を失うことになったのか。それとも繋がっているようだった。
魔眼の開眼。
魔素を見分ける能力が何かのきっかけで発現し、それを制御できずに暴走していたというのが理由なのだそう。魔素を見分けるというのは、つまりクリスチーナさんとも共通している。彼女が光って見えるのに比べると、もっと直接的、物質的に捉えていた。本来の視界を阻害するほどに。
「魔素は存在しているけれど、形を持つものではないわ。霧も濃ければ視界を遮るけれど、そういう意味かしら?」
魔素を見分けることに長けたクリスチーナさんらしい、鋭い指摘だった。
「いや……言葉通り、物体として見ることができて、更に言うと、触れることが出来る」
「触れる、ですって?」
クリスチーナさんが驚愕する意味が分かっていないのは私だけだったようで、ラルフもまた信じられないものを見るかのような目で、シュウさんを見ていた。
「俺が魔道具屋になったのは、魔素を移動させることができたからだ。それだけではない……まるで絵の具を調合するかのように、特性の違う魔素を混ぜて特性を強めたり、薄めることが可能だ」
「待て……混ぜるだと?」
ラルフの表情がひときわ険しくなった。そして理解していない私に、説明をしてくれる。
「魔素は本来、その色が示すように様々な属性を帯びている。自然界の中では漫然と混在しているが、目に見にくいだけで決して混ざり合ってはいない。魔素はそもそも最初から特性が固定されているというのが、現在の研究で得た基本的定義だ。それを魔法使いが体内で撚り分けて魔力にすることで、一定の効果を持つ魔法へと変換できる。俺が炎の魔法を使う時には、体内に取り込んだあらゆる魔素のうち、使っているのは火の特性をもった魔素のみ。その他の水や風など他の性質を持った魔素は身体に滞留させることができず、輩出されてしまう」
「……ええと、つまり」
どういうことだろうかと頭を悩ませていると。
「魔素がもつ属性への干渉ができるなんて、これまで聞いたことがないし、ありえないのが常識よ。本当にそんなことが可能なの?」
クリスチーナさんがシュウさんを問い詰めるかのように聞いていた。それを受けて、シュウさんは難しい顔をしながら、首を縦に振った。
「本来ならば、理論的には不可能だと言われた。だが俺には出来る。それだけでなく、俺は全ての属性を混ぜて一色に染めることができる。それが道具屋『メナス』を営むことになった理由でもある」
「混ぜる……そういうことか」
ラルフが納得したような言葉を発する。その意味がさっぱり掴めないのは私だけのようで……。
「リズ、いま私たちが乗っているこの馬車、どう感じていて?」
クリスチーナさんにそう言われて、ふと座席や内装をぐるりと見回す。
「そうじゃなくて、乗り心地のことですわ」
「……ああ!」
夜も明けない時間に出発した、いわゆる人目を憚る逃避行。それどころではなかったものの、驚くほど揺れが少なくて乗り心地は抜群の馬車だった。さすが王国一の規模を誇るコンファーロ商会だと感心はしていた。けれどもそれと、シュウさんは関わりがあったの?
「長距離の特別馬車には『メナス』製の魔道具を装備してありますのよ、石畳や整備しきれていない道路の振動を、魔法で自動感知して反発させて、振動を感じさせないそうですわ……そうでしたわね?」
「ええ、その通り。その魔法を作動させる魔力供給の素である魔石を、俺が作っている。いわば『電池』のようなものだと言えば分かるだろうか?」
私はようやく理解して頷く。
「しかも『メナス』の魔道具は、汎用性でその希少性を高めているわ。例えばこの馬車に使っている魔石も、簡単に違う作用のある道具へと入れ替えられるの。中の魔石を取り出して入れ替えるだけで水を出したり、火を熾したりね。様々な魔力に還元できるその仕組みは、誰も知らない」
クリスチーナさんの説明で、より『電池』的な役割を果たしていることが理解できた。しかし水と火では、全く違う属性だ。様々な属性の魔素をどうやって、使い分けているのだろうか。
そんな疑問を抱いていると、シュウさんはポケットから何かを取り出して、掌に載せて私に見せてくれた。それは綺麗な細工のガラス箱に収められた、小さな黒い玉のようなものだった。
「目的に合わせて、複数の属性をもつ魔素を凝縮して魔石に変える。それを魔道具に組み込んで、汎用的用途をもつ道具として売っている。だが全ての属性の魔素を集めて凝縮すると、このように黒になる」
──黒。
私はヤタを振り仰ぐ。
彼の色は、繋がっているリントヴルムの主と同じなのだ。魔法属性に黒という色は存在しない、だからこそ純粋な黒はこの世界で見ることは少ない。布を染める染料も稀少なのはそのせいだと聞いている。
