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リントヴルムの魔法紡ぎ  作者: 小津 カヲル
二章 魔法使いの意地

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12 リーゼロッテ 2

 思い出の欠片を拾うようにして、私の意識はリントヴルム村に降りたっていた。

 そこにいるのは、小さなリズ。

 父さんから紹介された儚げな少年を目の前にして、こぼれんばかりに大きく目を見開き輝かせていたことだろう。だって彼は白い陶器のような肌で、薄い茶色の髪をして、何よりその繊細に整った目鼻立ちはまるで人形のよう。

 目の前の少年は、声変わり前の高い声でリズを驚かせた。


「はじめまして、可愛いリーゼロッテ。リズって呼んでもいいかな? 僕はラルフ、しばらく一緒に遊んでくれる?」

「……しゃべった……本当に人間なのね?」

「こ、こらリズ!」


 とんでもなく失礼なことを口走り、父さんに叱られたこのとき、私は六歳になったばかりだった。ラルフは私より三歳年上だったけれど、華奢なこともあり、そう体格差は感じていなかったと思う。

 私たちは打ち解けるのに、さほど時間はかからなかった。

 町中の道路には石が敷き詰められ、煉瓦の建物が建ち並ぶ大きな都に住んでいたラルフにとって、生い茂る木々や花が敷き詰められたような草原は、元気を与えてくれるに違いない。私はそう信じ、いきなりラルフを外に連れ出した。

 彼も嫌がるそぶりも見せなかったし、翌日には顔色が良くなったのだから、私のおかげに違いないと小さな胸を張った。


「危ないよ、リズ」

「大丈夫、ラルフもおいでよ!」


 村の外れに住む私の家。庭先から広がる薬草畑をこえると、すぐに山の入り口に差しかかる。そこからしばらく登れば、少し開けたところに小さな池があった。様々な魚も泳いでいて、私の大切な遊び場所だ。池を乗り越えるように伸びた枝に座ってみせて、ラルフを手招きした。

 ラルフはいったん躊躇していたが、そろりと枝に足をかけてなんとか隣に収まった。

 二人分の重さを受けてしなる枝に、ラルフが一瞬だけどびくりと体を震わせた。


「大丈夫よ、落ちてもここは浅いって聞いたよ。リズの腰までしかないと思う」

「そうなんだ……あ、見て魚がいる」

「あれは池の主のハーディよ。滅多に顔を出さないの、きっとラルフを歓迎してくれているのね」

「本当? 嬉しいな」


 返事をするかのように尾が踊ると、ぱしゃんと音をたてて水が跳ねた。ラルフが食い入るように覗きこむ池の中では、悠々と泳ぐ大なまずの黒い影が通りすぎていく。

 実は父さんから池に入ってはいけないよと言われていたけれど、何を見ても初めてなラルフの反応に、気が大きくなっていたのだと思う。このときの私は、父からの言いつけをすっかり忘れていたのだ。

 枝を降りて草むらで花を集めていたときに、それは起こった。


「このお花はね、小さくてでも素敵な色でしょう。糸を染めることもできるのよ、母さんがこのまえやっていたわ」

「スミレだね」


 私は花を摘んでちいさな花輪を作った。紫と黄色は高貴な色なのよと母さんに教わったのを思い出したから、まるで王子さまのようなラルフに飾ってあげたくて夢中になっていた。ひとしきり摘んでしまってから、どうやら輪を作るには足りないのに気づいた。最初に考えて作らなくちゃだめよ、っていつも母さんに言われていたのに。

 きょろきょろと花を探していると、ラルフの姿を見失った。

 どうしたのだろうと思って振り返ったら、池の上の枝に、ラルフが足をかけて反対の岸に咲くスミレに手を伸ばしていた。


「ラルフ?」

「ちょっと待っていて、もう少しで手が届くから」

「危ないよ、水に入ったらダメって父さん言っていたわ」

「どうして? 池は浅いんだろう? それに花輪を完成させてリズに被ってほしいんだ。きっと似合うよ」


 違う、私じゃなくてラルフの王冠にしたかったの。

 あっ、と思った瞬間だった。

 しなっていた枝から乾いた音がすると、ラルフの重みで裂けていく。そのまま枝はラルフを道連れに、池の水の中へとザブンと落ちていったのだ。

 

「わ、わあっ」

「ラルフ!」


 私は慌てて駆け寄った。普段は波ひとつ立ったことのない池が、暴れるラルフの動きに連動して、大きく脈打っている。

 それを見て私は動揺する。なぜなら、生き物のようにうねる水は、どう考えても浅い池以上の体積に膨れ上がって、ラルフを引きずり込むかのように飲み込もうとしているかのように見えたから。

