第60話 裂ける心
霧を割って現れたのは、一際大きな体躯の沼族。
厚い鱗に覆われた腕、鋭い爪、そして眼光には濁りのない力が宿っている。
「……コドラ」
クロが低く呟き、警戒を強める。
コドラはゆっくりと祭壇の前へ歩み出ると、腕を広げた。
「これが我らの誇り。そしてナーガの側近の私は全てを力でねじ伏せるもの。それは正義でもある」
ノラが睨み返す。
「力で全てをねじ伏せるのが正義だと? ……それは、ただの暴力だ」
コドラの口元が歪む。
「弱者の戯言だ。お前はまだ知らぬのだ。
“夢”などという曖昧なものでは、この星を守れぬことを」
その言葉に、ノラの胸が強く脈打った。
夢を守ろうとする自分。
疑念に囚われる自分。
両方の思いが、コドラの声に揺さぶられていく。
イヴが一歩前に出て、必死に声を張る。
「夢は……誰かに笑われても、信じる人の中で生き続ける。
だから……奪うものじゃない!」
その言葉にタロも続いた。
「そうだ! 僕たちだって……夢を持つ権利はある!
弱いからこそ、夢が必要なんだ!」
だがコドラは冷笑を返す。
「滑稽だ。弱者の夢など、光の前で容易く掻き消える。……見せてやろう!」
祭壇に刻まれた骨が淡く光を帯びている、周囲の霧すら震わせ始める。
低い太鼓の音が地の底から鳴り響き、祈りの言葉は空気を支配していくようだった。
ノラの胸に強烈な衝撃が走る。
(……夢など掻き消える……?)
頭の奥で、別の声が蘇る。
――戦場でシロを失ったあの日。
「お前は何も守れなかった」と責め立てる記憶が、鋭い刃のように心を裂いていく。
義手を握る指先が震え、心臓が冷たく締め付けられる。
(俺の夢は……本当に仲間を守れるのか……?)
クロが隣で叫ぶ。
「ノラ、惑わされるな! 夢は――」
だが声は届かない。
コドラの言葉と記憶が重なり、心が深く裂かれていく――その時。
「……ノラ」
小さな声が闇を裂いた。
振り返ると、イヴが震える手で胸を押さえながら立っていた。
「私は……夢を笑われても、信じたい。
だって夢は、生きてる証だから」
その言葉に、タロも必死に続く。
「僕も……絶対に夢を語りたい! 誰かが笑っても……俺は負けない!」
二人の声がノラの耳に届いた瞬間、胸の奥に小さな光が差し込む。
頼りない灯火だったが、確かに心の裂け目を繋ぎとめていった。
コドラが吼える。
「甘い! その甘さごと叩き潰す!」
巨体が前に踏み込み、。
クロが、鋭く叫んだ。
「来るぞ、ノラ!」
ノラは義手を強く握りしめ、深く息を吸う。
(俺は迷ってばかりだ。……けど、この声、この夢を信じたい!)
裂けそうになった心を、仲間の言葉で必死に繋ぎ止めながら――
ノラは再び前を見据えた。




