心臓バクバク
その日、義也は自分の持っている服の中で、一番正装らしい服を着ていた。
そして、いつもより早めに他の新聞配達を済ませてから、最後に鈴木家に配達にきて、いつも薫子と待ち合わせしているベンチで待っていた。
薫子と初メールした時、薫子から今日は薫子の父親もこの場所へ来ると聞いて、義也はとても緊張していた。
いつもの義也は、新聞配達に来て薫子と5分間だけ話して、すぐに次の配達に行っていた為、今朝のようにじっくりと鈴木家の庭やお屋敷を眺めて見た事がなかった。
“改めてこうやって見てみると、すごい家だなぁ!
全体的にはドイツのお城みたいな雰囲気だが、それでいて嫌味な感じがしないし……センスのいいお屋敷だなぁ!”
と、義也は鈴木家のお屋敷の芸術性の高さに見惚れて、感激していた。
“ハッ! のんきに感激しているような場合じゃないぞ!
今から僕には、とんでもない試練が待ち受けてるんだから!”
と、義也は我に帰った。
義也は薫子から、薫子の父親の話はよく聞かされていたから、薫子が父親にとても愛されている事、また薫子も父親をとても慕って愛している事が、その話しぶりからわかっていた。
それに以前、薫子が
「お父様には、本当に隠し事が出来ないの」
と、話していた事が義也は少し気になっていた。
まさかとは思うが、昨日勢いあまって薫子のおでこにキスしてしまった事とか、付き合って欲しいと告白した事とか、そのあとメールした事とか、色々な事を薫子が父親に話してしまったのではないかと、義也は危惧していた。
昨日の彼女があまりにも愛しくて、身体と口が勝手に動いてしまった自分に、義也は自分でも驚いていた。
“もうしてしまった事は、取り返しがつかない。
昨日の言葉に、嘘があったわけでもない。
だけど、理性が吹っ飛んで行動してしまったことは事実だ。
それに、後で冷静になって考えたら、彼女の住む世界と僕の住む世界は、あまりにも違いすぎる!
彼女が僕の事を好きでいてくれることはなんとなく……いや、けっこうはっきりわかっていた。口では色々わがままや、気の強い事言ってるけど、雰囲気とか行動から本音がだだもれだから……
でも、本人はその事に気付いていないみたいで……そこがまたなんとも愛しい!
そんな彼女からの初の返信メールに、僕のこと
〈初めて会った日から、大好きなの!〉
なんて……そんなことされたら……もう……どうしたらいいんだぁぁーー!!
それに、昨日の今日で、
〈お父様も、一緒にあなたとお話したいって言うから、よろしく!〉
って……そんなぁぁぁーーー!!! 神様助けてください!”
義也は心からの叫びを、神に向かってあげた。
その時、お屋敷の方から、薫子とその父親と思われる人物が、とても仲良さげに歩いてくるのが義也の目に映った。
義也は、薫子の父親と思われるその人物の紳士的で柔和な様子に、また何か芸術的な感動を覚えて見とれてしまった。
そして、またハッと我に帰り、義也はベンチから立ち上がって、二人が近づいてくるのを心臓をバクバクさせながら待った。
「えっ? どうしたの? 今日はそんな格好しちゃって……
それに、来るのがいつもよりすごく早いじゃない?」
と、薫子が驚きながら義也に近づいて、小声で聞いた。
「えっ? だって、君のお父さんも来るって言うから、きちんとした格好で早く来たんだよ。あと今日は、他の配達は先に済ましてきたから、5分でなくて、30分くらい時間取れるからね」
と、義也は薫子に答えた。
「ありがとう! 嬉しい! お父様も喜ぶわ!」
と、薫子が本当に嬉しそうに言った。
義也は、薫子のこの喜んだ時のしぐさや表情、声のトーン……すべてが昨日にも増して、今日は一段と愛らしいと感じて、また本能で行動しそうな自分の心と身体のブレーキを強く踏んだ。
「はじめまして。薫子の父です。
薫子が大変お世話になっているようで、本当にありがとう。
心からお礼を言います!」
と、薫子の父、昇造が義也に握手を求めた。
「いえ、そんな。とんでもないです。
こちらこそ、はじめまして。郡山義也といいます」
と、義也が緊張で震えながら、握手に答えた。
「それでは、今日は義也君がいつもよりたくさん時間をとってくれたようだから、まあそこに座って話でもしよう」
と、昇造が嬉しそうに言って、三人はベンチに座った。