 かろうじて出ていたラルフの手が、見る間に沈んでいく。私が泣きそうになりながら手を伸ばすと、それを阻止するように大きな手が重なった。

 見覚えのある手は、父さんのものだった。


「父さん、ラルフが!」

「おまえはここにいなさい」


 父さんがざぶざぶと音をたてて池に入っていく。浅いと信じていた池の底に沈んだラルフの元へかけより、体の大きな父さんが顔を沈ませるほどに底にむかって手を伸ばしていた。

 次の瞬間、抱えられたラルフが浮上するとともに、咳き込む声。

 苦しそうに暴れるラルフを抱えて、父さんが池から上がり、すぐに彼を草の上に横たえた。


「大丈夫か、水を飲んだのなら吐き出しなさい」


 激しく肩を揺らしながら、水を吐くラルフの顔は、昨日よりも青ざめていた。

 同じように気づいた父さんは、再びラルフを抱えて私に言う。


「まずいな、魔力酔いをおこしている。家へ戻るぞリズ」


 なかなか帰ってこないと庭を探してもいない私たちを心配し、迎えに来た父さん。もし父さんが来ていなかったらどうなっていたか。考えるだけで私は恐ろしかった。

 坂を降りる父さんを追いかけた私の頬には、どうしようもなく涙が伝った。私が花輪になんか夢中にならなかったら。いいえ、そもそも池の枝に乗ろうなんて誘わなかったら……。

 ラルフが死んだらどうしよう。怖くて、恐ろしくて、酷く震えていたのは、思い出せなくても身に染みた、前世からの記憶のせいだったのだろうか。

 父さんの薬術治療を受け、落ち着きを見せたものの、ラルフはすぐには目を覚まさなかった。

 ラルフの眠る部屋から、父さんとラルフのお爺さんが出てきたのを、私は膝を抱えたまま出迎える。


「ごめんなさい、私がラルフを誘ったの、ラルフのお爺さん、ごめんなさい」


 泣きながら謝る私の前で、彼の祖父は膝を折って私に向き合った。


「ラルフは、大丈夫。きっとまた良くなる。治ったらまた遊んでやってくれるかい?」


 また遊んでもいいの? 私がラルフを傷つけたのに?

 泣きじゃくりながら聞き返す私に、彼の祖父は微笑みながら頷き、そして私を撫でてくれた。

 そうして許された私に、父さんは改めて教えてくれた。


「リズ、このリントヴルム村は他の土地よりも大気に含む魔素が少ないから、ラルフは療養に来た。でもね、あの池は違うんだ、あそこに主がいるだろう、あれはただのナマズじゃなく、魔素が集まって生まれた、魔力をもつ生き物だ。だからもう、あの池にラルフを連れて行ってはいけないよ?」

「ハーディが……? 分かったもう行かない。でも父さん、ラルフは魔素が嫌いなの?」

「決して嫌いじゃないよ、でも体の中にたくさん貯まりすぎて苦しくなってしまうんだ。それを上手く外に逃がしてあげる必要があるんだよ」

「体から追い出すの? どうやって?」

「そうだなあ、魔力は淀んだ煙みたいなものだからね。ここで魔力の入っていない空気を取り入れて、薄まるのを待つしかないかな」

「煙……? 煙みたいのが外に出ていけばいいの?」

「そうだなあ、まだリズには難しかったかな」


 私には魔力酔いなんて無縁。だから池のことは知らされていなかった。

 だけど、知らなかったからって、ラルフを傷つけた罪は消えない。だから私は母さんに懇願したのだ。母さんの助けを借りて、ラルフに謝りたくて。

 母さんの柔らかくて温かい膝に抱きついてねだる。


「ねえ、お願いがあるの、母さん。風車を作ってほしいの、風車のレースをハンカチにして!」

「あらまあ、どうしたの急に」

「ラルフが、良くなるようにって、刺繍を作りたいの。ラルフに喜んでもらいたいの」

「……大変よ?」

「ぜったいに頑張るから」

「分かったわ、でもどうして風車なの?」

「うん、あのね、ラルフの具合が悪いのは、体の中に魔力の煙があるせいなんだって、だからラルフが苦しいの。だとしたら風車で流してあげたらいいと思う」


 どんな理屈かなんて、自分でもよく分かっていなかったと思う。ただなにかをしていなくちゃ、ラルフに申し訳なかった。心をこめたら、何でも叶うのよと母さんもよく言っていたし。

 私は絆創膏にぐるぐる巻きされた指で、細かい刺繍と格闘した。

 絶対に、良くなって。そう願いながら。

 一瞬の過ちのせいで、ラルフの苦しみは私の何倍も、何十倍もの時間、続いたのだ。これくらい我慢しなくちゃ、そう思っては涙を拭う。

 そうして父さんの薬草園の手伝いのかたわら、ラルフを見舞い、そして懸命に針を刺した。ただひたすらに、ラルフの回復を祈って。

 三日後、いくらか顔色が回復したラルフのそばで、私は最後のスミレを仕上げた、黄色の糸を切る。


「……できた」

「見せてくれる?」


 母さんと相談して、中央に四輪のスミレで輪を描いた。そこだけは母さんの手を借りることなく、最後までやりとげた。今までも手伝いで少し針を持ったことはあった。けれど、こうしてやりとげたのは初めて。

