第36話 話すトヒ
小屋の中。
干し草の香りが満ちる静かな空間で、タロとイヴはノラとクロの前に腰を下ろしていた。
「夢……?」
ノラが問い返すと、タロは目を輝かせて大きく頷いた。
「うん! 俺、いっぱいあるんだ。
美味しいものをお腹いっぱい食べたいし、晴れた太陽の下で広い草原を思いっきり走ってみたい。
夜になったら星を数えながら眠るんだ」
その言葉は子どもじみているようで――けれど胸を打つほどの純粋さを宿していた。
クロは思わず口元を緩める。
「……まるで子犬だな。いや、すまない」
「いいよ!」
タロは屈託なく笑い声を上げた。
「だって、普通に生きられることって、一番大事だろ?」
その無邪気さに、小屋の空気が少し和らぐ。
隣にいたイヴも、静かに微笑んだ。
左右で色を異にするオッドアイが、淡い光を宿してノラを見つめる。
「私は……そうね。
病気にならずに、毎日笑って過ごしたい。
それから、花を育てて、きれいに咲かせたい……あと、苦しんでる人を優しく照らして包み込むお月様みたいに…」
一瞬、イヴの声は途切れた。
だがノラには、その沈黙の奥に“まだ言えぬ夢”が潜んでいるように感じられた。
「……いい夢だ」
ノラは素直にそう言葉を返した。
「どれも、俺たちにとっては当たり前のこと。けど……お前たちにとっては“遠い”んだな」
イヴは視線を落とし、小さく頷いた。
「当たり前が、一番遠いの。だから……夢になるの」
その言葉に、ノラの胸が強く揺さぶられる。
義手を握る手に力がこもり、シロの面影が脳裏をよぎった。
(……やっぱり、この現実は間違っている)
クロは黙したまま目を伏せていたが、心の奥底では同じ衝動が芽生えていた。
小屋の外からは、草原を渡る風のざわめきが聞こえてくる。
その音は、タロとイヴの小さな夢を包み込むように確かに響いていた。