けれども問題は、もっと深いところにあった。
「この力……魔素を濃縮し統合してしまう力を軽く見ていた俺は、ディートの相棒であるアバタール……レンゲに渡してしまった。当時、グラナートの城壁外で微細なアバタールの大量発生事案が相次ぎ、その調査と討伐に騎士団は出向いていた。もちろん、ディートの補助をしていたレンゲもまた、激務に就いていて……魔力を酷使していた彼に役立ててもらえると考えたんだ。だがそれが浅はかだった」
魔素そのものでできているアバタールにとって、過剰な魔素の吸収は形状のバランスを崩す危険な行為だということは、当時はまだ誰も知らなかったのだという。
リントヴルムの主が世界の魔素を吸収し、その身に蓄えている間は魔素過多のような心配をする必要がなかったのだと彼は続けた。むしろ魔素を蓄えられず、魔法使いたちは最大限の能力を引き出すことが難しいほど。だからこそ、魔素の塊でもあるアバタールは魔法使いにとって良き相棒であり、助け手としてその地位が保証されていた。
魔力酔いを起こすような子供も稀で、大抵の子供は成長とともに不具合を克服できていたのだと聞き、かつての幼いラルフの苦しみを思い出す。
「……それで、魔石を使ったことによって暴走を? その責任を、なぜディートさんが?」
牢獄で亡くなったって、ラルフが言っていた。
「まだ当時は、魔素の増大とアバタールの暴走との因果関係が解明されていなかった。俺を含む、イリーナなど強力な魔法使いの素養をもった子供たちが大勢、魔力酔いに悩まされるようになり、そこでようやく仮説が立てられたくらいだ」
「だから……イリーナさんのお母さんのエリザベートさんは、ラルフに協力を願って研究を?」
ラルフは頷く。
我が子の苦しみを救おうと、必死だったろう。ラルフのお祖父さまが、わらにも縋るように彼をリントヴルムに連れてきたように……。
そしてシュウさんは更に驚くべきことを口にした。
「ディートが獄中で亡くなったと知ったのは、レギオンが亡骸となったレンゲを連れて俺の元に来た時だった」
え?
「そのアバタールの亡骸は行方不明だと聞いている」
ラルフの口調が厳しいものへ変わった。この部分については、秘匿されていたということだろう。
「ああ、そうだろうな……レンゲはここに居る」
シュウさんは掌の上にある黒い魔石を捧げ、顔を歪めた。
「崩れて魔素へと還っていくレンゲを、俺は拾い集めた……だからこれがレンゲだったものだ」
黒く鈍く光る魔石を見つめるシュウさんの目から、一筋の滴が落ちた。
「俺の力を魔道具として人々の役に立てろと言ってくれたのはディートで、その道筋を示してくれたのはレギオンだった。魔法使いだけがその恩恵に与るのではなく、広く人々のために魔法は広められるべきだと……だからレンゲの暴走の原因が俺のせいだと分かった後も、レギオンは俺にディートの理想を追い求めろと言った。それ以来、それが償いになると信じて魔道具を造り続けてきた」
償い……。
シュウさんが背負った哀しみと贖罪の気持ちは、計り知れない。けれども、シュウさんだって望んで迎えた結果ではないはずなのに……どうして。
そもそもシュウさんがどうしてリントヴルムの主の元から、遠くに飛ばされてしまったのだろう。リントヴルム村に拾われていたのなら、もっと違う生活が送れたのではないだろうか。
そんな風に思っていると、ヤタが私を覗き込む。
『主さまと同じ力を持つから、反発してしまった。望んでいたのは正反対のリズの力だからな』
同じ力、そして反発と続くと、磁石のような作用を思い浮かべる。
そして私の力と言われても、何もない。しいて言えば、魔法紡ぎの……。
「あ……」
はっとしてラルフの方を向くと、彼も何かに気づいたかのように私を見る。
集めて混ぜるシュウさんの力は、混沌として荒れ狂う魔素を集めて魔力に紡ぐのとは真逆なのではないだろうか。
だがその時、御者台の方から小窓をノックされ、最初の目的地が近いことを告げられる。
「アラッカの町に着いたら、お祖父さまが待っているはず。各地の状況を教えてくださるわ、きっと」
すっかり明るくなった馬車の外。
頷くラルフの白い顔色を見て、少しは休憩を取ってもらえたらと思いながら私は頷く。
リントヴルムまではまだ嫌と言うほど時間がある。これからのことも、過去のことも、一から考えていくのはまだ遅くない。
ただ、追っ手が来なければの話なのだけれども。
いつもだったらラルフの隣にいたはずの人の面影がよぎり、私は誰にも気づかれないよう小さくため息をつくのだった。