 だから細かい部分では、まったくもってみすぼらしく、恥ずかしいものだ。ラルフに渡す手が震えてしまう。

 だけどラルフはとても喜んでくれた。


「ありがとう、リズ。嬉しいよ、大事にする」


 大事に握るラルフは、それは綺麗に笑っていた。

 その言葉が嬉しくて、きっとこのときのラルフの言葉がなければ、針子を仕事にしようなどと思わなかったろう。それくらいラルフの言葉は、私にとっての宝物だった。


 それからのラルフの回復は、めざましいものだった。

 朝よりも昼、昼よりも晩といったふうに、時間を経るだけで回復していったように感じられた。

 だけど喜びもつかの間、別れはすぐにやってきてしまう。

 祖父の迎えの馬車に乗せられ、ラルフが私に大きく手を振る。私もそれに応えて、両手をこれでもかと振り回した。またきっと会える。昨日はそう言い合いながら笑顔で別れようと思ったのに、私の顔だけでなく、ラルフの綺麗な顔にも涙が溢れていた。

 たくさん話をした。いつか針子になって母さんのように、人に喜ばれる仕事をする。そのおまけで、たくさん綺麗な服を着たい。服だけならどんな人間にもなれる、お姫様にだって、魔法使いにだって。

 たくさん笑ってくれたラルフの笑顔が、私の背中を押してくれているような気がした。



「……涙?」


 広い寝室の大きなベッドの上、起き上がった自分の顔に伝う涙を袖で拭く。

 追体験のごとく、リアルな夢だった。

 たくさん、忘れていたことがあった。ラルフが池に落ちたことだって、ひどく悲しかったのに、どうしてあんなにおぼろげだったのか。今からでも小さなラルフに謝りたいくらい。

 ……いや、もうあの怖い顔をしたラルフしかいないのだけれど。

 きっと、あの記憶の中の小さなラルフが、頑張れと応援してくれているに違いない。

 私は思い出したことを書き留めようと、寝間着のままベッドから出て、ペンを走らせた。今朝みた夢が、イリーナさんへの護符のヒントになる気がしたから。

 それから今日の朝食当番、ミロスラフさんの微妙な塩加減のエッグトーストをお腹におさめて、仕事場へ急ぐ。

 作業部屋へ入ろうとしたところで、ヒルデさんに声をかけられた。


「あらどうかしたの、リズ? 目が赤いわよ」

「……あ、本当ですか?」

「あまり無理はしないようにね」

「大丈夫です、ちょっと懐かしい夢を見ちゃって……」


 ヒルデさんは私を気遣うように、優しく笑いかけてくれます。


「辛かったら我慢しないで何でも相談してね、私は従業員を家族だと思っているの。ましてやあなたは帰る故郷もないのでしょう?」

「はい、でも大丈夫です」


 そうだ、こんなに親切で居心地の良い職場にありつけたのだ、これ以上の幸せを望んだらバチが当たってしまう。


「あの、相談をさせてもらってもいいでしょうか、ヒルデさん」


 私はヒルデさんとともに作業部屋へ入り、起きがけにメモに書き留めた図を見せる。



「これを作ったときのことを思い出したんです」

「……これは?」

「ラルフに作った、最初の刺繍のデザインです。魔力酔いを治すために、余剰魔素を体の外に押し出せるようにって……イリーナさんに応用できませんか?」


 ヒルデさんやエマ、それからベリエスさんも私のメモを中心に集まってきた。


「へえ、これがラルフェルト様の大事なメダリオンの中身だったのね」

「そのようですねえ、とても面白いデザインです」


 エマとベリエスさんの反応に、私は首をかしげる。てっきり花のデザインくらい既に知られているかと考えていたから。だけどエマはそれに対してあっけらかんと笑う。


「減るから、刺繍自体は見せたくないって言っていたわ」


 どんな子供の台詞かと、開いた口が塞がらない。

 一方ヒルデさんはというと、どうやらデザインは見たことがあったようだ。けれど、それに子供の私が込めた意味までは分かっていなかったみたい。そういえば風車(かざぐるま)って、この世界ではあまり見かけないかも。

 すると、エマもそれに同意する。たくさんある護符のデザイン見本、あの分厚い本の中にも載っていないそう。


「じゃあ、こんな図柄もないですか?」


 元の世界でよく使われるパッチワークの柄、風車の組み合わさった図柄を書いてみせる。


「……面白いわね。でも……」

「でも?」

「いいわ、行きましょう」

「……行く?」

「そう、イリーナ様本人のところへ」


 はあ。そんな風に返事をしていると、あっという間だった。

 今日はたまたま仕事の余裕があったヒルデさんに、拐われるようにして馬車に乗せられていた。


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