ナイチンゲール
「お嬢様! どういうことでございますか!
ご主人様は、この事をご存知でいらっしゃるんですか?」
珍しく執事が血相を変えて、薫子の部屋に飛び込んできた。
執事が慌てふためいたのは、薫子の急な進路変更について、学校から確認の連絡があったからだ。
「お嬢様はご自分の立場をわかっておられますか?
この様な進路変更、ご主人様が許される訳がございません!」
と、執事が続けて、興奮した様子で言った。
「そんなことないわ!
お父様は、この前 ”薫子が、進みたい進路に進むといいよ” って、言ってくださったんだもの!」
と、薫子も興奮して反論した。
「まさか、お嬢様が看護学部に進学するなんて、ご主人様は予想しておられないから、そうおっしゃられただけでございますよ!
お気は確かでございますか?」
と、執事が呆れ顔で言った。
「私の気は、全く持って確かよ!
今回の進路変更は、誰になんと言われようと変えないわ! もう決めたの!
ナイチンゲールだって、すごいとこのお嬢様だったらしいし、大丈夫よ。
なんの問題もないわ!」
と、薫子は負けずに言い返した。
薫子のこの反論を聞いた執事は、愕然とした様子でしばらく沈黙したあと、床につっぷして泣き出した。
「……この様な事になって、私はご主人様になんと申し上げたらよいのか……うっ、うっ、うっ……」
「心配しないで、私がお父様を説得するから。
時期を見て、話すつもりだったの。
まさか、学校から、確認の連絡が来るなんて、思わなかったから……
驚かせてしまって、ごめんなさい……」
いつも忠実な執事を悲しませてしまったかと思うと、薫子は少し胸が痛んだ。
しかし、薫子の決心は、岩のように固かった。
義也の話を聞くようになってから、薫子は次第に医療の現場で働きたいと思うようになっていた。
義也が目指している医療の世界には、薫子が求めている何かがあるような気がして、強く興味が湧いた事もあるが、義也と同じ大学の看護学部に入って、ラブラブキャンパスライフ? なんていう下心が多少なりともあるのが、本当のところだった。
しかし、そんな事が知れたら、義也と早朝に会うことさえ、禁止される恐れも出てくる。
”彼に会えなくなるなんて、それだけは避けたい……”
そう思って薫子は、義也の存在については、誰にもあまり話さないようにしていた。べつに正式にお付き合いしているわけでもないし、特に言う必要も無い、とも考えていた。
ただ薫子にとって義也は ”17歳になって初めて味わう、遅い初恋の相手” だということは、確かな事実として薫子の中で認識していた。
また薫子は、義也にもこの進路変更の事は黙っていて、看護学部に入学してから、驚かせてやろうと考えていた。
しかし、そう簡単に薫子の計画通りに事は進まないのであった。