第八話
ドン
「きゃっ!?」
「お?」
玄関を出るとショートカットの女性が転んでいた。
「すいません! 大丈夫ですか?」
「大丈夫です、こちらの不注意です」
「本当にすいません! って・・・・武本さん?」
「御園君?」
「そうそう、ほらつかまって」
手を差しのべると、つかまって立ち上がった。
「ん、ありがとう」
スカートの汚れを払う。
彼女は今、制服ではなく私服を着用している。
黒いシャツで襟がタータンチェックになっており、短めの赤いネクタイがよく映える。
フリルの多いこれまた真っ黒なスカートを履いているが、白い派手なベルトが黒の上下にアクセントを与えていた。
少し短いスカートから伸びる、白磁のような足とのコントラストが美しい。
「ところで、ここがあなたの家なの?」
「そうだけど? それより何故武本さんがここにいるの?」
「私、お隣なの」
「え? ええっ!?」
「三日前くらいに引っ越して来たのだけれど、荷を解くのに時間がかかって。引っ越した日には挨拶に行ったのだけれど、お出掛けしてたみたいで・・・」
三日前と言えば、俺は友達の家に泊まっていて、母親も出掛けていたのを覚えている。
「ごめんね、間が悪くて」
「何言ってるの、謝ることじゃないわ。それよりご両親はご在宅?」
「今は居ないよ、当分帰ってくる予定もないしね」
「? どういうこと?」
「父親がハワイに転勤になって、母親も付いていった訳」
「と言うことは一人暮らしなの?」
「そうだね、今日からだけど」
肯定すると、彼女は何かを考え始めた。
「これは・・・チャンスね」
「?」
そう呟くと顔をあげ、一歩近づいて来た。
「ねぇ、御園君? 大事な話があるの」
「だ、大事な話!?」
彼女の顔が目の前に迫り、思わず声がうわずる。
「そうなの、でも・・・ここじゃ言えない・・・」
上目遣いで俺を見上げる。
彼女から何か甘い花の匂いがしており、それも相まって威力抜群だ。
途端に顔がだらしなく弛緩する。
ボク何でもします! という気分になった。
「家に上がらせてもらえない?」
光速で家の扉が開いた。
「さぁ! 上がってよ!」
「ありがとう」
彼女は玄関に入ると、後ろ手に鍵を閉めた。
自室へ案内し、彼女を椅子に座らせた。
「お茶を淹れてくるから待ってて」
リビングへ向かう。
「男って単純よね」
彼女の呟きは浮かれていた俺には届かなかった。
「お待たせ」
麦茶を差し出し、椅子がないのでベッドに座った。
「今日はありがとう」
「? 何が?」
「放課後、助けてくれて」
俺だけなら確実に埋められていただろう。
「あぁ、あのこと? 別にいいわよ、私も目障りだったし」
真顔でキツイことを言いながら、出された麦茶を飲んでいた。
「で、大事な話って何?」
「そうね、そろそろ言うわ」
彼女は深呼吸をすると、人差し指を唇に当てた。
瑞々しい唇が人差し指を軽く跳ね返す。
伏せ目がちになり、頬を紅く染める。
それを見ると胸の鼓動が早くなり、自分の顔も赤くなる。
薄く開かれた小さな唇から、吐息のような声が漏れた。
「私、あなたのことが・・・好きになったみたい・・・なの」
潤んだ瞳が一瞬俺を見上げ、また伏せる。
「一目惚れなんて、おかしいよね。・・・でも・・・伝えたからには返事が欲しいよ・・・」
ぬぁぁぁっ!!!
可愛いっ!!!
マジで!? マジで俺でいいの!?
そう思ったが、顔を真っ赤にして硬直することしか出来ない。
「ねぇ・・・・」
一気にしおらしくなった彼女に、心はわしづかみにされていた。
「お、俺でいい・・・の?」
なんとかそれだけを絞り出した。
俺の言葉に彼女の顔が輝く。
「・・・うん!」
その言葉で俺の彼女いない歴に終止符が打たれ、付き合って一日目というカレンダーが打ち立てられた。
夢心地で感動に浸る俺に彼女は、
「ねぇ、キスして・・・」
・・・は?
彼女の言葉が理解できない。
「お願い・・・」
紅潮した顔で彼女は呟く。
言葉の意味を、染み込むように理解し始めた。
俺の中でファーストキスは、付き合って48~60日目とカレンダーに記入されていた。
奥手とか言うな。
「いや、まだ俺達、お互いのことをあまり知らないし」
などという女々しい言い訳しかでない。
「あぁ!もうっ!」
彼女が業を煮やし、俺を押し倒した。
馬乗りになり、自由を奪った。
「女に恥かかすんじゃないわよ」
突如、冷たい声に変わり、俺を見下げる。
「人生の最後には良い思いでだったでしょう?」
蔑むような目で俺を見た。
何かおかしい。
心が彼女を拒否する。
先程の恥じらいや好意などといった感情は見られず、ただ侮蔑の眼差しを向けていた。
彼女の顔が近づく。
背筋が凍り、冷たく心臓の鼓動が増す。
冷や汗が伝い、この感情を理解する。
紛れもない、恐怖
離れようともがくが、体を押さえつけられていて動けない。
彼女の力に負けている!?
やめろ!!!
声も掠れて出ない。
彼女の顔があと3センチと迫り、きつく目を閉じた。