第62話 揺れる忠誠
祭壇の震動が収まり、太鼓の音もやんだ。
だが重苦しい空気は消えず、むしろ濃さを増して森を覆っていた。
その闇の中から、一つの影が静かに歩み出る。
丸々とした体躯の大カエル――沼族の腹心ベルだった。
湿地に似合わぬ柔らかな声音で、彼は呼びかける。
「……オロチ」
名を呼ばれた若き沼族は、父ナーガの背を見つめたまま口を閉ざしていた。
黄金の瞳を燃やすナーガはなおも力の教義を説き続けている。
ベルはオロチの肩に手を置き、低く囁いた。
「お前はまだ迷っている。……それでいいんだ」
オロチは小さく眉を寄せ、拳をぎゅっと握った。
「でも……父様の言うことが正しいんだって思うんだ。力こそがすべて……でも……」
彼の視線の先には、必死に夢を語ったタロとイヴの姿。
小さく儚げでありながら、その声は確かに胸に響いていた。
「彼らの言葉が……どうしても残っちゃうんだ……」
ベルは優しく目を細める。
「お前は弱さを恐れない。ナーガやコドラには持てぬものを――お前は持っている」
オロチは俯き、拳をさらに強く握った。
忠誠と葛藤、その二つが胸でせめぎ合っている。
ベルはそっと肩に手を置き、落ち着いた声で告げる。
「迷うなとは言わない。迷い続けろ。答えを選ぶのは、お前自身なのだから」
オロチの瞳が小さく揺れた。
それはまだ小さな火種――やがて彼をノラたちへ導く始まりであった。
その時、森の奥に父ナーガの声が轟いた。
「迷うな、オロチ! 力こそが真実だ! 未来を切り拓くのは力のみ!」
オロチの肩がびくりと震える。
ベルは静かにその背を支え、励ます。
「父様の言葉に縛られるな。お前は、自分の目で、心で選べ」
オロチは唇を噛み、拳を握りしめた。
「うん……僕、頑張るよ。父様も、みんなも……守りたいんだ」
ベルは微笑み、静かに肩を叩く。
「その意気だ。だが無茶はするな。我々は頭と心で戦うのだ」
オロチは小さく頷いた。
「うん……ベル、僕、ちゃんと考えるよ」
嵐の前の静けさのように、森はまだ重く、緊張に満ちていた。
だが、師と弟子の心には、確かな決意の火が灯っていた。




