第二話
当然間に合わなかった。
俺の通学路は学校まで歩いて15分という一等地に在るのだが、8時10分登校なので、すでに遅刻である。
佐上工業高等学校。
木製の巨大な正門が、やけに荘厳な雰囲気を醸し出している。
戦時中に設立されたこの高校は、当時は"御国のため"と優秀な技術者を輩出していた。
戦争が終わり、今では立派な一工業高校として優秀な人材を輩出している。
そして、今に至る。
正門は固く閉ざされ、代わりに横の小さな扉の鍵が開けてあった。
そこをくぐると、目の前には初老の男性が立っていた。
生活指導兼体育科長、鬼島賢治。
ラグビー部の顧問だ。
あと三年で還暦の先生だが、肉体は未だに筋肉の鎧に覆われている。目付きも鋭く、好々爺にはとても見えない。
この先生がいるおかげで、体育教官室は別名、"鬼ヶ島"と呼ばれている。
「おい、止まれ」
鬼島先生の野太い声がかかる。
「科、学年、クラス、番号、氏名を答えろ」
がっしりと肩を掴まれた。
「はい・・・、土木工学科二年A組5番御園遥希です」
「声が小さい!」
目の前で叫ぶ鬼島。
止めてくれ!
そんなことを言える訳もなく、ただ命令に従う。
「土木工学科!二年A組5番!御園遥希です!」
「よし!以後、気をつけるように!」
「すいませんでした!」
背中をバシッと叩かれ、直ぐにそこから離れる。
他のクラスの連中が窓から笑いながら俺を見ていた。
教室は確か、三階だったな。
階段を駆け上がり教室に辿り着くと、扉を開け中に入る。
見慣れた光景、机が規律正しく並び、教卓には先生が立っていた。
全員の視線が俺に集中する。
えっと・・・。
「遅れたんなら、ええから早く座れ。席はあそこや」
指を指している席は、窓から二列目の席で、最も黒板が良く見える所に在った。
一番前かよ。
「遅刻者も来たし、まず自己紹介するわ。ワシの名前は山田智裕。
去年から持ち上がりやから知ってると思うわ。ほな、一年間よろしく」
関西弁のこの人は山田先生だ。
去年もこの先生だったな。
大阪の出身で頭は禿げているが、自慢の口髭は留まることを知らずに伸びている。体格はがっしりとして、高身長だ。
英語の先生で、趣味は海外旅行。
十数ヶ国語を話し、特にロシアが大好き。
生徒からは"浪速のゴルバチョフ"と呼ばれている。
「えー、今から始業式や。放送入ったら順に並んで行きなはれ、分かったな」
それだけを言うと、教室から出て行ってしまった。
「始業式から遅刻とは、順調な滑り出しだな?」
後ろの席から男が話しかけてきた。
さっぱりとしたショートカットでフレームの赤いメガネ、河鍋俊樹だ。
「うるせぇ」
「怒るなって、今年もよろしくな」
メガネを指で直しながら、あいさつをする。
「まぁ、今年は疎遠で」
「えっ!?何で!?」
「心当たりはあるだろ!!」
こいつは中々成績も優秀で、卓球部のエースなのだが、少し困ったことがある。
少し、というか動物であるなら、根本的な面から間違っている。
「だって、お前ホ――」
「アウトー!その先アウトッ!」
必死で俺の言葉を遮る。
そして小声で、
「俺はホモじゃない!立花が好きなだけだ!」
「世間じゃそれをホモって言うんだよ!」
ちなみに立花とは、卓球部の部員で、河鍋の男だ。
・・・何かおかしい気もするが、文字通りだ。
「好きなものは仕方ないだろ?それより体育館に行こうぜ、放送が入ってるみたいだ」
話に集中していて分からなかったが、多くの生徒が教室から出て行っている。
「そうだな、俺らも行くか」
席から立ち上がり、体育館へ歩き出した。
校長の話っていうものは、何処でも長い。
欠伸をかみ殺しながら、前を見ることに勤める。
まったく・・・、もう二十分も話しているじゃないか。
司会の教頭先生も、チラチラと時計を確認していた。
「―――ということで、新しく入った一年生諸君は、早く学校に慣れてください」
やっと終わったか。
「次に体育課長の鬼島先生から、大掃除についての諸注意があります」
なんという、フェイント。
周りからもため息が漏れる。
分かるよ、だるいよ俺も。
この学校はつまらない。
校長の話が長いのも大きな理由の一つだが、最大の理由は女子が少なすぎるということだ。
見渡せど、学ラン。
工業高校だから仕方ないけどね。
女子もすずめの涙ほどはいるものの、俺達二年の土木工学科には一人も女子がいない。
確か二学年の比率は男子
40:女子1というほどだ。
「各自担当の先生の指示に従い、きちんと掃除をするように。解散」
その一言で、集まっていた生徒が、蜘蛛の子を散らすように体育館を出て行く。
俺も足早に体育館を出ようとすると、後ろから河鍋が声をかけてきた。
「遥希!ビッグニュースだ!」
「あぁ、立花と別れたのか?」
「違う!俺らのクラスに転入生が来るらしいぜ!」
「はぁ?」
何だそりゃ?
「確かな話だよ、ゴルバチョフが早く戻った理由がそれなんだよ!」
「確かに・・・職員室に戻るのが早かったな、始業式にもいなかったし。」
今から思うと確かに不自然だ。
だが、
「工業高校に転入ってありえるのか?」
「さぁ?」
聞いたことが無い、工業高校に転入するなど。
「それに、万が一あったとしても、男だろ?」
「多分な。イケメンだといいな!」
「死ね」
「冷たっ!その態度、冷たっ!!ジョークじゃん!」
そういう風には聞こえないんだよ!
河鍋を無視し、教室に入った。