第182話 信じる悲しさ
南東湖にたどり着いたオロチの背には、ひときわ重い鎌があった。
それは、師であり親のように慕ったベルの遺した大鎌。
湖面は穏やかで、ただ風だけが静かに草を揺らしている。
すでにノラたちはこの地を訪れており、湖王トールは彼らから
――恐竜が甦ったこと。
――そして、ナーガが命を落としたこと。
を聞いていたようだ。
ベルルの姿が見当たらなかったが
ベルルは、従者たちを率いて他の湖王のもとへ急ぎ、世界の危機を告げる使者として動いているという。
「……その鎌は、ベルのものだな。」
トールが低くつぶやくと、オロチはただ頷いた。
湖王の眼差しに宿るものを見て、オロチは語り始めた。
彼は静かに語った。
南の国レプタでの日々。
王であり父であったナーガ。
冷徹で聡明な側近コドラ。
そして、己に剣を教え、心を導いてくれた師ベルの生き様と、その最期。
語り終えた時、オロチの声は震えていた。
「俺は、何を信じていいのか……もう分からないんです。」
トールはゆっくりと立ち上がり、オロチの肩に手を置いた。
その掌には長い時を生きた者の静かな温もりがあった。
「オロチ……悲しみは、信じた証だ。ナーガも、コドラも、ベルも形は違えどお前を信じていた。だからこそ、その信を途切れさせてはならぬ。」
そう言って、トールは遠く湖面を見つめた。
彼の瞳の奥に映っていたのは、まだ若く、理想に燃えていた頃のナーガたちの姿。
王になる前、心優しき青年だったナーガ。
常に己を磨き上げてたコドラ。
そんな二人を支えるベル。
歪みながらも道を選び進んでいった三人の姿。
「彼らは皆、信じた。清きものを、未来を、そして互いを……」
トールは微笑んだが、その頬には一筋の涙が流れた。
「だが、信じる心が強い者ほど、悲しみに呑まれやすい。それでも――信じ続ける者こそ、希望の証となる。」
オロチは拳を握り、ベルの鎌を強く抱き締めた。
「ベル……俺は、想いを継ぎます。必ず。この世界の平和を…。沼族の誇りを…!!」
夜、湖辺の篝火がオロチの影を揺らす。
トールは祈るように目を閉じ、静かに名を呼んだ。
「ナーガ、コドラ、ベル…どうかオロチを導いてくれ。」
その声は風に溶け、湖の奥深くへと消えていった。
翌朝、オロチは再び北側に進む。
向かうは東の国ヤマト
――ノラたちが居る国。
その背を見送りながら、トールは低く呟いた。
「信じることは、悲しい。けれど、その悲しさがある限り、人はまだ、光を求められるのだ。」
湖の風が吹き抜け、オロチの影が遠く霞んでいった。




