第89話 海底都市アトラ
水面を割った瞬間、世界は青一色に染まった。
光の粒子が降り注ぎ、波紋に揺らめいて宝石のように煌めく。
ノラたちの身体はアクアリスと水精の加護に包まれ、まるで海と一体化したように自然に泳げていた。
「……すごい……」
イヴが吐息のように呟く。その瞳は驚きと感動に大きく見開かれていた。
「ほんとに息ができる! しかも身体が軽い! 空を飛んでるみたいだ!」
タロも無邪気に笑い声をあげ、くるくると回転してみせる。
クロは周囲を冷静に見渡し、低く呟いた。
「これが……海の世界……。静かすぎるな」
オルガとブチが先導し、仲間たちは海流に身を任せて潜っていく。
やがて視界の奥に、巨大な影が揺らめいた。
それは……海底に広がる幻想都市。
珊瑚の塔が幾重にも重なり合い、透明なドームのような構造物が光を集め、街全体を覆っている。
その中では無数の灯が瞬き、魚たちが縦横無尽に泳ぎ、まるで星空を逆さに映したかのような光景が広がっていた。
遠くの街路では海族の影が行き交い、水草を編んだ布が潮に揺れている。そこには確かに“生きる都市”の息遣いがあった。
「これが……アトラ……!」
ノラは思わず言葉を失った。
ミロも胸に手を当て、そっと微笑む。
「……こんなにも美しい場所が、まだ世界に残っていたなんて」
同時に父ブルの言葉を思い出す。
(……夢を奪わぬ未来を見届ける。そのために、私はここに来たんだ)
「見惚れるのは分かるけど、口開けすぎると魚が入っちゃうぞ!」
ブチが茶化すように言い、タロが慌てて口を閉じる。
「え、ほんと!? ……って、冗談だよね!?」
イヴが思わず吹き出し、緊張が少し和らいだ。
オルガは横目でそのやり取りを見やり、鼻で笑った。
「くだらん冗談を……だが、確かに気を抜くな。この都市に入るには“門”を越えねばならん」
クロが鋭い眼差しで問いかける。
「門……?」
「アトラの門は心を欺かぬ。恐れや偽りは必ず暴かれる」
オルガの声は低く響き、尾が水を切った。
「ジーク様に会う前に、門を守る者たちがお前たちの“心”を量るだろう」
静謐な海の中、ノラは義手にヒトフリを握りしめ、仲間を振り返った。
タロは期待に目を輝かせ、イヴは真剣な表情で頷き、ミロは落ち着いた微笑みを浮かべている。
「イヴさん、あなたの目……強くて優しい光をしていますね。きっと、この海も受け入れてくれます」
その言葉にイヴは一瞬驚いたが、すぐに小さく微笑み返した。
クロは静かに前を見据え、決意を固める。
「なら、受けて立つしかないな」
ノラの声は、青い世界に溶け込むように響いた。
やがて一行の前に、光り輝く大門が姿を現す。
そこから流れ出る圧倒的な気配は、ただの海流ではなく、“意思”を持つ存在のようだった。
アトラの心臓部――海王ジークの玉座へ続く道が、いま開かれようとしていた。




