第95話 形見の想い
その頃――。
湿地の奥、濃霧に覆われた祭壇で、黄金の瞳が妖しく輝いていた。
ナーガは冷たい笑みを浮かべ、長い尾で地を叩く。
「……海底都市アトラ。
ジークとその民が夢を掲げ、笑い合っているのかと思うと実に滑稽だ」
隣に立つコドラが鋭い牙を覗かせた。
「ジークは老いているとはいえ、民は一枚岩。アトラの場所も不明で我々が辿り着く事も出来ない。容易には崩れまい」
ナーガは喉の奥で低く笑った。
「崩れるとも。夢に酔った民など、古代の血脈の前では塵にすぎぬ。
海に眠る恐竜を目覚めさせれば、ジークもろとも沈む。
アトラの民ごと、深淵に堕とすのだ」
霧の中から蠢く影が姿を現した。
人でも獣でもない、禍々しい異形たち。
それは来るべき破滅の前触れのように、湿地の闇でうごめいていた。
同じ夜、海底都市アトラでは。
光る珊瑚の街灯が静かに揺れ、街全体が幻想的な輝きに包まれていた。
宿舎の一室で、ノラとクロは向かい合って腰を下ろしていた。
ノラは窓の外を見つめながら、低く口を開く。
「……シロが死んだあの日。俺は確かに見たんだ。
白い毛並みが血に染まり、そのすぐ上を――冷たい風を切って、翼が飛び去るのを。
鉄の匂いが鼻を刺して……今も忘れられない」
クロの目が鋭く光る。
「やはり……空族か」
ノラは拳を握り、首を横に振った。
「決めつけるつもりはない。けれど……胸の奥でずっとざわめいてる。
あの空族の存在を知らずに、シロの死を受け入れるわけにはいかない」
クロは静かに息を吐き、弟のように慕ってきたノラをまっすぐに見た。
「兄さんを失ってから、俺はずっと努力してきた。文武も、律も……全部。
だがな、答えが出ないまま積み上げた努力は、ただの鎖だ。
俺はその鎖に縛られ、重さに押し潰されそうになった。
……だからこそ、真実を知るまで止まらない」
その時、部屋の入口から柔らかな声が届いた。
ミロだった。静かに扉にもたれ、二人を見守っていた。
「……シロさんの死を、私も耳にしています。
でもね、真実を知ることは時に、傷を抉ることにもなる。
それでも前に進むと決めるなら、私はあなたたちを支えたい」
ノラとクロは振り返り、ミロの凛とした眼差しを受け止める。
彼女の言葉は優しさだけでなく、同じ重荷を背負う者の決意が込められていた。
ノラはわずかに笑みを浮かべる。
「クロ……お前は努力の天才だな。俺が投げ出した時も、ずっと走ってきた」
クロは照れ隠しのように肩をすくめた。
「兄さんのためだ。……それに、俺はノラに並びたかったんだ」
ミロはそんな二人を見て、静かに頷く。
「シロさんの想いは、きっとまだ形見の狼牙のどこかで生きている。
……だから一緒に、探しましょう」
遠く、海の音が部屋を包み込む。
三人は胸の奥に消えぬ影を抱えながらも、確かな決意を新たにしていた。




